2001 December

 

                  

2001年12月1日(土) 雅子さまのニュース

 

今日から12月なので、気分一新頑張ろう!と思っていたのに、1日終わってみるといつもと変わらない生産性のない一日になってしまって、自分でもガッカリ。 今日はとりあえずメールの返事を書こうと思い、昼間からパソコンに向かってみた。 まだ数十通返事をしていないメールがあるけれど、大半は英語のメール。 やっぱり英語となるとつい構えてしまって、なかなか取り掛かるまでに時間が掛かる。

そうこうしてるうちに友達が携帯のメールで、雅子さん女の子誕生!のニュースを教えてくれた。 テレビをつけてみたら案の定全局そのニュースばっかり。 夜になった今もずっとだから、これは相当すごいことなんだ!と実感。 やっぱり同じ兄弟でも紀子さんの子供の時とは扱いが全然違うんだなぁ。 つい最近までは申し合わせがあったのだと思うけど、ほとんどそのネタにはマスコミも触れることはなく、アフガニスタンのことばかりだったのに、数日前からは報道陣も皇居の辺りに張り付いて報道合戦。 昨日からはテレビを見ていても、途中番組を中断して”入院される模様!”とか、”陣痛が始まったようです!”なんて事細かに教えてくれて、そこまで詳細を教えてくれなくても・・・と思ったのは私だけかな?

国民の象徴にはプライベートもないなんて、可哀想。 ともあれ、やっと念願の子供が無事誕生ということで、良かった良かった。 さて、私はこのニュースはもう十分見させてもらったので、今夜は久しぶりに竹内まりやなんて聞きながら、来週の韓国旅行の準備でも進めよう。 いきなり今週韓国行きを決めたので、ホテル探しが大変だ! 

 

 

2001年12月2日(日) 髪を切りました

 

今日はめずらしく午後から美容院へ行くという予定が入っていたので、急いで仕度をした。 外は12月の声を聞いたのにまだまだ暖かくて、ジャケット1枚でOKな気候だった。でも韓国は寒いんだろうなぁ・・・。

美容院では、せっかく髪を伸ばし中だったのに、あまりの中途半端さに耐え切れなくなって、また肩まで切ってしまった。

去年の夏からずっと伸ばし始めているのに、一進後退を繰り返していて、全然ロングにならない! 何故髪を伸ばし中かっていうと、アメリカの美容師さんて不器用な人が多そうだし、日本人の髪って切り慣れていないだろうから、できることならアメリカで切る回数を減らしたいと思って、手の掛からないロングを目指しているという後ろ向きな発想から。

留学していた時はアメリカでパーマを掛けたりしていたけど、なんだかいつも爆発したような髪型で、あの頃の写真を見せるとみんな必ず大爆笑なので、もうあんな風にはなりたくない。

とりあえず頭がさっぱりしたところで、酒屋さんに行って、韓国の知り合いへのおみやげにする日本酒選び。 韓国のサラリーマンへのおみやげって難しい! しかも私は日本酒はほとんど飲まないので、何がいいか分からず、店員さんに勧められるままに広島の地酒を買ってみたけど、広島の日本酒ってメジャーなのかな? ホシノカンバイとか久保田とかよく聞く気がするけど、そういうのはあまりなく、広島のお酒をメインで扱っているお店だったらしい。 まあ、無難な線で大丈夫でしょう。 でも、その人がお酒がダメな人だったら、ダメじゃん?

 

 

2001年12月3日(月) 韓国の準備準備

 

とうとう明日から4泊5日の韓国旅行! 寒そうだけど、楽しみ〜! でも今回の旅行は1週間前に決まったばかりなので、まだ心と荷物の準備が・・・。

なんで行くことになったのかというと、最近、1年ぶりにソウルの知り合い(2年前に仕事の関係でアメリカで出会った人)にメールを出して、1月から渡米することを伝えたら、”じゃあ、その前に韓国に遊びにくれば?”って話しになり、確かにそれは良い案だと思ったのだった。 久々に韓国に行くのもいいなぁと以前から思っていたところだったし、調べたら広島空港から毎日直行便があって、しかもこの時期は往復で22,000円という東京へ行くより全然安いチケット価格だったので、即決。 でも、一人で行くのも寂しいので、神奈川にいるNAC仲間のめぐちゃんを誘ったら彼女も韓国大好きということもあり、すぐにOKしてくれた。

今回のように短期間で旅行を決めたのは初めてで自分達でもビックリだけど、今日やっとネットでホテルも予約できたし、あとは出発するのみ。 飛行機乗るのちょっと怖いなぁというのはあるけど、ソウルまで広島からだと1時間半乗ればいいだけなので、まるで国内に行くような気分だな。

ソウルに行くのは大学4年の時にテニスサークルの仲間で行って以来だから、すごく久しぶり。 あの時は11月頭なのに小雪が舞ってたから、今回は相当寒いのを覚悟して、今日はちょっとババシャツをお買い上げ。 年末なのに風邪なんてひきたくないし、用心用心。

 

 

2001年12月4日(火) いざ韓国へ・・・

 

平日のお昼ということで、出発の広島空港はガランとしていた。

機内でも席は多分3〜4割くらいしか埋まっておらず、お陰で私ものびのびと座らせてもらった。 ここ数年海外に行く時はぎっしり満員の機内が多かったので、テロ後の今のようなスキスキぶりは乗客の立場としては嬉しい。 特にアメリカなど長時間飛行機に乗る時は隣の人とくっついて狭いエコノミー席に乗っているのは相当ツライ。 新幹線くらいの前座席との余裕がとってあれば随分楽なのに・・・。

それはさておき、今回はテロ後初の飛行機搭乗だったのですごくドキドキしたけど、短時間のフライトだし、最初の10分以降は以前のように安心して乗ることができた。でも、飛行機って地面についてないからもうどこにも逃げられないし、まな板の上の鯉状態だなぁとつくづく思った。 とにかくパイロットさんと機体によろしくと祈るしかない。

1時間半のフライトで、ソウルのイルチョン国際空港に着いた。 ちょっと前までは金浦空港が国際空港だったけど、それに代わってりっぱな硝子張りの最新空港が今年の3月に出来たらしい。

30分違いで到着した成田からのめぐちゃんとも無事に会え、リムジンでソウル市内に向かった。(いきなり車内がキムチの匂いで、早速韓国を実感。)ラッシュ時ということもあり、市内まで行くのに1時間半くらい掛かり、街は既に薄暗くなっていた。

今回街中で目立ったのは、ワールドカップのCM。日本との共同開催だが、日本より全然盛り上がっていた。 至る所にある電光掲示板や垂れ幕を見る限りでは・・・。 韓国の知り合いは、日本チームはめちゃくちゃ強くなっているから絶対決勝リーグにいくよ!と言ってくれていた。 確かに日本ってここ数年で随分国際試合でも楽しんでみていられるようになったし、今回は特にドローがいいということもあって、来年のワールドカップは本当に楽しみ。 でもそんな一大イベントの時に日本にいれないなんて寂しいな・・・。

とにかく、そんな近代的な巨大ビルに囲まれた街並みを見つつ、今回滞在することになったプレジデントホテルに到着。 このホテルは古いけれど、悪くもない。何がいいって、立地が良い!隣には綺麗に木々がクリスマスデコレーションされたロッテホテルとロッテデパートがあり、歩いてすぐのところには若者に人気の街”ミョンドン”がある。 とにかく地下鉄を使わなくても徒歩圏内で色んなところに行けるのがとても便利だった。

ホテルにチェックインして、すぐに街の散策&夕食に出掛けた。 知らない外国の街で、良さそうな食堂を見つけるのは容易ではない。 しかもハングルも読めないので、”勘”を頼りに一軒のお店に入り、ビビンバを注文。 早速数種類のキムチがさーっと出てきて、ここでもまた韓国を実感。 街には”日式”と書いてある日本料理のお店がたくさんあったが、やはり割高感が強いらしく、地元の人は”寿司など美味しくて好きだけど、高いんだよな〜。”と言っていた。

とりあえずおなかも一杯になったところでホテルに戻り、めぐちゃんのお友達のベンチャー会社社長のジャッキーさんにロビーで会い、すぐ近くに素敵なバーがあるから、3人で呑みに行こうということになった。 そこは徒歩3分くらいのウェスティン・チョースンホテル地下のその名もO'Kimsというアイリッシュパブ。 名前の由来は、アイルランドではO'〜という名前、例えばO'NeilとかO'Brienという名前が多いらしく、それを韓国で一番多い”キム”さんという名前と文字って、O'Kimsらしい。 そこで生演奏を聞きながらギネスビールを楽しみ、東京にいるのかニューヨークにいるのか分からないような気分で店を後にした。

 

                ←モニュメントのようなものにサッカーボールがぶらさがってるのが見える?

 

2001年12月5日(水) 国際派ビジネスマン シンさん

 

 昨夜は3時半までおしゃべりをしてしまい、朝が辛かったので活動開始がお昼前になってしまったけど、特に昼間は予定もなかったので、二人でずっと街中のウィンドウショッピングを楽しんだ。 何かあれば買おうかと思っていたけど、ロッテデパートなどは値段も大して日本と変わらなくて、特に今韓国で買わなければ!というものもなかったので、疲れたら韓国茶を飲んだり、屋台で名物のトッポッキ(細長い餅を辛いソースで煮てある)を食べたりして、寒さと戦いながら、歩き回った。 屋台で思ったけど、ぴしっとスーツと濃いメイクをきめたお姉さん達が屋台で長い串刺しのおでんを立ち食いしている姿はちょっと不思議。豪快! 屋台には美味しそうな食べ物がたくさんあったけど、それらを食べながら歩くのが韓国流らしい。 

午後はそうこうしているうちに終わり、夜は私が以前仕事関係で知り合ったシンさんというこの人もまたソウルで社長さんをしている人と3人で会い、オンドルという韓国独特の床が暖かい個室で、数え切れないくらいの数が出てくる韓国料理フルコースをご馳走してもらった。 日本で韓国料理というとプルコギ、クッパ、ビビンバなどが思いつくが、他にも生がきにソースが掛かったものや、銀杏の実炒めなど、日本人の口にもぴったりのものがたくさん出てきて、どれもすごく美味しかったが、多すぎてあまり食べきれなかったのが残念だった。

シンさんは今の会社を始める前は、スイス系の会社で10年働いていただけあって、話しも上手く、英語も滑らかで、国際派ビジネスマンという雰囲気が漂っていた。 シンさんは日本びいきらしく、何かと日本はスバラシイと誉めてくれ、高校生の娘さんにも欧米に観光に行く前にまずは日本を感じて欲しかったということで、数年前に家族を東京観光にも連れて来たそうだ。 そこまで誉められると私達も恐縮しまくりだったが、確かに嬉しいことではあった。 韓国と欧米のビジネス方法の違いや国民性の違いなど、色々と興味深いことを話してくれ、韓国の大人の人の意見が聞けてとても面白かった。 これから、日本と中国、そして韓国が一緒に頑張って世界を引っ張って行かなくてはと彼は締めくくった。

そして、食事を終え、お別れかと思いきや、もう一杯飲んでいく?ということになり、連れて行ってもらったのがこれまた昨日のウェスティンのO'Kims。 私達は何となく”昨日も来たよ〜”とは言い辛く、そのことは伏せておくことにした。 シンさんの学生時代の友達が最近まで支配人をしていた関係でたまに来るらしい。 昨日は生演奏が近くて話しが聞こえなかったので、今回はちょっと離れたビリヤードのそばの席をリクエストした。 そして今夜もまた同じボーカル女性が、ビートルズやクラプトン、イーグルスなど懐かしい曲を歌い、ビジネスマン風欧米人がたくさん談笑している姿は自分がソウルにいることを忘れさせた。 演奏後にその女性が言う”カムサハムニダー!”(ありがとう)という言葉がやけに耳に残った。 私も明日使ってみよう。

 

 

2001年12月6日(木) JSA - Joint Security Area

 

日本で夏に”JSA"という韓国映画を観た。 たまたま会社の女性に”良い映画があったわよ〜”と教えてもらってそんなに映画は観に行かない私だったが、じゃあということでJSAという言葉さえ知らず観に行った。

JSAとはJoint Security Areaの略で、北朝鮮と韓国の国境にある北朝鮮と国連軍が共同で管理している非武装地帯のことを言う。 映画自体は、韓国軍と北朝鮮軍の若い青年達の間の友情と悲劇を描いたもので、私はそれを観てすごく感動した。 というか、悲しい気分になった。

なので、今回ソウルに滞在するということで、できればこのパンムンジョム(板門店)ツアーに参加したいと思っていた。

幸いツアーは前日でもOKだったので、ちょっと高かったけど代金(60,000ウォン=6,000円)を払い、5時間ちょっとのツアーに出発した。 板門店はソウルから北に1時間半程車で行ったところにあり、思ったより近かった。 まずは入り口でパスポートチェックがあり、その後は国連軍のバスに乗り換えて、全て国連軍隊員にガードされての行動となった。 このツアーに参加するのでさえ、ジーンズはNG、襟なしの服装もNG、10歳以下の子供はダメなど色々と規制があった。 そして、もし北朝鮮の軍人を見ても、手を振ったり話し掛けたりは絶対せず、刺激するような行動は一切とっちゃダメ!と強く言われた。 例えば、走ったりすると何か起きたのかと思い、一気に緊迫するので、そのような行動=大変なことに繋がるので、決して走らないでくださいと言われた。そうか、ここはまだお互いが銃口を向けてにらみ合っている場所で、2国はまだ停戦中なだけなんだ・・・と実感させられた。

歩いている時は、2列になっての行動で、決められた場所のみの写真撮影であったが、ベトナムのハノイでホーチミン廟(ホーチミンさんの体が安置されている場所)を見学した時はもっと厳しく、絶対2列を崩してはいけないし、おしゃべりも一切禁止だったので、それに比べると全然緩やかだと思った。

軍事停戦委員会などが開かれる会議室(と言っても、プレハブ小屋のような小さな場所)があって、そこには観光客も入れる所なのだが、その部屋は半分が北朝鮮、半分が国連軍のものとなっていて、唯一韓国側から北朝鮮に足を踏み入れることのできる場所でもある。 向こう半分の北朝鮮領に入り、記念撮影。 そしてその小屋から外を見ると、コンクリートで仕切りが作ってあった。 それを一歩超えるともう違う国ということなのである。すごく不思議な気分だった。こんなもので国が仕切られ、人々が隔てられているなんて。。。 この部屋には北朝鮮側からも観光客が来るわけだが、両国の観光客が決して出会うことのないよう、厳しく管理されていて、北朝鮮軍の軍人と韓国の軍人が同じ部屋に入るということも決してないということだった。

展望台もあり、そこからは北朝鮮の山々、そして一般人は誰一人住んでいないので”宣伝村”と呼ばれているというギジュンドン村がはっきり見えた。 私達外国人はすぐにこのツアーに参加できるが、韓国の人は色々と申請しなくてはならないらしく、ガイドさんによると実現するまでに申し込んでから1年掛かるということだった。北朝鮮に親族がいる人などは、どういう気持ちで北朝鮮を見、家族を想っているのだろう。 国が二つに分断されるという悲劇が、自分達のすぐ隣の国で起きていて、それがずっと続いている。 経済格差などの問題から一気に国が統一するのは難しいだろうという意見はあるが、それでも離散家族の面会だけは早急に進めて欲しいし、早く民族統一を実現して欲しい。 東西ドイツが統一したのは私がまだ高校生の時だったが、その時は”良かったな〜”くらいしか記憶がない。 でも、今、朝鮮が一つの国に戻ったら、私はきっと涙を流して喜ぶと思う。 それだけ自分も大人になったということかな?

 

               JSA。韓国側の展望台から見た北朝鮮側の建物。

 

 

2001年12月7日(金) 西大門(ソデモン)刑務所

 

昨夜はパンムンジョムツアーから戻り、その後また初日に会ったジャッキーさんとその友達で夕ご飯&飲みというコースだった。ジャッキーさんたち明日は会社だというのに飲み始めたのは11時過ぎからで、私達の心配をよそに"We are REALLY okay!"なんて言いながら、本当に元気そうだった。韓国のサラリーマンは元気だな〜。しかもよく飲む!みんな口を揃えて、”僕達はサラリーマンなんだから当然!ビジネスにお酒は欠かせないでしょ?”って言う。そっか、韓国ではお酒が飲めないとビジネスもできないのか!でもこれは日本も同じような雰囲気はあるなぁ。”まーまー、一杯!”っていうような。

とにかく昨夜はこんな調子で帰りが遅く、また朝方までめぐちゃんと二人で話し込んでいたので朝が起きれず、お昼近くになってようやく行動開始となってしまった。

私達がこの日向かったのが、西大門刑務所というところだった。そこは日本が朝鮮に侵略していた時に、人々がどのように苦しめられ、拷問されていたか、それに対して勇気をもって抗日運動をした人々をたたえる資料館のようになっていた。前から、行った人にかなり怖かったと聞いていたので、めぐちゃんと二人で相当覚悟を決めて、夜眠れなくなっちゃいけないということで最終日にここをもってきた。自分の国の人たちが過去にしてきたことを知る、しかも酷いことをした足跡を見るというのは気が重いことではあるが、NACの活動でヒロシマ・ナガサキを語る以上は、自分達の国がしてきたことも知らなくてはならないと、いわば使命感のようなものでここを訪れた。

どんな目で見られるのだろうとびくびくして、めぐちゃんと”日本語は小声で喋ろうね。”なんて言いながら入ったら、入り口で小さなおじいさん二人が近づいてこられた。私達は、”ガイドさん?”なんて思っていたのだが、その一人の方が流暢な日本語で”日本から来たの?””どこから?”と話し掛けられた。”神奈川です。””私は広島。”と言ったら、”おー、そうですか。私は日本に20年おりましたよ。大阪と高知に。”と次々と話しが出てきた。お二人は韓国人の兄弟で、もう80過ぎの年齢であった。健康のためにこの記念館によく来るのだが、久しぶりに日本人の人を見て、懐かしくなって話し掛けてこられたとのこと。その日本語は本当に日本人のおじいさんと同じ上手さだった。何故そんなにお上手なのかを歴史で学んでいるだけに、私達はとても申し訳ないような複雑な気分になった。10分くらい立ち話が続き、閉館時間も近かったのでとりあえずは別れたのだが、すぐに後を追ってこられて、”去年日本の知り合いのところに遊びに行った時の写真がありました!”と嬉しそうに数枚見せてくださった。きっと日本では差別と大変な苦労をされただろうと思っていたが、それでも良い思い出や良いお友達にも出会われたのだと思ったら、少しは救われた気がした。私達は”お元気で!”と言い合って別れた。

館内はハングルだけの表記も多かったので、私達は日本語のガイドさんをお願いした。今度は60過ぎくらいのおばさんが流暢な日本語で歴史も交え、詳しく教えてくださったが、時間が足りず重要な場所だけにポイントを絞って案内してもらった。絞首刑にする時にかぶせたという藁(ワラ)の目だし帽のようなものや、立ったまま死ぬまで入れておいたという狭ーい木のロッカーのような中に血を流したロウ人形が立っていたり(その横にはそれを体験できる棺おけのようなものもあった)、朝鮮万歳!とやった人は二度とそれができないように肩から両腕を切り取った写真などがあったり、まさに日本軍の悪行がしっかり残されていた。そういう歴史が韓国ではしっかり学校で子供達に教えられているのに、そういうことをほとんど習わない日本の子供達がお互い大人になった時、その認識のギャップが相互理解の大きな妨げになってしまうと思う。もう過去を変えることはできないのだから、今日本人としてできることは、その過去を正確に学び、謝罪の心を持ち、新しい両国の良い関係を築いていくことだと思う。とかく日本にいると、韓国の対日感情は悪そうだ!と構えてしまうが、確かにお年よりなどで日本に悪い感情を持っている人は多いかもしれないが、若い人は日本のアニメや音楽などにとても興味を持っているし、高校の第二外国語では日本語を選択する生徒が半数以上いるらしい。やっぱりお隣の国なのだから、仲良くやっていきたいと思う。

そういえば、私も高校の時に学校の選択授業でハングルを半年だけ取っていたが、残念ながらすっかり忘れてしまって、今回の旅行には全く役に立っていない。もっとしっかり勉強しておくんだった・・・。

 

 

2001年12月8日(土) 最後の最後に・・・

 

昨夜はめぐちゃんと最後の夜ということで、またまた朝方5時まで話し込んでしまい(電気も消して、寝る準備万端の状態で・・・)、私より2時間早いフライトで成田に帰る彼女は1時間半睡眠で部屋を後にした。 初めて部屋に一人という状態になり、一気に寂しくなった。 よく卒業旅行などでずーっと友達と顔をつき合わせて旅行していると嫌な面ばかり見えてきて、険悪になるって話しを聞くけど、彼女とはそんなこともなく5日間とても楽しく過ごすことが出来て、すごく感謝。

私も後を追い、慌しく仕度をしてリムジンで空港に向かい、父へのおみやげのブランデーを買い、機上の人になった。

機内のNHKで雅子さんの赤ちゃんに”愛子”ちゃんという名前が付けられたことを知った。 5日間で自分の知らないニュースがいくつもあったので、1年間も日本を後にすると浦島太郎だなとちょっと怖くなった。 そういえば高校で留学した時は、東京ラブストーリーのカンチとか流行ってた時で、全然見てない私は、カンチって何?状態で、みんなのそのネタについていけず寂しい思いをした。

さて、帰りは1時間5分という東京に行くより短いフライト時間で広島空港に無事到着。 ソウルの極寒の寒さを感じた後だけに広島の寒さはとってもマイルドで全然寒いとは感じないのが不思議だった。 人間すべて”慣れ”なんだな〜。

これで私の韓国旅行も終了・・・と家の近くでリムジンバスを降りた時、ふっと気づいてしまった。 お財布がない!!

そういえばコートのポケットに入れておいたんだけど、席の上の棚に投げ入れた時にポケットから飛び出してしまった可能性が大! Duty Freeのお店まではあったんだから、途中でなくしたってことはないはず・・・。 でも、もう同じ飛行機は折り返しソウルに向かっている時間だし、乗務員の人が棚の奥まで見てくれたかな〜。現金はそんなに入ってないけど、カードが全部入ってるんだったと考え始めると、最後の最後に気を抜いてしまった自分に腹が立ってブルーになったけど、あの棚の中しかなくした場所はなかったので航空会社に早速電話してみたら、無事に発見してくれていた! さすがJAL。 どうもありがとうございました!!もう次回からはいくら眠くてもそんな愚かなことはしません・・・。

めぐちゃんにこのことを言ったら、”よく小学校の遠足で、先生が帰りに「家につくまでが遠足です。」って言ってましたよね〜。”って。 そうそう、私の先生も同じこと言ってたわ。 要は気を抜くなってことだね。 先生も上手いこと言うね。

これで本当に韓国旅行は無事終了です。 あとはお世話になった人たちにお礼のメールを書いて終わり。

 

 

2001年12月9日(日) 新聞記事

 

昨夜突然新聞社の人から電話がかかって来て、NACでの渡米の件で近況状況を聞かれた。 1月に渡米することや、今の状況などを少し話し、電話を切ったが、今朝懐かしい人から電話がかかってきて”ラジオでゆみちゃんの活動のことを言いよったけー、びっくりして電話してみたんよー!”とのことだった。ラジオ? ん? とりあえず今朝の新聞を読もうとしたら、母も”記事がのっとったよ。” って。 え、そんなに早く?見てみると確かに昨夜話したことが載っていた。 それから友達からも電話がかかって来て、見たよ〜報告をしてくれた。 さすが地元新聞。みんな早いな。 でも、意気込んでます!と書かれた以上、本当にそろそろ意気込まなくては! 最近やっと本当に来月にはアメリカに行くんだという気持ちになってきた。 テロ→アフガン攻撃と自分のことよりも世界情勢が気になっていたが、タリバンも2日前に崩壊したらしいので、これからは世界も少しは冷静に9/11一連のことを考えることができるようになるのかな。 でも、これによってアメリカの”やっぱり空爆は正しかった”という理論が本当に正しかったとされ、何かあれば武力で制圧すればいいんだ、という風潮がますます根付くのではないかと思うと、素直には喜べない。 やっぱり力で封じ込める方法にはもろ手を挙げて賛成はできない。

 

 

2001年12月10日(月) インクジェット年賀状

 

今年は年明け早々の渡米でバタバタするので、年賀状は失礼させてもらおうと思っていたけど、やっぱり書いてみようかなと思い直した。 でも、問題はインクジェット紙の年賀状がない! 確か11月に母が知り合いのためにインクジェット年賀状を探していたけど、既に郵便局にはなくて、近くのコンビニでやっと見つけたと言ってたのを思い出した。 まさか自分が書くことにするとは考えていなかったので、人事だと思っていたけど、探すとなると今更もうなさそう。 しかも12月だし・・・。 でもよく毎年すぐに売り切れるから増刷されるって聞いたことがあるので郵便局に3軒くらい電話してみたけど、どこも売り切れで、最後の頼み、広島最大の中央郵便局に聞いてみたけど、もう全く残っておらず増刷予定もないという悲しい回答だった。 でも諦めきれず、ダメもとで母が以前電話した近くのコンビニに電話したら、あっさり”ありますよー。”だって! 母が電話してから1ヶ月以上経っているのに、まだ残ってたなんて! 田舎だからかな? とりあえず早速明日買いに行こう。 去年は普通の年賀状とインクジェットを両方使ってみたけどやっぱりにじみ具合が違う。

毎年こんなにすぐに売り切れてしまうんだったら、郵政省ももう少しよくマーケティングリサーチ(そんなものするのかな?)して、12月でもインクジェット残ってるくらいにして欲しいよね〜。

 

 

2001年12月11日(火) 「何とかは忘れた頃に・・・」って・・・

 

今日は一日無難に過ぎようとしていて、夜も近くに住む甥っ子たち3人が遊びに来て、ああカワイイ・・・って平和に一日が終わる予定だったのに、夜最後のメールをチェックをしたら、恐ろしいメールが来ていた。

それはまさかもうあるまい、と思っていたNACの課題のお知らせメールだった!

NACでは私達が大使として選ばれた1年半前から定期的に課題として”被爆者のその後について”とか”パールハーバーについて”などのトピックで概要をまとめたり、感想を書いたりという宿題が出されている。今回の9月のテロ後しばらくして、”明日アメリカの高校生にテロのことについても述べることになったら”という仮定で自分の意見を書くっていう課題が出たことがあった。その時は自分のみならず世界中が暗闇の中でもがいていた時だったので、意見をまとめるのが非常に難しく苦労した。 そして、その後、第二弾があるような話しはあったのだが、もう12月に入り年の瀬も迫ってきたし、いやぁ、こんな時期にはないだろう・・・とすっかり忘れたフリをしていたのに。 甘くなかった!

ちょっともう寝る前に悩み始めるのは辛いので、今夜はそのメールは見なかったことにして、明日しっかり課題を見てみることにしよう。 まあ、どちらにせよ、自分でも意見をまとめるっていう作業はしなくてはいけないことなので、必要なことだし。 特に私のように誰かにつつかれないとスタートできない人間には課題は必要不可欠なのかもしれない・・・。 でもショック。

まさにメールのタイトルになっていた通り、「なんとかは忘れた頃に・・・」だった。やられた。

 

 

2001年12月12日(水) 子育てと仕事の両立

 

最近やたらと赤ちゃんを見ることが多い。 見るといっても、実際に会って見るのではなくて、友達の赤ちゃんの成長の様子をデジカメの画像でメールしてもらって、それらを見る機会が非常に多い。 しかも子供はすぐに大きくなるので、前回生まれてすぐの画像を送ってもらったと思っていても、次に送られてきた時はもうすっかりしっかりした顔になっていて、びっくりする。

今日も学生時代の友達に久々に会ってランチをしたのだけど、彼女の一人息子がスタスタと歩いてこちらの方にやって来た時は驚いた! 今年の年明けに会った時はまだようやくつかまり立ちができるかできないかだったのに。

私の知る限りでは、これくらいの小さな子を持ったお母さんは専業主婦の人がほとんどだ。 よっぽど手に職系の仕事をしている人じゃない限り。 育児と仕事の両立はすごく大変そうだけど、もしそのような状況になったら、欲張りの私は両方続けてみたい。でも、こんなに子供が毎日大きく成長すると、その成長をずっと見ていられないのも残念な気がする。

やっぱり、会社の体制がもう少し育児と仕事を両立しやすいように、例えば勤務時間を短縮できるとか託児所があるとか、そういう風になってくれればいいな〜と思うけど、こんな激不況のご時世だとそんなことは難しいのかな。 

アメリカに行ったら、そこら辺の状況も興味深く見てきたいと思っている。

 

 

2001年12月13日(木) 基本中の基本?英単語編。

 

今日は一日家に居たので、例のNAC課題第二弾!に着手した。 2つの課題の内一つは、”もし14歳の女の子に、テロをなくすためにはどうすればいいの?と聞かれたら、自分だったらどう答えるか。 ”そしてもう一つは、”クエーカー教の人たちのミーティングで、50歳の男性に、日本が自衛隊をインド洋に派遣することについてどう思うか。”と聞かれた時の自分の意見をそれぞれ英語でまとめること。

それに対して、自分では”日本には平和憲法があるので・・・”と書こうと思ったけど、あれ、平和憲法って英語で何て言うんだろう。 Peace Constitution? それじゃそのまんま? う〜ん。 辞書にも載ってない。そして自衛隊ってただのArmy?辞書を見たら、Self-Defense Forceだって。 そっか。 なるほど。 でも、army, force, troops・・・。 色々あるけど、どういう違いがあるの?!

あぁ、私は今までのこの単語力でよく英語が得意ですって言ってきたものだ。 恥ずかしい。 やっぱり分からない単語は調べるってことをしないとね。 今まで文意でだいたい分かるしって、単語力強化をおろそかにしていたので、TOEICでも英検でもいつもひっかかるのは単語の部分。 アメリカでは、徹底的に単語をやっつけようと思う。 そのために、友人達が便利便利と口を揃えて絶賛する”電子辞書”を買おうかな。 そうしたら、どこにでも持ち歩けて、その場で調べられるし。 でも、昨日デオデオに見に行ったら3万円とかするので、ちょっと即決は止めておいた。 クリスマスプレゼントに誰かくれないかなぁ?!

 

 

2001年12月14日(金) 初雪

 

昨日の夜から”なんだか部屋の空気が違う。冷たい!”と感じていたけど、やっぱり朝起きてみると外は一面の雪で覆われていた。 初雪だー! 東京ではあまり12月に雪を見るってことはなかった気がするけど、実家は結構山に囲まれているので、雪もしばしば降る。 広島っていうと、東京の方の人は暖かいイメージがあるみたいだけど、決してそうでもない。 山間部なんてスキーできるしね。 九州の方の人もわざわざスキーしに広島まで来るみたいだし。 実は広島って、すぐに山にも海にも行けて、アウトドアには打ってつけの場所だったんだ・・・。 私はその恩恵を受けていないけど。

とにかく、この寒さで、私は風邪を引きかけてしまったらしく、朝起きたら喉もイガイガで痛かった。 くしゃみ&鼻水も出るし、今日はとりあえず夕方まで外出予定はなかったので、二度寝をすることにした。 そして、次にお昼前に起きた時には外の雪はすっかり消えてしまっていた。 残念!でも、今日は雪が舞う寒ーい一日となった。

夜は、夏まで派遣で働いていた時の仲間3人でチビ忘年会。 広島に帰ってきて、あまり新しい友達は出来なかったけど、彼女たちと仲良くなれたことは、とても嬉しい。 前の会社の人の動向を聞きながら、懐かしいひと時を過ごした。

 

 

2001年12月15日(土) 良い知らせ

 

秋深まった頃から連絡を取っていなかった友人に久々に電話をしてみた。

そしていきなりのショッキングなニュースに言葉を失った。 「私、結婚することになったんよー。」 えっ?秋までそんな話し全くなかったので、突然のことで最初は冗談だと思ったが、どうやら本当らしい。 なんというスピード結婚!! いや、今まで芸能界や女性誌なんかでよくつきあって数ヶ月で結婚を決めて・・・なんていうスピーディーな話しを聞くことがあるが、こんな身近で、しかも本当に起きるなんて・・・。 

終始会話は驚きのあまりこっちの方が興奮して喋ってしまったが、でも本当に良かった!私はこの友達がとても好きで、何度も助けられたこともある。 性格はさばさばしてて、姉御肌。 しかも美人で頭も切れる! こんな人を世間の男性達がほおっておくはずはないと思ってた。 結婚はまさにタイミング?!

彼女の結婚式の頃は残念ながら私はアメリカで、その花嫁姿を見ることは出来ないけど、帰国してからゆっくり新婚家庭を訪問させてもらおうっと。

とりあえず明日のショッピングで、何を彼女にプレゼントとして買おうかな〜と悩み始めたが、こういうことで悩むのってすごく楽しい!お幸せに!!

 

 

2001年12月16日(日) 大学の友達

 

今週の金曜日から1週間ほど東京&関西に行く。 東京では大学の友達に久しぶりに会おうと思って、ある女友達に電話をした。彼女とは大学1年生の時から同じクラスで、第二外国語(ちなみにフランス語)も同じだったし、テニスのサークルまで一緒だった。 1・2年生の頃はずっと行動を共にしていたような気がする。 3年生でゼミが分かれてしまってからはあまり遊ぶこともなくなってしまい、そのまま卒業。 彼女は九州の地元に戻り、私は東京に残った。 社会人になってからはお互い仕事が忙しく、たまにメールをしたり、年賀状のやり取りをするだけの仲になってしまったが、去年その彼女も遂に結婚。 旦那さまのお仕事の都合で今はまた関東に戻ってきた。 

今夜の電話でさえ、”いっつも電話するとキャッチだったよね〜。あの頃はみんな電話しまくってたねー!”なんて、そういえばすっかり忘れていたことを思い出したりして。 あれから何年も経っているのに、一瞬にしてあの頃に都合よくタイムスリップ!

やっぱり学生時代っていい。 そして、その頃に出来た友達って一生もの。

私の好きな曲に竹内まりやの"Forever Friends"ってのがあるけど、まさに結婚して名前が変わっても、子供が出来てお母さんになっても、ずっと永遠の友達!だといいな。

 

 

2001年12月17日(月) 焦り・・・

 

12月に入ったーと思っていたらもう半ばを過ぎ、年の暮れに一直線。

最近、(やっと)とても焦ってきた。この時期になって今更ではあるが、あの人にも会いたかった!これも早めにやっておくんだった、年賀状が〜と次から次へとやるべきことが思い浮かんできて、しかもそれらをこなす日にちがもう3週間しかない現実に非常に焦りを感じる。 夜もベットに入ると、それらを思い出しては、ドキドキしてきてなかなか寝れなかったりして・・・。

まさに夏休みの宿題を前に、なんでコツコツとやっておかなかったんだ、私は・・・と8月25日頃を過ぎて反省していた小学生時代から進歩がない。 でも、とにかくやらないといけないことはなくならないのだから、一つずつ着実にこなしていくしかない!

あぁ、もういっそのこと早くアメリカに飛び立ちたい。

 

2001年12月18日(火) 校長先生

 

”校長先生”なんて学生以来で、何だか懐かしい響きだが、今日は私の中・高時代の6年間ずっと校長先生だった方の家にお邪魔した。 実は今年の9月12日、そう、ちょうどテロの直後に一度お宅にお邪魔して色々お話しをお聞きしていたのだが、今回は某テレビ局の取材の一環ということで、もう一度お会いできることとなった。

先生は19歳までその頃の日本の植民地であった韓国で生まれ育ち、その後、大学生の時に広島で被爆された方である。 学生の頃に朝の礼拝で、”まだ私の体内にはガラス片が刺さっています。”というお話しをされていて、ああ、大変な思いをされたんだなぁと思った記憶があったが、今回私がNACに参加するということであらためて手記を読ませて頂いたが、生死を何度もさまよわれ、想像以上に過酷な人生を送られてきたようだった。 校長先生時代にはあまりそんなことを感じさせないくらいお元気そうであったが、それでも何度も体調を崩されていたようだ。 やっぱり私が海外のことや平和のことに興味を持ったのはこの学校のお陰だと思ってるし、特に平和教育に関しては、日本の被害だけでなく、日本がアジア諸国の人たちに行ってきたこともしっかり学習できたので、公平な目で判断するという価値基準のようなものもこの時期に身につけることが出来たような気がする。

また来年、帰国後に先生と奥様にアメリカでの様子を報告できることを楽しみに、アメリカでもしっかり頑張ってこなければと気が引き締まる思いがした1日だった。

 

 

2001年12月19日(水) テレビ取材

 

今日の午前も昨日に引き続きTV取材が行われた。 今日は自宅でNACの準備をしている様子の撮影だったので、アルバムを広げてみたり、ホームページ作成をしてみたり。 

メインのインタビューでは、やはり突然の質問に、まずは頭で質問を理解して・・・と考えると同時に、答えるまでにあまり時間が掛かってしまってはいけない、と焦ってしまい、自分が意図する答えが半分も言えなかったり、途中で自分が何をいいたいのか分からなくなってしまったり、なかなか端的に自分の意見を皆に分かるように伝えるのって難しいなぁーと実感した。 

反省点は多いが、まあとりあえず肩の荷が下りた気がして、ほっとした。

人間こうやって場数を踏んで慣れていくのなら、アメリカでのプレゼンテーション(プレ)も回を重ねるごとに良い結果が出せるのだろうか。 そうなると、最初の頃にプレをして回る学校の子供達には悪い気がするが、逆に後半の子供達には慣れすぎてマンネリになってしまうのも良くない。 自分にとっては何十回の内の1回のプレでも、子供達にとっては最初で最後の唯一のプレなのだから、全力でやらなくてはいけないってOBの誰かが言っていた気がする。 

確かに! ”一期一会”という言葉もあるし、人との出会いを大切にしていきたいと思う。

 

 

2001年12月20日(木) 準備準備

 

明日(今日?)は朝8時半の広島空港発で東京に行くというのに、もう夜中の2時半。家を7時前には出なきゃだから、そうすると6時前には起きて・・・。 あぁ、もう寝ている時間がない! 早く寝なきゃ・・・!!

でも、今日は記念すべき事務処理日?なので記録に残しておこう。

今日やっと飛行機のチケット(ユナイテッド航空で8万くらい)と海外旅行保険(パックの一番安い8万少々のもの)の加入手続きを済ませた! あと少し手続き関係は残っているけど、とりあえず年内にこの大きな二つが終わって一安心。 前回も既に航空チケットは手元にあったが、テロという特別な事情のため、無料でキャンセル扱いしてもらえることになったのだった。 今回はもうそんな事態になることはないだろうと祈りつつ。

できれば年内にはぜーんぶそういう手続き関係は終わらせておきたい。 最後の荷物を送ったりだとか、携帯を解約したりだとか。 もう年明け後すぐに出発も同然なので、勝負をあと10日間にかけて頑張ろう!

でも、明日から1週間、東京&関西に出掛けるので、なかなか厳しい。 いやぁー、追い詰められていい感じになってきた! ここまで追い詰められないとラストスパートをかけられない自分もどうかと思うけれど・・・。

 

 

2001年12月21日(金) 東京 とげぬき地蔵

 

今回の東京は姉と一緒に来たが、姉は一足先に2日後には広島に帰ってしまう。

今朝は予定通り早起きをして無事に飛行機にも乗れたけれど、睡眠時間がいつもの1/3だったので、もう朝から夜までグッタリしてしまい、失敗だった!やっぱり旅行前日は早く寝るという鉄則を守らなければ・・・。

2ヶ月ぶりの東京は、生憎ミゾレが降っていて、最高気温も5度という底冷えのする一日だった。 

特にすることもないので、とりあえず姉リクエストの巣鴨はとげぬき地蔵に行った。 そう、あの、おばあちゃんの原宿とか言われているあそこだ。 実は私も9年も東京にいたのに、とげぬき地蔵はおろか、巣鴨駅にも1回降り立ったことがあるかないかなので、初めてのとげぬき地蔵だった。 いつもはもっと賑わいを見せているのだろうけど、そんな天気&年末の忙しい時期のせいか、人通りはまばらであった。 

とげぬき商店街?には、予想を裏切らず、お煎餅屋さんや高齢者向けの衣類店などが軒を並べており、確かにおじいちゃん・おばあちゃんにはとても魅力的な場所だろうと感じた。 

少し歩くと、お寺があり、テレビで見たことのある”煙”の出ている釜のようなものがあった! そこで私達は周りの人たちに倣って煙を体(特に頭と顔!)に振りかけた。 みんな膝やら肩やら、丹念にそれを行っていた。 そして、少し横には、仏像(女の人の)があり、それをみんな列を作り、順番を待ってまでミニタオルで拭いていた。 私は何の知識もないので、それを行うことがどういう御利益があるのかもわからず、そのタオルがどこで手に入るのかも分からなかったので、参加しなかったけど、きっと長い列が出来るだけのスゴイご利益がある仏像なんだろう。

お寺に行った後、益々ミゾレが激しく降ってきたので、近くのお店で天重を食べ、新宿に向かい、その後は夕方までずっとショッピングに明け暮れ、夜は私だけ前の会社の忘年会に参加した。 去年の屋形船の忘年会では”では、気をつけて行ってきます!!”なんて言っていたのに、まだ居るよ、私・・・。 でも、きっと来年の忘年会の頃は、NACの活動後半も終わりを迎え、きっと日本に帰る準備をしている真っ最中だと思う。 そうあって欲しい!

 

 

2001年12月22日(土) お台場

 

今回姉が東京に来たのには特に理由があるわけでもなく、どこかに行きたかった訳でもないようだ。

とりあえず行ってみたいと言っていた、とげぬき地蔵には行ったので、今日はどうする?ということになり、とりあえずお決まりの東京観光コースinお台場ということになった。

お台場も巣鴨に続き、そんなに行ったことがない。仕事の関係で、同じゆりかもめに乗っていくビックサイトという国際展示場には何度か足を運んだことがあるが、遊びでお台場っていうのは、そうだなぁ、きっと5〜6回しかないと思う。

なので、どこにどんな店があるというのもあまり分からず、しかもここ数年で色んな新しいお店が出来ていたので、とりあえずフジテレビに行き、おみやげを買い、アクアシティーというショッピングモールに行った。 このモールだけでもゆっくり見ていたら半日潰れてしまいそうだ。 行ったのが遅かったのであまりゆっくり買い物もできず残念だったが、この日は昨日とは打って変わって雲一つない青空だったので、海も穏やかで、海と高層ビル群が妙にマッチしていて、東京のイメージどうりの風景を作っていた。

 

 

2001年12月23日(日) 不審船事件

 

テレビで最初に、日本の巡視船が不審な船に発砲・撃沈、というニュースを見たとき、えっ?と耳を疑った。 そして、それはやりすぎなんじゃないの!?と思った。 でも、その後、詳しい経緯などを聞き、うーん、それなら仕方ないのかなぁと思い直した。

相手が逃げようとしただけなら、船が沈むまで発砲しなくてもいいじゃないか!と思うけれど、相手側から発砲してきて、日本側にも負傷者が出ているという事態に加え、相手の船が沈没したのは、発砲が原因なのか、それとも自沈なのかもはっきりしていないようだ。 その後の報道では、相手はロケット弾を持っていたという話や、銃撃を受けた巡視船の様子も新聞に載っていたが相当ひどかった。こういう事情を考慮すると、日本の巡視船が行った行為は正当防衛だという言い分にも納得できる気がしてきた。

沈没後の救助義務については、国連海洋法条約などでは避難者に対する救助義務が定められているそうだが、今回は「最大限努力したが、救助の際に攻撃を受ける恐れがあったので」という理由でしなかったようだ。 これについても、全員が行方不明というのは可哀想・・・と思うが、でも、確かに海上保安庁側が言うように、もし救助ボートなどを出してもそれに乗って攻撃してくる可能性があったからボートは出さなかった、と言われると、もしボートを出して本当にそのような事態になり、自衛官の人たちの命が失われることがあったら・・・。 そう考えると一概に救助義務を怠った、とも責められない気がしてくる。

今の段階では、この不審船は北朝鮮のものだという可能性が強いと見られているようだ。 北朝鮮のようにベールに包まれた?国がお隣にあるというのは不気味だ。 行方不明の日本人捜索についても、今後は行わないと言ってきたようだし、どうなっているんだろう?! 日本は島国だからといってうかうかしていられない不安な気持ちになってくる。

今回の事件では、日本の現在、そして今後の防衛の在り方を考えさせられた。

他の国々ではこの事件がどういう報道のされ方をしているのかとても興味がある。

 

 

2001年12月24日(月) クリスマスイブの新宿

 

カップルでごった返しているのは分かりつつ、午後からクリスマスイブの新宿に出た。

予想を裏切らず、私の好きな伊勢丹デパートはいつのも週末にも増して、人・人・人だった。

地下の食料品売り場では、もう途中で人並みに負けて、クリスマスケーキも諦めた。

つくづく思う。東京はどうしてこんなに人で溢れているんだ!?でも、何故かそんな東京にいつも吸い寄せられて行く私。

人々もたくさんプレゼントやワインを買っている。 景気低迷の日本だけれど、今日だけはそんな様子は新宿には見受けられなかった。 私も、2週間前に発売されたばかりという電子辞書をとうとう手に入れた! やった、これからは単語引きまくるぞぉー!

それにしても、来年のクリスマスはきっとアメリカで過ごしているのかなぁ。 大きなツリーや家々のデコレーションを見るのがとても楽しみ!やっぱりアメリカのクリスマスは格別だ。 

今夜は私の甥の家にはもう早々にサンタが来たらしい。 ちょっと早いんじゃないの? まだ10時過ぎだよ・・・。

 

 

2001年12月25日(火) 四谷にて

 

 

クリスマスの今夜は大学時代の友達と四谷でご飯を食べることにした。

私達は大学の4年間を四谷で過ごしたが、この街のことはあまり知らない。 いつも駅と大学の往復だけで、遊ぶ時は近くの新宿まで出ることが多かった。 だけど、サークルの行きつけの飲み屋があったりして、夜の居酒屋の場所だけはしっかり押さえていた。

今夜のお店は、彼女がインターネットで探してくれた沖縄料理のお店ということで実際そこに行ってみたら、そこは大学時代にたまに行っていた居酒屋がちょっと改装されて、沖縄料理の看板になっていただけだった。 中の雰囲気もあまり変わらず、なんだか少し懐かしい気分になった。

泡盛を飲み、ゴーヤチャンプルを食べながら、二人で色んな話しをした。仕事のことや結婚のこと、その他もろもろ。

大学を出て、それぞれが色んな仕事を選び、人生を選んでいる。 海外にいる子もいれば、結婚してお母さんになっている子もいる。 大学を出て、そこまでの長い時間は経っていない気もするが、やっぱり確実にみんな大人になっていて、それは喜ぶべきことなのかもしれないけれど、悲しくなったりもする。

私も来年帰国した時に、いい意味で成長したと言われるような時間の過ごし方をしてきたいと思っている。

 

 

2001年12月26日(水) 現地の友達

 

ロンドンで大学院に行っている大学時代の友達が1年ぶりに休暇で帰国しているというので、今日のお昼は彼女とランチをした。

彼女と最後に会ったのは去年のちょうど今頃だけど、あれからもう1年かと思うと本当に早い。

ロンドンに行って最初の頃は彼女もイギリス人と友達になるのはとても難しいと言っていたけれど、とうとう現地で仲の良い女友達が出来たそうだ。 噂通りイギリス人というのは、最初はとっつきにくくて、自分から話し掛けるようなことはしないけど、一度友達になると毎週のように一緒に遊んだりして親密になるみたいだ。 ある意味、日本人もそう思われているのかな?

私もアメリカでは同じ年代の友達を作るのは難しそうだなぁと思う。 子供達と話す機会はあっても、働き盛り?の年代はなかなか会う機会もなさそうだし・・・。

彼女に言われて気づいたけれど、もう再来週には渡米するのだ!! 再来週なんて言われると、本当に信じられない・・・。

 

2001年12月27日(木) ベトナム人の友達

 

後ろ髪を引かれながら東京を後にして、神戸に向かった。

神戸は前の前の会社の本社があったところなので、何度か来たことがあるが、広島と同じく、海も山もあって素敵な場所だと思う。 阪神大震災前の神戸は残念ながら知らないけど、三ノ宮も今はすっかりその傷跡も見受けられない。

その神戸に、ベトナム人の友達が3人住んでいる。 彼らのうちの一人と知り合ったのは、私がベトナム語を習っていた先生に紹介してもらったのがきっかけで、かれこれ5年近く前になる。 そして、その子を訪ねてハノイに行った2年半前に他の二人とも知り合った。 彼らはみんなハノイ貿易大学のクラスメート同士で、日本語もとても上手だったので、ハノイ滞在中は毎日遊んでもらって現地の生活を楽しむことができた。 

昨夜は3人とその中の二人の間にできた赤ちゃんに会いに彼らの家に行き、鍋をみんなでつついた。 何故かキムチ鍋。

日本で初めての子供を産んで、しっかり二人で育てているなんて、スゴイなぁと感激した!

 みんなベトナムとは全然違う異国?の日本で頑張ってるんだなぁ。 私もアメリカで彼らみたいにしっかり頑張らないと・・・!

 

 

2001年12月28日(金) 「スパイ・ゲーム」

 

神戸にせっかく居るのに、思わず映画を観てしまった。 トム・クルーズとロバート・レッドフォードが出ている「スパイ・ゲーム」

面白そうだと思ったけど、何故か睡魔が襲ってきて、後半少し寝てしまった! 映画館で眠ったことなんてなかったのに・・・。

それだけ面白くなかったって訳でもないけど、イマイチ期待していたほどではなかった。 全然ジャンルが違うけど、「千と千尋」の方が楽しかったな。

そして、神戸から戻ってきた今は、何故かテレビのロードショーで「エクソシスト」を観ている。 そういえば、小学生の頃この映画をテレビで観て、すごく恐ろしくてしばらく夢に出てきそうだった。 あと、金田一恭介シリーズのテレビも怖くて、夜な夜なトイレに行くのが怖かった気がする。 昔からこの手の映画は怖いんだけど、やっぱり観たいんだよねー。

 

 

2001年12月29日(土) 酢豚

 

広島のNACのお手伝いをしてくださっている方の家にお呼ばれして夕食をご馳走になった。

その方の奥様は、私の母校の先生でもあるので、平和活動関係のお話しや学校の懐かしいお話(あの先生は今・・・を聞くのはとっても興味深い!)などをたくさん聞かせて頂いた。

夕食は今日は中華で、メインは酢豚であった。 これは旦那サマの自信作だそうだ。 確かに甘酸っぱさが適度ですごく美味しかった! 食事を作るのも大体、半々で作られているそうだ。 

やっぱり結婚してもお互いが協力して、子供がいても仕事を続けられるっていう環境はいいなぁと思う。 まだまだ、仕事か結婚かの選択を迫られる環境だと思うけど、実際に両方を選んでいる家庭を見ると、やってできないことはないんだと改めて思った。

そのためにはやっぱり協力的な旦那サマが必要ってことかな?

 

2001年12月30日(日) 荷造り

 

今日、我が家では餅つきをした。 餅つきと言っても、以前のように臼でぺったんぺったんやるのではなく、機械がついてくれたものを丸めるだけなのだけど・・・。 私がまだ幼稚園の頃は祖父の家に親戚がみんな集まって、大掛かりな餅つきをやっていたが、祖父が亡くなってからいつの間にかその習慣もなくなってしまった。

今回の餅つきには私はほとんど参加せず、部屋の大掃除と、荷造りに追われていた。

スーツケースは8月に出したのがまだずっと和室に出しっ放しになっている。

そのスーツケースに詰めるものを本格的に吟味し始めた。 今回は国内線を広島→羽田と乗り継ぎ、成田まで行くのだが、国内線の荷物の重量制限が15キロなので、なんとか範囲内に納めないといけない。 でも、どう見てもこの大きな空のスーツケースだけで3キロは軽くありそうだ。荷物全部で15キロなんて、すぐにオーバーしちゃうと思うんだけど。

もう既に船便でダンボールを5つ(色紙とかプレゼンテーションの道具とか)送ってる。 なのに、まだこんなに荷物が残ってるなんて、私ってやっぱり荷物多すぎなのかな・・・。 旅上手は荷物が少ないって言うから、それからいくと私は超旅下手か。

 

 

2001年12月31日(月) 嵐の前の静けさが・・・

 

今年も残すところあと2時間余りとなってしまった。

やっぱり今年の大晦日は、9日後に迫った渡米のことの方が気になってしまい、”あぁ、今年もお疲れ様でした!”っていうようなのんびりした雰囲気はない。 

さっきまでHP作りに今更奮闘していて、どうやったら掲示板ってできるんだろう・・・って試行錯誤。 結局レンタル掲示板っていうのがあったのでそれを利用してみることにしたけど、実は私は掲示板ってほとんど使ったこともないし、もちろん”かきこ”?をしたこともない。 自分が使い方分かってないのに、そんなスペースを設けてどうするのって気もするけど、まぁ、とりあえず。

一応、もう今日はPCをパチパチやるのはここまでにしようっと。

そして、これからはお風呂に入って、その後はみかんを食べながらコタツでテレビ。 やっぱり年末はこれよね。

 

今年は広島に戻ってきたり、初めて派遣のお仕事をしてみたり、自分自身にとっても変化の1年だったけど、世界的にも暗いニュースが多くて、本当にあの同時多発テロは世界を変えたと思う。

年明けからのこの2002年、きっと私の人生の中でも、大きな意味を持つChallangingな1年になると思うけど、頑張った分だけ残るものも多いと思うから、めずらしく頑張ってみようと思う!

 

来年は今年より明るいニュースの多い年になりますように・・・☆

 

 

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