2002 December    

 

2002年12月1日(日)  丸1周年

 

HPに日記を書き始めたのが去年のちょうど12月1日。韓国が懐かしいねぇ〜、めぐちゃん!)

ってことは、丸1年書き続けてるってことになるんだー。我ながら続くとは思ってもみなかった。

ダラダラした日記を読み続けてくれた友達。ありがとう!

あと2ヶ月よろしく頼むよ〜。

 

今日は特にエキサイティングなこともなく過ぎていったのだけど、本を探しにダウンタウンに行ったら街が一気にクリスマスになっているのに気づいた。

サンクスギビングが終わり、クリスマス解禁!って勢いで・・・。

バスのドライバーにもサンタがいたし、何故か普段着にサンタの帽子を被ってるおじさんもいたし、サンタが大勢出没中。

これからアメリカ人が最もお金を使うクリスマスショッピングシーズンが開始。

かくいう私も、その雰囲気に乗せられてしまいそうなので、注意注意

 

 

2002年12月2日(月)  切れる寒さ

 

昨夜はネットサーフィンをしていたら夜中の2時を過ぎてしまって、イカンイカンと思い自分の部屋に戻ろうと、ふと外を見ると真っ白になっていた。雪だ〜。どうりで寒いと思った!

朝起きたら雪が山ほど積もってるかも・・・と楽しみに寝たものの、朝外を見ると、薄く積もってるだけだった。

なんだ、あれから降らなかったんだ。

 

真っ青に晴れ上がっていたけど、気温を見ると、マイナス12度!マイナス・・・。

今日は久しぶりにビクトリアとの日本語レッスンの予定が入っていたので、外に出てみるとまさに顔を切られるような冷たさ。痛いのだ!鼻がもげるかと思った!

車を持たず冬をミネソタで過ごすことがこんなにも辛いことなのだと体感した1日だった。

 

明日はサンクスギビング後の久しぶりの高校プレ。

でも日本文化プレなので、そこまで緊張はしてない。

来週、再来週とプレがほぼ毎日入っているので、それを考えるとちょっとブルー。でも頑張るぞ。

 

         

                   

 

                   雪は全く積もってないけど、塩が撒かれて真っ白になった道路。

 

 

2002年12月3日(火)  アメリカの高校の深い問題

 

今日は久しぶりのプレ。

でも、日本文化紹介(折り紙)のリクエストを先生から受けていたので、内容的には全然緊張しなかった。

だって、折り紙は自分の意見を問われるわけじゃないしね。

 

高1の国語のクラスを4つしたのだけど、早速3クラス目辺りから目が充血してくる。教えるのってエネルギー使うな〜。

まぁ、折り紙なので和やかに時間は過ぎて行ったけど、最後のクラスはとってもワイルドで、初めて怒鳴りたくなったくらい!これまで生徒に”静かにしろ〜!!”って怒鳴ってる先生たちを見ていて、”ヒステリックな!”なんて思ってたけど、今日はその気持ちがよく分かったね。

”この子たちだって元々は悪い子じゃないんだ。”と自分に言い聞かせても、”うるさいんじゃ!人の説明をよく聞け!”と怒鳴りたくなる。最後のクラスだけ代理の先生だったこともあって、生徒もなめてたみたい。

でも、最後に生徒の男の子が部屋を出て行くとき、”クラスがうるさくてごめんなさい。”と謝って出て行ってくれたことと、時間が足りなくて見終わらなかったスライドを放課後に見てくれた女の子が居たことなどは救いだった。

そう、一部の行いの悪い生徒のせいで、クラス全体が悪い方向に流れてしまうんだよね。

そういう一部の子達を救い上げるのも先生の役割だとは思うけど、折り紙の第一ステップでつまずいて”私、もうやらない!”って投げ出すような集中力のない生徒は、勉強以前の問題だと思う。小学生じゃないんだから。

やっぱり家での躾も問題ありだと思うよ。

 

日本でも”キレル子供”とか問題になってるけど、アメリカも同じような問題、いや、銃とかドラッグもあるんで、もっと根深く大変な問題に子供達は囲まれてると思う。

日本に居ても、アメリカに居ても、ちょっと将来は険しいねぇ〜。

 

あ、そうそう、余談だけど、今日の学校ではお昼のカフェテリアに、迷彩服を着た若い軍人が、高校生を軍隊にリクルートしに来ていてブースまで作ってて、軍隊とアメリカの学校の深い結びつきが異様な感じだった。

公立高校で軍隊が生徒をリクルートするのって、おかしくない?入り込みすぎだと思うけど。

 

 

2002年12月4日(水)  軍隊リクルートの続き

 

昨日の、公立高校で軍隊がリクルートという件でご感想を頂いたのだけど、そうなのです。アメリカの学校には軍隊がかなーり入り込んでいます。

同じセントポール市のある高校を訪問した時には、クラスに1〜2人ずつ軍隊の制服(迷彩服ではない)を着た生徒が居て、彼らがコツコツとブーツの音を立てながら廊下を歩いている様は異様だった。まるでナチが学校をパトロールしているみたいな恐怖感さえ感じた・・・。

彼らは大学に行くのも奨学金をもらえるらしい。何かそういうプログラムがあるんだそうな。

でも、奨学金をダシに若者を募るなんて、お金にモノを言わせて!って思う。リスクはあるけど、奨学金がもらえるんだったらまぁいいかなっていう生徒の気持ちもよく分かるし。これってひいては奨学金なんてもらわなくても親が余裕で学費も出してくれるような生徒はその戦争に関わるリスクを取らなくてもいいんだもんね。なんだかなぁ・・・。

これまで長年平和活動家などが、学校でのリクルートを止めさせようと頑張っているんだけど、なかなか切っても切れない関係らしい。アメリカって、本当に軍国主義の怖い国だと思う。

そう、最近、アメリカってつくづく怖い国だなーって思うんだよね。色々な意味で・・・。

 

今日は完璧なオフだったので、一人でバスに乗って"モール・オブ・アメリカ”に行ってみた。そう、アメリカ最大のショッピングモールね。

初めてダウンタウンへ行くのと反対方向のバスに乗ったんだけど、この近所には最近よく見かける"SAY NO to a war in Iraq"と書いてある看板が多いことに気づいた。みんな、どこかの団体から買って、家の敷地に立てるのだ。

この家も、あの家も戦争に反対の人達なんだ〜と思うと、とっても勇気づけられる。私だったら、かなり勇気が必要な行動だ。だって、やっぱりもし戦争賛成の人から嫌がらせをされたらイヤだなとか考えてしまうし。。。

私が今住んでいるエリアは、ミネアポリスで一番貧しく治安もあまり良くないとされているエリアで、それなのに私のホストファミリーや近所の人達はとてもこのエリアを愛していて、なんでだろう!?って理解できなかったけど、最近彼らの言っている意味が分かってきたような気がする。自分とは違う人にも寛容なエリアなんだよねー。ダイバーシティーっていうの?

 

ところで、私は今日から風邪を引き始めた気がする。

喉が少し痛く、頭も痛く、鼻声になってきた。寒いからな〜。

今日も雪が数センチ積もっていました。定期的に雪が降るようになってきた。冬到来!

 

 

                    

 

                        私の部屋から見た外の景色。雪が数センチ積もってます。

 

 

2002年12月5日(木)  風邪飛んで行け・・・

 

黄色の文字って目が痛いので、今日から紫に変更。ちょっとマシ?

 

今日もさっむい1日だった。雪こそ降らなかったものの、窓には雪の結晶がしっかり張り付いていた。

本当にあの雪印のマークみたいな形をしてるんだよねー。綺麗。

毎日スキー場に住んでる気分だ。積もってる雪はサラサラのパウダースノーだし。

 

いつも時間&何かに追われている気がしてるんだけど、今日はエイッと午前中寝て過ごした。

ちょっと今日も喉と頭が痛かったので、こういう時には休養が必要よねと理由をつけて。

今もまだ頭が少し痛いけど、何とか持ちこたえている感じ。たくさんオレンジジュースでビタミンCを取ってみた。

 

先日、アンって女性から電話があり、シャーロットがミネアポリスに来るんで一緒にご飯を食べましょうってことだった。

シャーロットは、私がニューハンプシャー州で数日お世話になった女性だ。

というわけで、今夜の夕食は、シャーロットとアンとそのダンナさんのデールの4人でギリシャ料理を食べに出掛けた。

アンとシャーロットは高校時代の親友だそうで、おばあちゃんになった今でも仲良しなのだ。

ダンナさんのデールは、1945年のクリスマスは佐世保で迎えたと言っていた。

こういう話を聞いた時、いつもどう反応していいか困ってしまう。

結局一般的な話しかしなかったけど。この件に関しては。

 

正直、このおじいさんの年代の人と戦争の話題を話すのはビクビクしてしまう。

原爆を落としたのは間違いだったと言う人から、パールハーバーがあったからだと言う人まで様々なので、その人がどういう考えの持ち主か分かるまでは、自分の意見をあまり言いたくない。

いや、どういう考えが分かってからでも言いたくないかも。

彼らがしてきた経験の前では、戦争を知らない私の意見なんて・・・と思ってしまい、聞き役に徹する私だった。   

 

     

 

       犬も丸くなる寒さ。シバはいつも可愛い☆                      窓に付いた雪の結晶。見えるかな。

 

 

2002年12月6日(金)  人間のたくましさ(ちょっと大げさ?)

 

今日からまた1週間、ミネアポリスを離れ、お泊りプレ。

今回は同じミネソタ内。といっても、ロードアイランドとは違い、広大なミネソタ。

バスで6時間近く北西に行ったところにあるベミジーという街が今回の目的地だ。

 

東海岸に居た時に、クエーカー関係でニューハンプシャー州に2度滞在したことがあるのだけど、その時お世話になったのがロイファミリー。その家族が、今年の夏、ミネソタにお引越しをした。で、私も追うように次の滞在先がミネソタになったので、じゃあまた遊びに行くよ〜と言っていたのが今回実現したのだ!

 

彼らは30代の若いファミリーで、子供は6歳とアニカと8歳のカイヤの女の子二人。

本当にアメリカにいて久しぶりにほっとするような暖かい、出来すぎた家族なのだ。

彼らは、環境問題に強い関心があり、ロイファミリーがミネソタに移ってきたのも、オーガニック(無農薬)食物を育てることが理由だった。ファーマーになるために、ミネソタにやってきたのだ!

 

この夏に引っ越してきて、そこから家を建て始めたからまだ完成はしていないみたいで、家の中も寒いらしい。このマイナス20度になる世界で、暖房があまり効かないのは、命取り!水もまだ出ないんだって。

というわけで、ゲストの私は、今回はお隣の家に泊めてもらうことになった。

お隣と言っても、ただのお隣ではなく、ロイファミリーの農場のパートナーなのだ。2家族が共同生活のような感じで、家は別々だけど、一緒に農場をし、子供達も兄弟のように行き来をしているらしい。

まだロイ家は水が出ないので、この家でシャワーを浴びるみたいだし、すっかり家族みたい。

なんだか不思議でしょ?

 

私はNACを通じて色んな家、しかも結構変わった家(一般的でない)にお世話になることが多かったから、多少のことではびっくりしなくなった。と思う。

人間、生きていこうと思ったら、どこでも生きていけるってことだね。

 

 

2002年12月7日(土)  そう言えば、パールハーバーだ。

 

夜の街をドライブしていると、家をライトでデコレーションしている家がとても多くなった。

特にこの辺はミネアポリス市内と違い、1軒1軒の敷地が広いので、デコレーションも規模が大きい。

庭に電球トナカイが居るケースが多い。イエスが生まれたとされる馬小屋とかね。

これでもか!というくらい家から電球がぶら下がっている家を見ると、電気代を心配してあげてしまう。すごい量なので。

 

今日は、ロイファミリーと一緒に、お母さんのジェニファーの実家に行って、クリスマスクッキーを作った。

正直クッキー自体は日本で作った方が甘味が押さえてあり美味しいけど、デコレーションはアメリカならではなのだ。

フロスティングといって、砂糖と牛乳に着色(原色ね)したものをクッキーの上から塗るのだけど、これがクリスマスっぽい。

もちろん、このフロスティングの味の方は、砂糖を食べてる感じで、着色も体には悪そうだけど・・・。

日本ではお正月用にお餅を作るけど、まさにクッキー作りはそのアメリカバージョンって感じ。

どんどん街はクリスマス一色になってきた!

 

あ、でも、今日はパールハーバー記念日だったんだ。

新聞には、パールハーバーの生き残り兵の記事が大きく載っていた。

やっぱりその記事を読むと、パールハーバーの悲劇が書いてあって、日本が悪い!と誰もが思う。

でも、ここから”だから原爆は良かった”という結論になるアメリカの思想が始まるのかと思うと、イライラしてしまう。

戦争や原爆、もちろんパールハーバーも正当化できる理由なんてないと思うし、何が良くて何が悪かったって簡単に言えないと思うんだけど。

 

来週月曜から3日間訪問するこの辺りの学校は、田舎なのでとても保守的らしい。

アフガニスタン攻撃の時も、学校をあげてアメリカ兵に食べ物を送ったとか。

そんな学校で、私はどういうプレをしようか、今週末はずっと悩んでいる。あぁ、苦しいなぁ。

 

     

 

      最後頃にはみんな飽きてくるフロスティング。               カラフルなクリスマスクッキーが出来上がりました。

 

 

2002年12月8日(日)  クリスマスキャロル

 

私が今滞在している家もクエーカーの家庭なので、今日の朝はここでミーティングがあった。

この辺りは田舎なので、クエーカー信者もほぼ皆無らしく、彼らは家で細々と信仰を続けているのであった。

でも、近くのベミジー大学の学生二人がゲストで来ていたので、今日は10人となかなか集まった方だ。

 

午後は、アメリカらしいイベントに参加した。

4Hクラブという、ボーイスカウトと似たような活動をする全国組織があって、それにこの二家族の子供達が参加しているので、今日はそのクリスマスイベントに行った。

20人以上集まった小学生を中心とした子供達が、家から持ち寄ったクッキーミックスの瓶を片手に近所のお年寄りの家を回り、クリスマスキャロルの歌(ジングルベルとか)を歌い、その瓶をプレゼントして回るのだ。

家は適当に周るようで、家のベルが鳴り玄関に出てみると突然大勢の子供達が歌を歌い始めるので、その様子はまさに”どっきりカメラ”(古い?)を見ているようで、かなり可笑しかった。

でも、お年寄りにしてみれば、突然の子供達からのクリスマスプレゼントで、かなり嬉しいだろうなぁと思う。かわいいし。

このクリスマススピリットは日本にはもちろんないもので、キリスト教国(一応ね。)ならではだなっと感心した。

 

明日は、ここから1時間離れたウォーカーという適度に大きな街の中学校を訪問する。中2x4クラス。

ロイ家のお母さん(ジェニファー)がこの学校にカウンセラーとして勤めているのだ。

ここは、結構ネイティブアメリカン(インディアン)と白人生徒の確執もあるみたい。

アメリカって、ホント色んな人種がいるので、人種間の問題は難しいなぁと思う。

自分たちが幸せじゃなかったら、それは世界平和を考える以前の問題だもんね。

何かの言葉にあったけど、”平和は内なる幸せから始まる”ってホントだなって思う。

   

     

   

  マイナス15度の中、1時間くらい家々を回って歌いました。サムっ!   家の前には彼らの広大な農場が・・・。夜は満点の星空です。

 

 

 

2002年12月9日(月)  やっぱり田舎だ・・・

 

ミネソタって田舎のイメージがあったけど、住んでるのがミネアポリスという都会なので今までそのことを忘れていたけど、やっぱりこの州は田舎だ・・・。

平らな農地と森林、そして湖などが続くとっても美しい田舎。

 

今日は朝5時起きで(辛)、そんな場所の中学校を訪問した。

この辺の学校は、幼稚園から高校3年生までが1つの建物に居る場合が多いらしく、今日の学校もまさにそれだった。

といっても、生徒数はそこそこ居る。1学年が100人くらいかな。

 

生徒の大多数は白人で、あとはネイティブアメリカンの子が15%くらい。アジア人は皆無

この学校で何が驚いたって、とても”ミリタリー”の色が強かったこと。

何がってこともなかったけど、会話の節々がね・・・。

例えば、先生の中には何人か”リザーブ”という、いざ国に何かがあれば出動しますよっていう軍隊のスペアみたいな人達がいて、その中の一人の先生は来月からボスニアに1年半行くらしい。だから、代理の先生を募集してるんだって。(何が最悪って、みんな彼がボスニアに行くことを話つつも、何をしにボスニアに行くかは全く知らないのだ・・・。私も知らないけど。)

そして、今日私が訪問した社会の先生も実はその一人で、軍から何かの事態の時に要請があれば、72時間以内に出動しないといけないことになっているんだって!家族は心の準備も何もないねぇ、これじゃ。

ランチの時間に隣に座った先生も、自分の息子は日本に何年か住んでるって話をしてたので、よくある英語の先生かなと思って聞いてみると、三沢基地にいる空軍隊員だって。

 

本当にこのエリアでは、軍隊が一般的みたいで、学校にももちろん定期的にリクルートしに来るらしい。

先生の中にも、”行け行けアメリカ!”って人が数人居るみたいで、やっぱりこんな雰囲気の場所や学校で育つと、ミリタリーは格好良いとか、アメリカ万歳って感じになると思う。典型的な田舎の雰囲気ね。

 

今日の社会の時間も、日本の社会や文化について話して欲しいという特別なリクエストがあったので、あえて原爆の話などにはあまり触れなかった。だから、正直達成感があまりない気分だった。

でも、明日の先生は、是非ヒロシマやナガサキのことを話して欲しいというリクエストがあったので、中1に何が良いか迷っているところだけど、頑張って伝えてこようと思う。

 

 

2002年12月10日(火)  2日目ミッション終了

 

昨日から連日慣れない5時半起きをしている。

起きた時はもちろん外はまだ真っ暗。が出てる。

で、6時すぎにジェニファーの車で家を出て、1時間掛けてようやく学校に着く頃に明るくなってくる。

最近、日の出は7時半くらい。日の入りは4時半。

だから、学校に行く途中で日が昇り、学校に帰る途中に日が沈むのだ。光に当たる時間が少ない。

でも、広大な景色に太陽が昇ったり沈んだりしていく様子は、描写できないくらい美しい。

 

今日のプレは、中1のクラスを連続4クラス。休憩時間は4分なので、あってないようなもの。

さすがにずっと連続で話していると、どのクラスにどの話をしているのかさえ分からなくなってくる。

でも今日は何故か最後まで気力が持ったので、なかなか良いプレができたかなと思っている。

 

1コマが43分しかなかったので、その中で中1の子供達に分かりやすく原爆の話をするにはどうすれば良いかなと昨夜から悩んでいたのだけど、先生がとても協力的な人だったので、新しいパターンを試してみた。

話→広島の今のスライド→”サバイバー”のビデオ→話

これで40分ぎりぎり。もちろん30分のビデオは全部見せられないので、半分でカット。スライドも必要最低限だけ。

生徒から質問こそたくさんは出なかったものの(いつものこと)、ちょっと生徒の顔に手ごたえがあったので嬉しい。

 

子供って、親が言った事・信じていることを信じるもの。

この閉鎖的なコミュニティーで育った子供達に、少しでもアメリカだけが世界じゃないことを知ってもらいたい。

多くの子が、イラクを攻撃するのはサダム・フセインが悪いから、イラクが核を持っているからと信じているけど、アメリカだって核を持っていて、それを唯一使ったことのあるのはこのアメリカなんだよってことも認識してもらいたい。少なくとも今日の先生はそのことをよく理解されていたので、安心した。

 

いやぁ、それにしても、パールハーバーって田舎に行けば行くほどすごいね。

今日の子供達は、9割くらいがパールハーバーの映画を見てたよ。そのハリウッド映画から情報を得てるんだから、ちょっと偏ってると思うけど。

 

 

2002年12月11日(水)  生徒の飴とムチ

 

2日連続の超早起きが身にこたえてきたのか、今日は学校に着いてからもかなり眠く、頭の冴えない朝だった。

 

今日のプレは同じ学校の高校生への原爆プレx3クラス。

アメリカ史のクラスだったのだけど、先生が月・火と事前にマンハッタン計画など原爆について学習しておいてくれたのでかなり有意義なプレになったと思う。やっぱり49分の短い授業時間では、本当に一部しか語れないので。。。

 

1番目のクラスは、無難に終わった。生徒も気軽に質問などしてくれたし。さすが高校生、色々意見を言ってくれて嬉しいな〜と思っていたのも束の間、2番目のクラスは静かだった。そして、この2番目のクラスは、何より、彼らの発言がかなりネガティブだったので、終わってから暗ーい気分になってしまった。

例えば、”戦争はどうせこの世からなくならないのだから、僕は核の脅威とか無視することにして生きてる。”とか、”イラクが核を持っているのは怖いけど、多分私の生活には関係ないからあまり心配してない。”などなど。

残念だけど、日本の学生もアメリカの学生も、自分には関係のないこと、そう感じている子も多いのだろう。

そして、生徒の中には、ナショナルガード(国家防衛?)に入っている男子生徒もいて、彼は原爆投下は当時の最善の手段だったとはっきり言ってのけた。正面切ってそれを言う高校生って今まであまり記憶にないんだけど・・・。

まぁ、そんな彼らも核兵器の危険性は理解しているようで、イラク攻撃では核は使われないと思うと言っていた。その理由は、今アメリカ以外何カ国も核兵器を持っている状態でアメリカが使ってしまったら、他の国も使い、最終的には核の冬が来てしまうから、ということだった。

 

ランチ前のこの2番目のクラスで、一気にどんよりした気分になってしまい、最後の3番目のクラスはどうしようかと絶望的な気分になってしまったけど、逆にそれでふっきれて、最後のクラスでは予定外の日本のスライドなども見せ、少し元気よく終わることができた。やっぱりスライドジャパンの威力って違うな〜。

NACの”スライドジャパンで日本に親しんでもらい、次に原爆の話”っていう方法はやっぱりベストだと再認識した。

 

とりあえず、今日のプレはある意味やりがいがあった。

アメリカ中西部のド田舎なので、テロの脅威もましてや戦争の脅威も生徒はあまり感じていないことがよく分かった。

都会の学校でのプレも良いけど、やっぱりこういう典型的な田舎でのプレは大変だけどやりがい大

今日のプレが生徒にどんな印象を残したのか不安だったけど、放課後廊下を歩いていたら、女生徒二人が駆け寄ってきて、”今日のプレすごく良かったって言おうと思って。今まで知らなかったから、知ることができて良かった!”と言ってくれた時は、涙が出そうに嬉しかった。

そう、やっぱりパールハーバーをアタックした日本が悪いんだって思う生徒がいてもいい、少なくとも中にこんな風に感じてくれている生徒がいればって思った瞬間だった。

 

 

2002年12月12日(木)  ソリに乗って

 

3日連続のプレも終わり、今日は1日オフ。ふふふ、8時まで寝た!

でも、ゲストで来ているとゆっくりはできない。子供達をエンターテインしないと・・・。

ジェニファーの女の子二人はホームスクールなので、学校に行かず家でお父さんと勉強している。まさにヨネ家のJRね。

と言っても、何時間も勉強する様子でもなく、これで学力的には一般の学校に通っている子供達に劣らないのかなと少し心配してみたりするけど、今のところ大丈夫そう。

 

一緒に粘土細工を作った後は、外でお遊び。

雪がまだ残っているので、ソリを使い2時間近く外で遊んだね。

ソリを引っ張らされ、久々に走ったね。ゼーゼーした。

この辺は平地ばっかりだから、坂もないから滑べらないし。

 

そんなこんなで今日も終わり、明日はミネアポリスに戻る。

この田舎での生活、短い間だったけど楽しかったな。

そして、全くツインシティーとは雰囲気の違う、典型的なアメリカの田舎の学校も訪問できたし。

今日、ジェニファーが帰ってきて、”中学生が自習の時間にまだ原爆でなくなった人の数を話していたわよ。2日前のことをまだ話してるっていうのは良いサインね。”と教えてくれたので、それを聞き、やっぱり来て良かったなと思った。

そう、全員に受け入れられなくても、数人の生徒に何らかのインパクトを残すことができればそれは大成功なのだと思った。

 

 

2002年12月13日(金)  1年総決算の時期

 

今日また6時間掛けてバスでミネアポリスに戻って来た。

やっぱりなんだかんだ言っても、ミネアポリスとこのホストの家が落ち着くようになってきた。

まさに住めば都とはこのことか。

 

私がここにいるのもあと1ヵ月半

他のNAC8期のメンバーはもう週末には日本に向けて旅立つ子もいるし、あと3週間くらいしたら残りの二人も帰ってしまう。

何だかこの1年無事に終わることについてはほっとするけど、同時に寂しい気も大いにする。

一緒に不安を抱えながらハワイに向け出発したのがもう約1年前のこととは・・・。

 

今は、日本に帰るのが楽しみなような、でももうアメリカの子供達とこんな形で出会うことはないだろうという寂しさが混じり、複雑な気持ちだ。

でも、NACに参加して本当に良かったとしみじみ感じる今日この頃なのだ。

 

 

2002年12月14日(土)  ツリーの出番

 

今日は外は冬とは思えないくらいの暖かさだったらしい。

でも、私は一歩も外に出てないので、分からない。

1週間留守にしていたので、部屋の片付けや、Eメールの返事、そして今週お世話になった先生方へのサンキューカードなどを書いていたら、1日があっという間に過ぎた。事務日

 

そして、うちでは今日やっとクリスマスツリーを飾った。

アメリカでは、多くの家が、生の(?)もみの木を毎年買うか切るかしてくるようだ。

 

私が小さい頃にはクリスマスツリーが実家に飾ってあった気がするけど、引越しを重ねるうちになくなってしまったようで、クリスマスにはケーキを食べたり、サンタが枕もとにプレゼントをっていうのはあったけど、ツリーはあまり記憶にない。

アメリカの家庭のツリーは、オーナメント(飾り物)に家々の歴史があって、見ていてとても楽しい。

”これはおばあさんが作ってくれたもの。”、”これはエイブラムが幼稚園の時に作って帰ってきたもの。”などと1つ1つを思い出しながらみんなで飾るのは歴史を知らない私でも楽しかった。

日本では生もみの木を毎年っていうのは大変そうだけど、偽もみの木でもいいから、来年から実家でも飾りたいものだと思った。

 

さて、明日は日曜だけど、ミネアポリスのクエーカーミーティングで大人向けのプレが午前中に入っている。

いつもはスライドやビデオなどを使ってのプレだけど、明日は時間も45分と短めだし、クエーカーの人達だからヒロシマ・ナガサキについてはある程度知っているであろうから、私がアメリカでNACの活動をしてみて感じたことなどを話そうかと思っている。初めての試みだから、ちょっと不安だけど、いつものように何とかなるだろう・・・。

 

 

2002年12月15日(日)  明日も早起き

 

もう12月も半分が終わり、今年も残すところあと半月・・・。

日本だと”あと○日で今年も終わり・・・”という感覚だけど、アメリカでは、”クリスマスまであと○日って信じられる〜?”って感覚で会話に出てくる。やっぱりクリスマスがメインなのね。1/2から始まる学校もあるくらいだし!

 

今日の午前は、ミネアポリスのクエーカーミーティングでプレを行った。

昨夜も書いたように、時間も短めだったし、きっとクエーカーの人達は原爆についてもある程度知識があるだろうと思ったので、いつものような映像を使ってのプレではなく、この1年間のNACの活動を振り返っての感想やイラク攻撃について思うことなどを話し続けた。その後、質疑応答で、ちょうど45分が終了。

大人ってやっぱり色んな質問が出るから、しーんとなる高校生よりやりやすいなぁ。

 

明日、明後日と以前10月の頭に日本文化プレで訪問した高校を再度訪問し、今度は原爆プレをする。

前回は1日に6クラスやってとても大変だったので、今回は2日に渡り、3クラスずつにしてもらった。ちょっと気が楽。

朝6時半にローラ先生が迎えに来てくれるので、5時半起きだ・・・。

今週頑張れば、冬休みに突入。ラストスパート頑張るゾ!

 

 

2002年12月16日(月)  分割正解

 

今日の高校でのプレ、6クラスあるのを2日に渡り3クラスずつに分割してもらって大正解だった。

やっぱり6クラスも連続ですると、自分が何をどのクラスに言ったのか分からないくらい頭が混乱してしまうし、気力的にもなかなかそんなに長時間緊張感が続かない。

だから、今日の1時間おきの3クラスはとても良い感じでこなすことができた。

 

以前10月初旬に日本文化紹介で訪問したことがある学校だったので、生徒達もまだ覚えていてくれて、やりやすかった。

しかも、日本語を取っているくらいの生徒達なので、とても好意的だし、日本に興味を持ってくれているし、何より担任のローラ先生のヘルプが大きかった。

彼女は実は私より1つ年下というまだ若い先生なのだけど、去年の夏初めて生徒と一緒に広島を訪問して大変ショックを受けたそうで、その時に聞いた被爆者の方のお話などをシェアしてくれた。

私より熱がこもってるなぁと感心してしまったくらいだ。

やっぱりこういう時には、アメリカ人の先生のヘルプって大きい。やっぱり日本人としての立場で言うのと、同じアメリカ人が言うのとでは少しニュアンスが違ってくることもあるし。

 

このローラ先生。今週の日曜からクラスの生徒8人を連れて、日本に2週間行くそうで、すごくウキウキしてた。

関西→広島→福岡(これは1週間のホームステイ)という旅程だそうで、広島も2泊入っていたのがすごく嬉しかった。

やっぱり生のヒロシマや原爆資料館を見るのはインパクトが違うだろうし、語り部の方のお話も聞きたいと考えているそうで、そこまでしたら生徒に与える影響はかなり大きいのではないかと期待している。

私が広島に居れば色々案内するのに〜!

でも代わりに色々情報を教えてあげた。三滝寺とか。

 

 

2002年12月17日(火)  日本の学校教育、どうなってるの?

 

昨日に引き続き、今日も家を6時半に出て、ローラ先生の日本語のクラスを3つ訪問。

今日のプレも、ローラ先生とのコンビネーションのもと、いい感じにこなすことができた。

昨日プレをしたクラスも今日は見学だけしたのだけど、昨日のプレのフォローアップということで生徒が感想を述べていた。ある真面目そうな女の子が、”昨夜この原爆のことを家族と話し合いました。お父さんは、日本に原爆を落とす必要があったと言ったけど、私は絶対そう思わないので、ケンカになりそうでした。あのビデオを見た後、どうしてもあれが良かっただなんて絶対に言えません。”というようなことを皆とシェアしてくれていた。

家で話題に出してくれただけで、嬉しい。やっぱり多くの大人は、原爆は必要だったと言うかもしれないけど、頭が固まっていない若い彼らがで感じ、今後戦争や核兵器の話題について考える時、被爆者の方たちのことを思い出してくれればそれはすごく嬉しいことだ。

全員に伝わらなくたっていい、こういう子が一人でも居れば、それは成功だ。”Better than nothing”ね。

 

1つ気になったことがある。

この学校には日本人留学生の女の子が一人いて、日本語のクラスも取っていたのだけど、彼女も原爆のビデオを見るのは初めてだった。そして、日本の高校の様子を聞くと、ヒロシマ・ナガサキのことや、アジア侵略のことなどほとんど習っていないというのだ。

歴史の授業では、教科書に書いてある通りに進むだけの授業で、何一つそういう大切なことを学んでいないらしい。

彼女は横浜の公立高校に通っていたそうだけど、ヒロシマと関東の温度差なのか、学校の違いなのかよく分からないけど、日本の一般高校ではどんな教育が今なされているんだろうかとかなり不安を覚えた。

以前にも日本の若者は歴史を知らなすぎるとアメリカ人から指摘をされたことがあるけど、私もそう思う。

アメリカでヒロシマ・ナガサキを語るのももちろん大切だけど、その前に自分の国の教育をどうにかしろと言われそうだと思い、恥ずかしい気分になった。

 

それともう一つ、韓国からアメリカ人夫婦の養子になった男の子がクラスに居たのだけど、すっごく良い子なのだ。

その彼は、自分の本来の国である韓国について勉強しているそうなのだけど、ある在米韓国人から”日本は過去にアジアにしたことを次の世代に教えてないし、国として謝罪もしてない。”と聞いたらしく、本当ですか?と聞いてきた。

彼が本当にすごく素直な良い子なだけに、それを認めるのは辛いけど、今の日本を見ているとその通りだと言わざるを得ない。ただ、私の通った学校ではしっかりそれらの教育はなされていたので、幸いだった。

ヒロシマ・ナガサキを語るのが恥ずかしくないように、アジアの問題もしっかり後処理をして欲しいと思う。

 

 

2002年12月18日(水)  雨降り

 

今日は1日お休み。

朝から雨が降る、暖かい日だった。外に出てないけど、スリッパを履かなくても全然寒くないのをみれば分かる。

この時期に雨なんてとても珍しいらしい。確かに雨なんて久しぶり。だいたいこの時期だとになっちゃうからなぁ。

 

洗濯をしたり、クリスマスカードを今更ながら書いたりしていたら1日が終了。

また明日、明後日と高校でのプレ。ミネアポリス市内の日本語のクラスにて。

でも授業時間が短いので、何をするかまだ考えていない・・・。

しかも、残り2日となったクリスマス前の授業なので、生徒もだれてるんじゃないかなぁ〜と思うんだけど。どうだろう。

 

 

2002年12月19日(木)  寝た気がしない・・・

 

今日どんなプレをしようかと昨夜ベットの中で考えつつ眠りに落ち、朝方目覚めてまた考え、眠りに落ち・・・を繰り返していたら、全然寝た気がしなかった。

今日のプレは55分クラスだったので、その中で日本紹介&原爆についてどう話すのが一番良いかと悩んでいて、結局教室に到着するまで答えは出なかった。

NAC活動を開始してから、約1年が経とうとしているのに、まだ毎回悩んでしまう。クラスの年齢層、人数、授業時間などでかなり違ってくるから・・・。でも、なんとかなるさという度胸?はついてきた気がする。

明日も日本語を取っている高校生。でも、授業時間が以上に短く、40分くらい。そして、何と言ってもクリスマス休暇前の最終日。日本だとなんて言うんだっけ、終業式の日?そんな日に原爆プレって厳しいな〜。今夜また悩まなきゃ。

 

そう、今日は日本語1のクラスを3つ訪問したのだけど、今日の学校もかなり街中の学校の雰囲気だった。

廊下を歩くと、圧倒的に白人生徒以上に、黒人&アジア人の生徒数が多い。特に日本語のクラスは、セントポールの学校と同じく、半分以上がモン族の生徒。やっぱりミネアポリスとセントポールの学校ってモン族が多いという点では特殊だな。

でも、彼らが同じアジアの言葉に興味を持ってくれるというのは、嬉しいことだ。

 

でも、やっぱりアジア人の生徒って一般的に言って、静か。発言が少ない。

だから、そういう意味では、イマイチ盛り上がりに欠ける。あと、無表情の子が多めとかね。

アメリカで生まれた生徒も多いだろうけど、ラオスやタイの山岳部から物心ついた後に難民としてアメリカに来た生徒も結構いるはず。かといってアジア人がどこの国も静かとは限らないんだろうな。だって、大学に居た中国人留学生などはかなり積極的だったし。Hmmm.

 

 

2002年12月20日(金)  の、喉が・・・

 

やっと今年最後のプレが今日で終了!次回は1/9から。

今日は学校も終業日だったから、子供達もあまりやる気なし。授業の代りにパーティーをするクラスも多く、こんな中での原爆プレは何とも異色・・・。

しかも特別時間割で、1クラスが45分しかなく、先生のお話時間を省くと正味40分くらいのものだった。

だから、日本のスライドは無しで、いきなりお話&”人間をかえせ”のビデオで4つのクラスをこなしたけど、その割にはまあまあ良かったんじゃないかなと思う。

 

最近連日1日3〜4回このビデオを見ているので、セリフまで覚えてしまいそうな勢いだ。でも、毎回黒焦げになった子供や、背中を火傷している谷口さんの映像を見るのは辛い・・・。

このビデオはすごく良くできているのだけど、1985年くらいに作られたものなので、少々状況描写が古い。”ソビエト連邦”のままだし。それから17年経過しているので、もう少し新しい状況や被爆者の方々の現状を加えたビデオがないものかな。しかも、プレで使えそうな20分くらいのものが。広島市でこういうビデオを作るプログラムがあれば是非参加させてもらいたい気がするけど、やっぱりこういうのは民間で作ることが多いのかしら。

 

昨日から少し喉がイガイガしてたんだけど、今日は本格的にイガイガ。

夜になった今は、声もかすれてきた。

今回は熱じゃない代りに、喉がやられたらしい。そういえば、今週は生徒の近くにいて、しかもゴホゴホしてる子も結構いたしなー。やっぱり教室には風邪菌が蔓延してるのかも。。。

明日からプレがないのが不幸中の幸いだ。

 

 

2002年12月21日(土)  海外永住者

 

相変わらず喉イガイガと咳の症状が。

でも、熱があるわけではないので、やる気を削がれることがないから助かる。

だから、今日は昼前から、日本人のアキコさんの家に遊びに行った。

アキコさんは、丸木夫妻のペインティングがミネアポリスに来た時にお世話をされたり、5年前には被爆者の沼田鈴子さんを招いたりされた方で、平和活動に積極的に関わってる人だ。

他にもあとお二人の日本人の方がいらして、みんなでアキコさん手作りの超日本食(湯葉や煮物、手作り梅干など)を囲んで楽しい時間を過ごした。

日本から遠く離れた土地でこうやって頑張って暮らしてる日本人の人がたくさんいるんだな。

私は数年だったら日本から離れられるけど、海外に永住ってのはあまり考えられない。その勇気はないなぁ。

 

 

2002年12月22日(日)  看板立てました

 

今日のクエーカーミーティングは、おなかがなって全然集中できない、我慢の1時間だった。

朝ご飯食べて行ったのになぁ。かなり恥ずかしくて、消えたい気分だった・・・。

こういう時に、静寂のクエーカースタイルは困るね。

 

気を持ち直し、午後からは近くの劇場で行われたを見に行った。

これには、マイナのお母さんのラケルが出演していたので、マイナの家族はみんな見に来ていた。

別にラケルはプロの劇団員というわけではなくて、ボランティアを含めた女性たち35人が出演するチャリティーの劇だったのだが、その割にはとても良かった。神秘的な感じで。

せっかくミネアポリスのような都会にいるのに、芸術的なことをあまりしてないのがちょっと心残り。

 

日本のインターネットを読んでいたら、1月後半にイラク攻撃が始まる可能性が高いって書いてあって、それを文字で読むのはやはりショックだった。国内でも反対している人はたくさんいるのに、その声が全く無視されるなんて、この国はもはや民主主義の国じゃないなぁと感じた。

せめてもの抵抗で、今日は家の前にイラク戦争反対の看板を立てた。これはここ最近市内でよく見かけるもので、私もクリスマスプレゼントに是非ホストにプレゼントしたいと思っていたのだ。

1つの看板だけど、同じ思いを持っている人には大きな意味を持つ心強い看板だ。

やっぱり意思表示をすることって大切だと最近よく思うのだ。

 

 

2002年12月23日(月)  クリスマスショッピング完了

 

何故だか今年のクリスマスはアメリカに居るのに、そこまで”クリスマス!”って気がしなかった。

プレに追われてあっという間に12月も半ばを過ぎたからか、ホストファミリーがそこまでクリスマスを騒がない家だからか。多分後者かな。

だからかどうか分からないけど、今日までクリスマスショッピングというものをしてなかった。頭にあまりなかった。

みんな先月末くらいから早々に開始してるのにね。

昨日はたとそのことを実感し、焦って今日はバスでモールオブアメリカに出掛けた。人が多いのは分かってたけど、新宿伊勢丹の人ごみで鍛えてあるので、全然大丈夫。

 

私の他にも、ラストメネットショッピングに追われる人達が、大きな袋をいくつも抱え買い物に勤しんでいた。

ここまでくると、完全に”義務感”のショッピングになってる感じ。

確かにプレゼントをもらうのは嬉しいけど、そこまでモノに執着しなくなった私は、別にプレゼントなくてもいいかも。

クリスマスツリーのデコレーションしたり、クリスマスクッキー焼いたりとか、そういう雰囲気が楽しい。

 

結局何を買おうかと迷いながらショッピングしてたら、買い物を終えたのは夜の10時

それでもまだ人は沢山いたし、今日はなんと11時までオープンしているのだ。

やっぱりアメリカは消費社会だなあと痛感した1日だった。(私もすっかりその一員・・・)

 

 

2002年12月24日(火)  クリスマス・イブ

 

日本のクリスマス・イブって言うと、今年も例年通り、きっとカップルで街は溢れ、山下達郎とかワムのクリスマスソングが流れてるんだろうな。日本はクリスマスって、子供とカップルのモノって感じで、ちょっと偏ってるよね。(偏見?)

こちらはクリスマス・イブももちろん家族で過ごす楽しい1日。

 

昨日まで雪がまったく積もってなかったのに、今朝起きてみると1〜2cmだけだけど、積雪が・・・。やった♪

今日は午後からグレッグのおばあさんの農場にみんなで向かい、そこにはまた30人以上の親戚一同が溢れ返っていた。

以前サンクスギビングの時に一度会っている人達なので、今回は少しはリラックスできた。

 

今夜はサンタが来るよって聞いてたので、どうせ家族の誰かが仮装するんでしょ?なんて思っていたら、夜の7時きっかりに本当にサンタが来た。しかも、家族サンタじゃなかった・・・!

やって来たのは、一般的なイメージ通りの、白髭をたくわえ、少し体格の良いおじいさんサンタ。

サンタが座る椅子の前には小さな子供達が正座してワクワクした顔でサンタを見上げている。カワイイ!

そして、サンタは子供達にプレゼントを配り始めた。子供達だけだと思っていたのに、その中には私へのプレゼントもちゃんと混ざっていて、気が利くサンタだと感心した。