2002 August

 

2002年8月1日(木) シンポジウムに向けて

 

8月に突入。今月は前半は広島で瞬く間に時間が過ぎ、後半は(無事上手く行けば)ミネアポリスでの新しい生活が始まる予定。そう考えると、ちょうど今月はNAC生活の折り返し地点。早っ。

 

それより何より、日曜のシンポジウムが迫ってきて、いよいよお尻に火がついた気分。でも、追い詰められるてからやるのは慣れているので(!)、集中してそろそろ頑張ろうと思う。

土曜から市内のホテルに泊り込むので、明日が準備に使える最後の1日になる。

 

こうなったら、楽しんでやるくらいの気分にならなきゃと思えてきた。

なかなか会えないような先生方や関係者の方々とも知り合えるし、たくさんの私の知り合いも来てくれるし。

何よりも、私にとって良い経験となるだろう。。。

無事に終わりますように☆☆☆ ちょっと緊張。

 

 

2002年8月2日(金) いまさら”イミダス”

 

今更ながら、核関係の用語を復習しておきたいと、本屋さんで”イミダス”を買ってきた。

あんな重い本、本当は図書館で利用すればいいのだろうけど、その場で読むだけだと覚えきれそうにないので、買うことにしたのだった。

読んでみると、タイムリーな用語の説明もたくさん載っていて、なかなか面白い。暇な時の読書に使えそうな感じ。

軍縮のコーナーを読むと、明後日のシンポジウムで同じくパネルリストとして参加される先生が執筆されていた。おぉ。

 

シンポジウムの件、不安だけど、もう居直りモードに入ってきた!

友達なども来てくれるし、別にディベートで戦う訳じゃないから、心穏やかにその時を迎えようと思う・・・。

はぁー、どうなるんだろう。。。

 

 

2002年8月3日(土) 少し”ほっ”

 

明日のシンポジウムに備えて今日のお昼からパネリスト&関係者の方々との集団行動開始!

私以外の3人のパネリストの先生方も肩書きを見てしまうと緊張して話せなくなりそうな人々だけど、実際お話してみるととても気さくで面白い方々だった。関係者の方々もとても良くしてくださり、今日はすごく楽しく過ごせ、また、たくさんのことをこの半日で既に学べた気がする。

 

今夜宿泊しているリーガからの眺めも最高で、広島ってこんなに美しい街だったんだーと見直した。

しかも、私の部屋からは市民球場のカープvsジャイアンツ戦が見れるというおまけ付。

 

よし、明日も最後まで頑張ろう!

 

                                                 

 

ホテルからの眺め。中央の緑部が平和公園。

 

 

2002年8月4日(日) シンポジウム当日

 

いよいよ泣いても笑っても(大袈裟?)今日はシンポジウム当日。

もうじたばたしてもしょうがないので、何とか無事終わるだろうと信じてホテルを後にした。

 

今日のシンポは朝10時〜夕方5時までの長丁場

午前中は、江戸屋猫八さんという去年の12月に亡くなられた芸人でもあり被爆者の方でもあった方のお嬢様のまねき猫さんのお話と、作家の辺見庸さんの講演だった。お二人ともそれぞれとても泣きそうになったり考えさせられたりするお話をされ、面白かった。ちょっと辺見さんの著書を読んでみようかな。

 

そして、午後からいよいよ私たちのパネルディスカッション

最初にそれぞれが15分ずつ発言をするのだけど、これが終わった時点で私はどっと安心してしまった。あぁ、棒読みにならず終えられた・・・と。前日は何度も声に出して原稿を読んでみたものの、しっかり言えるか最後まで自信がなかったのだ。途中で頭が白くなって何も言えなくなるんじゃないかと心配だった。ちょっと一安心。

 

でも、その後のディスカッションはさすがに教授陣のお話は難しく、すごく集中をしていないとスーッと聞き漏らしてしまいそうだったけど、コーディネーターの方が上手くふってくださったので、助かった。さすがだなぁ。プロ!

 

そんなこんなで、シンポジウムも無事に終了することができた。

この2日間で、本当にたくさんの素晴らしい人々にお会いし、そしてたくさん学ばせてもらった。色んな人にお世話になった!

こんな機会を与えていただいて、本当に感謝の気持ちで一杯だ。

でも、これで終わりじゃなくて、私の活動はあと半年残っているのだ。

シンポで誓ったことが嘘にならないように頑張らないと。

 

今回のシンポジウムでお世話になった関係者の方々、そしてわざわざ来てくれた先生、友達、親戚の皆様、どうも有難うございました。

 

 

2002年8月5日(月) 気になったこと

 

昨日の夜はどっと疲れて10時間も寝たけど、今日はお昼からまた市内に出掛け、NACのOBで福岡からわざわざ広島までいらしてくださっていた方とそのお仲間の方、そしてNACを広島でサポートしてくださっている方と一緒にランチをした。ランチはリクエストのあった広島名物。といえば、お好み焼き!肉玉ネギかけは美味しかった☆

 

私のアルバムを見ながら、色んなお話で盛り上がった後は、夕方からあるシンポジウムにご一緒した。これも核廃絶系のものだけど、そこでNAC設立時から応援してくださっている名古屋の先生とお会いできて感激。これまで1年くらいメールでのやり取りのみだったから。。。まさかお会いできるとは思っていなかったので、本当に嬉しかった。

この先生は、理学博士なので、いつも原爆の科学的なことについての疑問に答えてくださる力強いサポーター。

 

今日平和公園を歩いて、本当に人が多くてその熱気に圧倒された。

これまで特に8/6が近いからといって平和公園の近くに行ったりしなかったので、少し新鮮な光景でもあった。

みんなタスキをかけてたり、手に折鶴を持っていたり様々だけど、核廃絶や平和を願う人たちがこんなに大勢広島に集ってるなんて何だかすごい。

 

慰霊碑前には、徹夜で祈っているおじいさんも見かけた。私は初めて見かけたのだけど、毎年らしい。おじいさんの前には4つの白い箱が並べてあり、全て原爆で失った家族のものかと思うと、いたたまれない気持ちになった。

私達が眠っている間も、このおじいさんはずっと平和公園で祈り、8/6を迎えるんだなぁ。。。

 

1つ気になることがあった。

原爆ドームの近くの川沿いで、ロックバンドコンサートみたいなのが行われていて、すっごーく喧しかった!

平和を願うロックなのかもだけど、それは何を唄ってるのか分からないから不明。

とにかく、静かな気持ちで祈りたい人も多いと思うところに、ロックをガンガン演奏されると、不快だった。通りすがりにも迷惑そうにしてる人や怒ってるおじいさんがいたから、そう思ったのは私以外にもたくさんいたはず。

新しい試みは色々大切だと思うけど、これは明日&来年は絶対勘弁して欲しい。

 

 

2002年8月6日(火) 57回目の原爆の日

 

今年の平和式典は広島市から招待して頂いたので、前の方の席で見ることができた。

前列には小泉首相、そして坂口厚生労働大臣や鳩山さんなど、いつもはテレビで見てる顔を間近で見て少し興奮。でも見てみるとそんなものか・・・という気がしないでもなかった。

 

秋葉市長の平和宣言やこども代表の二人の宣言は素晴らしく、私も大きな拍手を送った。

特に秋葉市長の宣言の中には、政府に対する被爆者援護の訴えやアメリカの核政策に追従しないこと、そしてやられたらやり返すでは何も解決しない報復の無意味さなど、まさに言いたいことが盛り込まれていて、さすがヒロシマの市長だなぁと嬉しかった。それを前列に小泉さんが座っている前で言うなんて、勇気がいることに違いない。

それに引き換え、小泉さんのスピーチはまったく覇気のない、事務的なもので、やっぱりこの人は平和を考えている人ではないと感じた。しかも、式が終わると、被爆者の人たちの話を直接聞く会も今年は欠席し、早々に東京にきりあげてしまった。なんて誠意のない!と多くの人が感じたはずだし、こんな人に日本を託すとますます軍事色の強い戦争への道に近づいていくと思うと怖くなった。ぶるぶる。

 

その後は、アメリカから来日している平和団体の人たちをランチをし、私一人母校に向かった。

新潟から広島学習のため高校生が訪れているので、彼らにNACでの経験談を話してくださいということだった。

事前に何を話すとか何も考えていなかったので、本当に行き当たりばったりの話ばかりになってしまって申し訳なかったのだけど、30人弱の高校生の生の意見を聞くことができて、とても良い機会をもらったと思っている。

新潟の高校生のせいか(?)、みんな素直な良い子達で、話していてやっぱり”教師”って仕事もいいよなぁ。。。とまた思い始めた。あぁ、せめて大学時代に教職を取っておくんだった!

 

夕方からは、9/11で弟を無くしたリタさんを含むアメリカ・インド・パキスタンなどからのゲストの講演会に行き、彼らと灯篭流しをした。去年に引き続き美しかった。

 

夜は、日曜のシンポジウムで知り合った大学生の女の子と二人でお茶をし、将来のことなど色んなことを話し、自分の大学時代と重ね合わせて懐かしい気持ちになりながら広島市内をあとにした。

 

朝5時起きから始まって、なんと長い1日だったことだろうか!

でも、今日ほど57年前のあの日を感じ、想像したことはなかった気がする。

日に日にアメリカでヒロシマ・ナガサキを感じることの大切さ、責任を感じている今日この頃だ。

 

 

     

 

         式典のために、ずらっと並んだ椅子                原爆の子の像にはたくさんの折鶴が・・・

 

 

2002年8月7日(水) しばしの休息

 

もし元気だったら今日はの先輩のお宅にお邪魔する予定だったのだけど、さすがにシンポジウム・平和式典と行事が立て続けにあったので、今日は体を休める日とすることにした。

 

ふと気づくともう2週間も経たないうちに、再渡米だ。

明日からは気持ちを切り替え、渡米のために準備しないといけないことに移るとしよう。

戻っている間に、大正琴やお茶の練習をしようと思っていたのに、何もしてない。スライドも追加で作りたいのにぃ。。。

 

得意な”やることリスト作り”で、日本にいるうちにやらないといけないことを早速まとめてみよう!

 

 

2002年8月8日(木)  壁に残った伝言

 

もう取材はないだろう、と思っていたら、昨日電話があって、今日の午後はある記者さんとお会いした。

この記者さんには今年1月の渡米直前に初めてお会いして、その後彼は転勤になってしまったと聞いたので、もう会う機会もないかなと思っていたのだけど。。。 8・6のヘルプではるばる広島にいらしたらしい。

NACを通じて多くのマスコミの方と知り合うことができ、普段は関係のない業界の人たちだと思っていたので、その様子を垣間見ることができ、おもしろかった!

 

この為だけに市内まで出てきたのはちょっともったいないと思い、袋町小学校の平和資料館に立ち寄った。

ここは、市中心部にある旧国民学校で、原爆後は避難所にもなっていた学校だ。そして、家族や児童を探すために人々が壁にチョークで書き残した伝言が最近発見され、それが保存されている資料館で、以前から行ってみたいと思っていた場所だ。

 

資料館といっても、こじんまりとした建物で、展示物もその壁面がメインとなっている。二階建て。

ここにはボランティアで説明員がいらして、そのおじいさんがつきっきりで説明してくださった。

このおじいさんも17歳の時に被爆され、暁部隊にいらしたそうだ。このおじいさんからお聞きした話は、”平和への想い”に書いてみたいと思う。

破壊された街の中で、人々が必死で家族を探し求めていた様子が、思い浮かぶ壁の文字だった。

残り少ない原爆建物が次々壊されているけど、是非保存する方法を取って欲しい。やっぱり物的証人?は必要!

 

今日はこのおじいさんのお話が頭を離れなかった。穏やかなおじいさん、またお会いしたい。お元気で!

 

 

2002年8月9日(金) 長崎の日

 

今日は8月9日。長崎に原爆が投下された日。

先日6日の広島での平和式典から長い時間が経ったような気がする。

あの1発で、広島は、日本は大打撃で、もう反撃をすることもできなかっただろうに、何故3日経った今日9日に2発目の原爆が使用されたのか益々分からない。あの1発で十分だったはずなのに!

本当にこの長崎を原爆使用最後の地として欲しい。

 

今日の昼間は、祖母や叔母、従兄弟などがうちに来て、みんなで私のために、おかえり&行ってらっしゃいランチをしてくれた。

祖母はもう92歳なので、1月の出発時は、1年後のことは分からないと涙涙で見送ってくれたけど、今回は”あと半年だったら生きとるけーの!”と元気良く帰って行った。

 

そして、夕方からはまた市内に出掛け、4日のシンポジウムで知り合った研究所の先生と夕食を食べがてら色々なお話を伺った。原爆に関して、色んな視点から研究できるんだなぁととても勉強になった。

 

明日からはお盆休みという友達も多い。いいな〜って言ったら、私はいつも休みでしょ!と言われた。うーん、確かにねぇ。

 

 

2002年8月10日(土) 友達をハシゴ

 

私がまだ大学生の頃は、久々に広島に帰省して、本通りのショッピング街を歩いていると高校の同級生に偶然出会うことが結構あった。でも、最近は街を歩いていてもあまり知ってる人に出会わないなぁと思っていた。そんな話をしながら、ランチを一緒にした高校時代の友達と本通りを歩いていると、今日はなんと二人も友達に出会った!でも、二人とも去年会っていた友達だったので、高校卒業以来!なんてことはなかったけど。

それにしても、二人とも旦那さんを連れてショッピング中だったので、何だか時代の流れを感じてしまった。

 

夜は、これまた別の高校時代の友達とタイ料理を食べに行った。

彼女は今、仕事の傍ら、週末は日本語を外国の人に教えていて、そんな話を聞くのも興味深かった。やっぱり民間レベルでの国際交流は大切だし、楽しいよね〜って話でまとまった。

自分にとっても幸せ、そして人のためにもなるような生き方って何なんだろうねーっと、なかなか答えの出ないことについて話しまくるのもとても楽しかった。

 

帰り道はすっごいと光だった。目もくらむ眩しさと、前が見えない位の局地的豪雨。

タクシーの運転手さんが、”50年車に乗ってますけど、こんなにすごい光は初めてです”と言われるくらいの凄さ。

あぁ、怖かった!

 

 

2002年8月11日(日)  ニュースで考えさせられた事

 

やっぱり昨夜の豪雨は凄かったらしく、しかも私の住んでいる町が一番降水量も多かったらしい。

そして、山隣では、地元の消防士さんが二人、川に流されて亡くなった。車で5分の近所。

その一帯は3年前にも豪雨&崖崩れで何人か亡くなっている場所。山の近くに住むのは命がけだ。

 

夜のニュース番組で初めてアフガニスタンの子供たちの今の様子を見た。アメリカではあまり報道されないから。

タリバンに焼き尽くされた村に住む兄弟や、カブール市内でたくましく働きながら生活してる9歳の男の子など、思った通りの過酷な状況の中でみんな暮らしていた。

その中でも、やっぱり子供たちは学校に行けることが一番の楽しみだと聞いて、やっぱりな〜という思いと、だるいな〜と思いながら学校に通う子が多いだろう日本と、その環境の違いについてあらためて考えさせられた。

学校だけじゃなくて食べ物などもそうだろうけど、あるのが当たり前の世の中になると、感謝しなくなるけど、本来はすごく喜ばしいことなんだろうなぁって。でも感謝の気持ちを忘れないって難しいことだなとも思った。

 

私が教育に興味が出てきたと言ったけど、日本の学校での教育にも興味があるけど、もう1つ方向的に興味深々なのは、今夜のテレビ番組で見たような、基本的教育さえ満足に受けられない環境にいる子供たちが学校で教育を受けられるように応援する活動。こういうことをやっている団体は結構あるけど、具体的にどういうことをしているのかもっと知りたい。

 

アフガニスタンだけでなく、ベトナムに行った時も思ったけど、満足な教科書も教室もないのに、本当に学びたくて来ている生徒達の表情には独特の輝きがある。そういう人たちのために何かしたい。

 

 

2002年8月12日(月) 家庭教師

 

朝から大雨。気分悪いな〜。

ガンガンに太陽が照って暑すぎるのも嫌だけど、大雨の方がもっと嫌だ。

 

そんな感じで、午前中はちょっと無意味に過ごしてしまったのだけど、午後は3人の甥の家庭教師をした。

6年生の夏休み帳には、邪馬台国の卑弥呼とか、藤原鎌足とか懐かしい単語が出てきて、ちょっと楽しかったけど、社会の教科書なしでは括弧を自力で埋める自信がないのが情けなかった。

小学生も子供によるのだろうけど、なかなかじっと問題集と向き合うのが苦痛なようだ。あまり集中力が続かない。

私が小6の頃はもう少し難しいことを学校でやっていたような気がするのだけど、今って結構内容は薄い感じ。

落ち着きがないと言われる今の小学生。基本的生活を身につけさせるだけで大変って聞くし、勉強はその次なのかも。。。

そうそう、これはアメリカも共通ってのがとても興味深い。はたして原因は!?

 

明後日は小学校の先生お二人にお会いするので、色々お聞きしたいと思っている。そのお一人は私の小6の担任の先生。

自分達が小学生だった頃と今の劇的な変化?についてたくさんお聞きできるかな。楽しみだ。

 

 

2002年8月13日(火)  陽射しが弱くなりました

 

お盆真っ只中。来週の今頃は、私は機上の人・・・。あと1週間の日本滞在です。

 

というわけで、今日も外出。

まずは、ある会報の執筆がきっかけで知り合った女性とランチ。

彼女は、ブラジルにも3年間滞在し、日系人について研究しているという女性で、とても共感する部分がたくさんあった。

私も実は、日系人史に興味が少しあるので、これからも色々教えてもらいたい!広島は移民県だしね。

 

鉢の木でカキ氷も食べ、おなかが一杯になったけど、夜も別の友達二人と外食。

 

彼女達は高校からの友達なので、相変わらずのベタ話しを5時間し倒した!あぁ、よく喋った!

”次に結婚するのは誰かね〜。うふふ。”とあと何年(?)言い続けるだろう。。。

 

 

2002年8月14日(水)  教育改革

 

さすがに毎日外出している疲れを今朝少し感じたけれど、待ち合わせ場所に到着したら元気になっていた。

今日は、サンルートの上にあるイタリアンのお店でランチをした。お相手は、私が小6の時の担任の先生と、その先生に紹介して頂いて、アメリカの小学校と国際交流をして頂いている先生。

先日のシンポジウムにも来てくださっていたのだけど、今日はお二人とゆっくりお話することができて大満足。しかも、そのお店は美味しく&リーズナブルな価格で、かなりお薦め

 

甥がみんな小学生なので、今の小学校の現状などにとても興味深々だ。

やっぱり私がこの先生に受け持って頂いていた約15年前とは随分クラスのサイズや授業内容、やり方なども変わっていて、とてもびっくりした。アメリカ化しようとしているようにも思える内容だけれど、それが子供たちに好影響を及ぼしているとはあまり思わない。勉強もどんどん私たちの時のいわゆる”詰め込み教育”から”ゆとり教育”に変えようとしているけど、習う量が減るだけで、考える力が養われなかったら目も当てられない結果になると思うし。

国際社会でトップレベルを保っていた日本の教育も、どんどん衰退していってるみたいで悲しい。。。

 

やっぱり国を支えているのは人間で、その人間の成長過程の”教育”にかける予算を減らしたら、国もダメになっちゃうと思うけどなぁ〜。はっきり言って、道路直すより、教育システムを根底から考え直して欲しいけど?

 

 

2002年8月15日(木)  テレビ効果

 

日本ではテレビっ子だった私も、アメリカではホストファミリーが見なかったので、私も数えるほどしか見なかった。

だから、ある意味、情報からはかなり隔離された状態だった。

が、日本に帰ってまたテレビ漬けの日々で、基本的にニュース番組をよく見るので1日に同じニュースを何度も見てしまう。(筑紫さんの番組がお気に入り。)

 

今日は終戦記念日ということもあって、盛りだくさんだった気がする。

 

中でも、ん!と思ったのが、教科書問題とユナイテッド航空情報。

 

ユナイテッド航空が経営不振で更生法申請の準備段階というニュースは寝耳に水だったので、ショックだった。UAといえば、超メジャーな航空会社だし、私も大学生の頃からUAばかり。マイレージでアジア往復チケットだって残ってるぞ!

まだ倒産した訳ではないけど、そんなに危機的な状態だったとは・・・。

まさか、というような会社が倒産するような時代って、精神状態悪くなるなぁ。

 

そして、余計に気分が暗くなるのが、この教科書問題

戦争を美化していて、アジアでの侵略・虐殺にあまり触れていないと言われている問題の教科書。(実際中身は読んだことないから分からないけど。)

こんな教科書が出来たということ自体怖いなと思っていたけど、こんな問題の教科書を使う学校なんてないだろうと思っていたら、愛媛県は来年からこの教科書を公立3校で使用することにしたらしい。信じられない。

そして、インタビューでも、教育委員長が、”私はできるだけ国の暗い歴史には触れず、明るい歴史に焦点をあてるような教育をしたい。”という内容のことを言っていた。

それを聞いて、私は自分がアメリカで子供たちに言っていることを思った。

 

”教科書などにはあまり自分達の国がやった酷いことについては書いてないかもしれません。日本だってそうです。だからあなたたちも広島・長崎に投下された原爆についてはあまり習わないと思います。でも過去に何が起きたかを知っておくことは大切だと思っています。なぜなら、人間は知らないと同じ過ちを繰り返してしまうからです。だから、みんなにあの日、広島・長崎で何が起きたかを知って欲しくて今日は来ました。日本でも同じように、自分達の国がパールハーバーやアジアで何をしたかを学ぶべきだと思っています。”

 

 

2002年8月16日(金)  荷物詰め

 

今まであまり実感がなかったけど、実は明日の朝、広島を発つ。

なのに、やっと昨日スーツケースを買って(前のはカギがちょっとおかしくなった!さすがに10年も使ったから・・・)、今日は日本食などの買出しに出掛け、夜から荷物を詰め始めた。

だいたい終わったけど、思ったより大荷物にならなかったのでホッとした。いつも私はどんなメンバーの中でも1番荷物が多いから。スーツケースは直接成田に送る。

 

あと、まだやることがあるので、今日は夜な夜なそれらを片付けます。

まだなんだか自分が1週間後にはホストファミリーと対面するという事実が信じられない。

まずは、無事入国できるように、運を磨いておかないと。

 

 

2002年8月17日(土)  広島を発つ

 

今日はいよいよ広島を出発する日。

東京までは新幹線で行くことにしたのだけど、お盆のUターンと重なって指定席は全席満席。

かなり憂鬱になったけど、広島始発を選んだら、全然余裕で座れた。ラッキー☆

火曜の成田出発までしばしの東京滞在を楽しむことにしよう。

 

2002年8月18日(日)  台風来てます

 

台風が近づいているらしく、今日の東京は秋のように涼しく、雨がぱらつく1日となってしまった。せっかくスライド撮影の1日にしようと思っていたのに・・・・

今日は、今更だけど、ミネソタへのお土産を見て回ったり、履き易いシューズを買ったり、渡米に備えた1日だった。相変わらず人で溢れ返っている東京だったけど、なんか落ち着いちゃうんだよねぇ。

 

2002年8月19日(月)  豪雨の中を・・・

 

今日は台風の影響で、朝から豪雨だった。止んだと思っても突然の殴りつけるような雨。参った・・・。

外に出るのもどうかと思う天気だったけど、今日は2件人と会うことになっていたので、覚悟を決めていざ出陣

 

お昼過ぎに待ち合わせたのが、同じNAC8期のめぐちゃん

彼女は7ヶ月のボルチモアでの活動を終え、10日前に帰国していた。私も帰国後のことなど考え中なので、そういうことなどを含め、話はつきなかった。

他の8期生より一足先にNACの活動を終え、次のステージに移るめぐちゃん。今後の彼女の動向にも注目だ!

 

そして、夜は、大学時代のゼミ担当教授宅にお邪魔し、お寿司をご馳走になった。

先生は小田急線の狛江に住んでいらっしゃるが、私も大学時代は隣の駅に住んでいたので、あの辺りはとても懐かしかった。

先生にお会いしたのは約6年ぶりだったけど、先生の第一声が”あら、以前より大きくなられました?!”だった。ガーン。

それはさておき、先生の奥様はアメリカ人で、なんとミネアポリス在住、そしてこれは昨日発覚したのだけど、クエーカーだった!あんなマイナーな宗派なのに、すごい偶然。

先生に今度はクリスマス時期にミネアポリスでお会いできるのを楽しみにしている。

 

 

2002年8月20日(火) 日本出発  

 

Believe it or not, 今日は再渡米の日だ。

 

今、ユナイテッドのロサンゼルス行きの便(しかもまた満席)に乗っている。

隣はアメリカ人の男の人二人組みだけど、話し始めると疲れそうなので、だんまりを決めこむ。

そう、今日は朝からまたお土産を買ったりしていたので、成田まで行った時点で既にお疲れ。

機内は最初相当揺れた。落ちないだろうと思いつつも、日航機の500人以上の犠牲者を出した事件を知っているので、安心はできなかった。それでも、10時間弱で無事ロスまで到着の予定。やっぱり西海岸は近いなぁ。東に比べると。

飛行機に乗った今でも、自分がアメリカに向かっているのが何となく不思議な気分。

1ヵ月半の日本滞在で、すっかり気分は日本モードになってるからなぁ。。。

ホントにミネソタまで辿り着けるんだろうか!?

それにしても、エコノミーシート、前の席との感覚狭いし・・・。新幹線の方が全然広い。

 

 

2002年8月20日(火) アメリカ到着 入管突破

 

空港に無事到着し、最初の超難関、入国審査に向かう。

1月にハワイに入った時は、本当に心臓がバクバクし、挙動不審かというくらいドキドキした。

でも、今回は、居直ったのか、自分でも驚くほど落ち着いていた。もう、なるようになれ!状態で。。。

 

長〜い列に並び、過去のレッスン通り”女性の審査官は避けたい!”とブースを見ると、今日は男性3人で、女性は一人も居なかった。少しほっとする。でも、3人の誰に当たるかは自分の順番が回ってくるまで分からない。じーっと3人の顔を観察してると、真中のおじさんが優しそう。この人に当たるといいなっと思っていたら、自分の順番が近づいてきたところで、4人目のブースがオープン。すると、そこに座ったのはプロレスのスタン・ハンセン(古い?)に似た、いかつい感じのおじさん。

しかも、その人の言動は荒らそうな様子。リアクションを見てれば分かる。

やばい、この人に当たりそう・・・と直感し、もう真中のおじさんじゃなくてもいいから、この人以外に当たりますように!と、”Next!"という言葉にびくびくしながら順番を待っていたら、危機一髪のところで、その人ではなく、端っこの若い男の審査官に呼ばれた。あぁ、良かった・・・。

思った通り、この若い審査官は威圧的な態度でもなく、淡々と”何のためにアメリカに来たのですか?”、”最近出国したばかりなのに、何故すぐに戻ってきてるんですか?”などなど、予想通りのことを聞いてきた。

でも、やっぱり6/8に滞在許可が切れているのに延長手続き中で出国したこととか、NACの活動についてどこがお金を出しているのか、など疑問点があったらしく、フォームに何やらサラサラと書き、”じゃあ、向こうの角にあるコーナーに行ってね。”とあっさり言われてしまった。ここで粘れば大丈夫だと思ったのに、次のハードルがあるのね。。。

 

その次の場所とは、1月にもNACメンバー3人が送られたという”別室”行き。英語では、Secondary Inspectionと書いてあった。ま、要は怪しいぞ!と思われた人が行くところね。

そういう場所らしく、部屋に入ると、受け付けコーナーがあり、審査官が一人座っていて、その向こうは暗い取調室のような部屋がいくつか並んでいた。

受付には私の前に、既に先客があった。黒人の少し怪しそうな人。(すみません。)その人は、”偽ブランドTシャツとか売ってるんじゃない?!”と疑われていた。ふむふむ。でも、容疑は無事晴れたようで(?)、少しすると出て行った。

そして、私の番。

 

でも、ここの審査官も若めの男性で、怖そうな様子ではなかったので、少しほっとした。(ほっとしてばかり。)

ここで聞かれたのも、まあ基本的なことばかりだった。NACって何する団体?お金はどこから出てるの?自分のお金を出すって、そのお金はどうやって貯めたの?なんで8月に帰ってまたすぐに戻ってきてるの???

そして、結婚してるの?と聞かれ、どう関係があるんだ?!と思ったけど、まだと言うと、お財布を見せてと言われた。なるほど、アメリカ人の彼を追って来たんじゃないかって可能性もあるってことね。残念ながら、お財布には何も怪しいものはありません。

そして、一番の問題だと覚悟していた例の滞在期間オーバーの件になり、長いけどここは最初からINSとのトラブルを説明しなきゃ!と思い、ハワイで・・・と切り出し、一生懸命説明していたら、もう最後の方で理解できなくなったのか何なのか、”もう2月以降は滞在を延長できないからね!”と言って、バンっと2月19日までのJ半年の滞在許可をしてくれた!やった〜!!早々に開放してくれてアリガト。15分程度で終わったので、予想より短くてラッキー☆

何よりも、これで晴れてミネアポリスで活動ができるということが嬉しい。

 

ロスでは午前11時前のその頃、日本は真夜中なので、意識も朦朧としながらロスで3日お世話になるカナさんに到着連絡のTELをした。そして、NACコーディネーターのメリーにも。

空港まで迎えに来て頂いて、今日はゆっくりと過ごした。

時差ぼけにならないように、今日の昼間は眠くても必死で我慢して起きていた。1時間のお昼寝だけで。

暑いだろうと思っていたロサンゼルスは、肌寒く、空も曇って灰色だった。あれっ、これがカリフォルニアだっけ?

 

 

2002年8月21日(水)  カナさん宅でリラックス

 

カナさんというのは、大学時代の友達のお姉さん。

結婚して今はこっちに永住していらっしゃる。

大学時代に1〜2度、少し挨拶をしたことがある程度で、ほとんど面識はないに等しかったが、メールでたまにやり取りをしていたので、そんな気もしなかった。その程度の知り合いでちゃっかりお邪魔してしまった図々しい私。

幅広いお友達がいらして、そんなに年も違わないのに凄いな〜!とひたすら感激してしまうようなステキな女性である。

 

昨日・今日と、日本人の旦那さんと3人で夕食を囲んだが、さすがロス。日本食料品店もたくさんあるので、日本食の不自由は全くないようだ。だから、日本で食べるのと同じような美味しい夕食に舌鼓を打った。

しかも、このご夫妻はワインを愛している。毎晩、ワインで乾杯。羨ましい。

ミネソタに行ったら飲めないかも知れないよ・・・と言われ、確かに・・・とワイン好きの私はたくさんご馳走になってしまった。

飲めないっていうのは、もちろんミネソタにワインがないわけじゃなくて、ホストが飲まない人かもしれない場合ね。

 

今日はカナさんとドライブがてら、本屋さんに行ったり、日本食材店を回ったりして、のんびりと過ごした。

あ、そうそう、カナさんが英会話のレッスンを受けているミネソタ出身の先生と会ったりね。

カナさんもロス生活2年。こちらでの生活もしっかり板についたようだ。大きな車でブンブン走るカナさんはかっこいい。

今日はロスにも青い空が午後から戻ってきて、やっと少しずつアメリカを感じ始めた。でも、ここロサンゼルスは他の州に比べると、本当に人種が混ざっていて、ヒスパニック系やアジア系がたっくさん。だから、まだ正直あまり、実感が沸いていないかも。きっと明後日ミネアポリスに着いたら、実感することでしょう。

 

昨日の夜は、意識を失うようにぐっすり眠り、夜中に1度目を覚ましたものの、またすぐに眠れ、9時間しっかり寝た。

そのせいか、今日は昼間も睡魔に襲われることなく気分良く過ごせた。

この調子で、時差ぼけに襲われることもなく、アメリカの生活に馴染めるといいな。

 

 

                                                   

 

                          ロサンゼルスの青い空とショッピングモールの車

 

 

2002年8月22日(木)  カリフォルニア!

 

今日は青い空が広がり、椰子の木が立ち並ぶフリーウェイなどを車で走っていると、”あ〜、カリフォルニアに居るんだな〜”と実感してしまった。嬉しい☆

陽射しは夏っぽいものの、風は本当に時に肌寒いくらい爽やかで、もうすっかり夏は終わったようだ。

日本も少しは涼しくなっているのかな。

ロードアイランドなんて20度もないようで、アメリカ北部の夏は本当に短いなと寂しくなってしまった。ミネソタもだろう。

 

午後は、カナさんにに連れて行ってもらった。

海はどこも綺麗。万国共通。

この海を眺める場所には高級そうな家々が立ち並んでおり、まだまだ開拓が続いていた。

さすが人口密度の高いカリフォルニア。

 

明日はいよいよミネアポリスに移動する。昼前にLAXを出て、デンバー経由で現地到着が夜の7時前。

ホストの誰が迎えに来てくれてるんだろぉ〜。

また、こことミネソタでは国内でも2時間の時差があるしね。

体調崩さないようにしないと。

 

それにしても、ミネアポリスにとうとう到着なんて信じられない気分。

早くどんな街か見てみたい。

 

 

        

                        ニューポートビーチ。裸の山がカリフォルニアっぽい。

 

 

2002年8月23日(金)  遂に新ホストに対面!

 

今朝はカナさんにLAX空港まで送ってもらい、ユナイテッドにてデンバー&ミネアポリスに向けて旅立った。

3日間の滞在、どうもお世話になりました☆

カナさんからは、学ぶことがとても多かったなぁ。しかも、毎日美味しい夕食を作るカナさんを見ていて、私も俄然料理を作りたい気分になってきた。ちょっとミネアポリスでは頑張っちゃおうかな〜。

 

ところで、デンバー空港で、ちょっと用があり、マサチューセッツにホームステイしているヨネに電話した。すると、彼女以外に、ニューハンプシャーに居るはずのアサミちゃんも日帰りで遊びに来ていた。そう、ヨネが今度ホームステイすることになった場所は、今のアサミちゃんのホスト宅から1時間半という近さなのです。でもこのアサミちゃんも数日後にはコロラドに移るらしい。みんなそれぞれ、新しいホスト宅で頑張る時期なようで、その話を聞くのも楽しい。

 

そんなことを言っているうちに、私も今日は新しいホストと初めてのご対面。

夕方7時に到着したミネアポリス空港では、ホスト父&母の二人が迎えに来てくれていた。といっても、二人とも30代半ばなので、若いけど。そう、写真で見るより、二人とも全然普通だった。(どういう意味?!)

お互い知らないことばかりなので、どこから話してよいか困ってしまった。聞きたいことがたくさんありすぎて。。。

 

空港から家まではたったの15分。そして家はダウンタウンの街中にあった。だから、飛行機の音も聞こえちゃう。

いわゆるよくある街中の家がたくさん並んでいるうちの1つで、すぐ横の家と隣り合わせで立っている。築100年だそうだ。

近所同士も仲良しらしく、子供たちはお互いの家を行き来して遊んでいるし、着いた時はちょうどパーティーを隣の人が庭でやっていて、そこで早速紹介してもらったりもした。

あの森に囲まれていたロードアイランドの家とは180度違う環境!!その余りの違いに愕然としてしまった。

そして、家は2階建てで私の部屋はその2階にあったのだけど、やっぱり部屋的には前の部屋の半分くらいかなぁ。

前の住環境があまりにも恵まれすぎていたんだなーってその時やっと実感した。ま、街中だからしょうがないよねぇ。

 

でも、何が救いかって、ホストファミリーが良さそうな人たちなので、安心した。

年もめちゃくちゃ上って訳でもないから、協力しながらやっていけそうな気がする。

そして、彼らは(多分)元ヒッピー。多分ね。

車にペイントするのが趣味だし(詳しくは今度)、子供も髪長かったりするし(笑)。

だから、面白い友達もたくさん居そうだし、母のマイナは学校の先生になるので、先生友達も多そう。

なので、プレをする先には困らなさそうな気がする。

 

でも、今はとりあえずこの新しい環境に適応しようとするのが精一杯。

あと2〜3日したらプレのことについても考え始めようと思います。