2002 January

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2002年1月1日(火) 頑張るぞぉー! |
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新年明けましておめでとうございます。 とうとうやってきました2002年! きっと自分のアメリカ渡米っていう事件がなかったら、私の今年の一大事はワールドカップ日本開催かな。 そんなにサッカーが好きというわけでもないけど(むしろ野球の方が好き)、きっと世界的にこのワールドカップっていうのはスゴイことなんだと思う。南米とかでは、これに熱狂して殺人?とか起きちゃうんでしょ?怖い・・・。
昨日の夜、一生懸命考えて、新年の誓いは何にしようかと思っていたけど、結局これだ!というのが思いつかなかった。 で、基本的なことだけど、「今日できることを明日に延ばさない!」というのを目標に今年は頑張ろうかと思う。 NACの準備をしていても、いつも間際になって焦ってすることの連続なので、そろそろこういうギリギリの生活にはピリオドを打ちたいなぁと思って。
2002年はどんな年になるのか見当もつかないけど、思い出深い1年になることは間違いないので、しっかりNAC大使としての役目が果たせるように頑張ってきます。 |
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2002年1月2日(水) ある出会い |
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起きてすぐ友達から、”きっとそちらはすごい雪でしょう。”というメールが携帯に来ていることに気づいた。 ”えっ、いきなりそんな雪なんて降ってるわけないじゃーん!”と思いながら、カーテンを開けると、そこは一面の銀世界。 や、やられた・・・。 そう、私の家の辺りは、広島市内が晴天で雪なんて全然積もってない時でも、何故かどんより曇り空で数センチの雪が積もっていることがしばしばあり、学生の時も友達によく馬鹿にされた。 すごい寒波が来てるって言っていたけど、それは北日本だけのことかと思ってたのに・・・。 今夜も深々と雪は降りつづけているから、きっと明日の朝はすごい積雪なんだろうな。ああ、怖い。
というわけで、今日も家にずっと居たんだけど、新年初の嬉しいことがあった。 実は、私はAOLのユーザーでもあるんだけど、どうやら同じアカウント(大文字と小文字の違いだけ)を何故か持っている人がいるみたいで、たまーにその人宛てのメールが間違って私に届くことがあった。 いつも適当に転送していたんだけど、今回もまた届き、その人宛てに転送することが出来なかったので、送信者の人にメールを書いて、そのことを伝えておいた。 返事は期待していなかったのに、すぐに返信が来て、しかも私のHPを見てくれて、NACの活動で何かこちらでお手伝いできることがあれば言ってください、なんて言うとても嬉しいコメントまでつけてくれていた! そう、”こちら”というのは、彼女もアメリカ在住の人だったのだ。 アメリカで頑張っている日本人の同世代の女性。 こんな小さなことから始まった出会いだけど、大切にしたいなぁと思う。 よく言うけど、良い人との出会いっていうのは人生最高の財産だと私も思うから、一期一会を大切にしていきたい。
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2002年1月3日(木) 小学校時代 |
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私は小学校入学から5年生の1学期まで安佐南区の小学校で過ごした。 それから今住んでいる家に引っ越してきたのだけど、やっぱり小学校の良い思い出はこの5年生まで過ごした学校にある。 今でもその時代の友達の何人かとは親交があって、たまに会ったりもする。 これもやっぱり年賀状のお陰かななんて思ってる。
今夜は、その時の友達の家で新年会をした。 6人プラス、その中の女の子の婚約者一人、合計7人での新年会。 この会には去年から参加させてもらってるんだけど、主催者の家には外国の家みたいに暖炉なんかがあったりして、薪をくべて暖まる。今年は手巻き寿司大会。
記憶の中では12歳のままだったりするのに、あれからそれ以上の年月を生きてきたことに自分達でビックリしたり、懐かしんだり。 みんなそれぞれの場所で、与えられた環境で一生懸命頑張ってる。 そんな姿を見てると、自分も頑張らなきゃだけど、頑張ってねー!と応援したくなる。 とりあえず、この中で最初に結婚する裕子ちゃん、来月の結婚式、しっかりね!お幸せに☆
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2002年1月4日(金) ぷりくら |
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今夜は市内で高校の時の女友達二人と新年会&壮行会をしてもらった。 タイ料理をたらふく食べ、その後お茶をすることになったが、途中でその中の一人の提案でぷりくらを撮ることになった。 ぷりくらだなんて、もう3年くらい撮ってない!ゲームセンターに行くこともないし、なんだかいつもあのぷりくらの機械の周りには女子高生のような子達が集まっていて、近寄ってはいけない雰囲気が・・・。 でも実際行ってみると、そういう子達もたくさんいたけど、家族連れや私達くらいの年の女の子たちも結構いたので、ちょっと安心して、適当な列に並んだ。 最近は本当にぷりくらも進化してるみたいで、私達が並んだのは”美白効果?”のあるという一台。きっと随分色白に見せてくれるんだと思う。 まずは400円入れて、え、どこ見るの?ポーズは?って言っているうちにカウントダウンが始まってしまって、カシャ。 次はなにやら目の前のハンドルを動かして、カメラも別の角度に変わるらしい。またカウントダウンが始まったから、とりあえず上にあるカメラを見ながらニコッと笑っておいたら、友達が”違う!今度は下見るんよ!”って。 でももう遅い・・・。 そんなこんなでいつの間にやら満足なポーズも取れないまま、あたふたとしているうちに撮影終了。 でも最近のぷりくらはこれだけじゃなかった! その後、自分達自らペンを使い、その写真に模様を入れたり、背景を塗ったり、縁取りをしたりと手を加えることができる。(あ、最近のことでもないのかも。) でもこれもやり方が分からず、え?どうやるん?と言ってるうちに、時間終了。 ”私らって相当いけてない・・・”とショックを受けながら、早々にその場から立ち去った。 こうやっていろんなハヤリのことについていけなくなってしまうのかな・・・。辛い・・・。 ところでそのぷりくら機の美白効果だけど、確かに顔がぼぉーっと薄白く写ってるから、つるんつるんのお肌には見える。 ま、これは今日集まった記念だから、いいとするかな。でも、お願いだから、手帳に貼って、人に見せないでね。
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2002年1月5日(土) メガネ屋さん |
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最近、お店などで、接客態度がなってないぞ!と思うことが多いけれど(年のせいではないと思う・・・)、今日行ったメガネ屋さんはいつも怪しいくらいにスバラシイ態度で接してくれる。 いつもは使い捨てコンタクトを買いに行くだけだけど、今日はアメリカ用にメガネを作った。アメリカ用と言っても、今使っているメガネの度が緩くて、もっと見えるのが欲しいと思っていたので、この機会に作っておくことにした。 でも、メガネなんて、夜コンタクトを外してから寝るまでの間すこしつけているだけであんまり使わないので、実はどんなのでもいいと思っている。とりあえず、目立たない感じのおとなしめのデザインであれば。 このお店はとりあえずどんなに混んでいても、一人にされることはない。まずドアを開けると、すぐにいらっしゃいませ!と誰かがアテンドしてくれる。そしてその担当の人が、ずっとついてニーズに合ったようなものを探してくれるのだけど、これがまたあまり押し付けがましくない。安いのでいいですって言ったら、その範囲内で探してくれようとするし、どれくらいの利用頻度か、どんな時に使うのか、などを踏まえて一緒に選んでくれる。 ここまで書いて、そんなん当たり前?って思えてきたけど、でもこういうことができる店員さん集団って意外と少ないと思う。 チェーン店なのできっとマニュアルがあるんだとは思うけど、でもファーストフードのお店ってもろマニュアルやってます、っていうのが分かるけど、ここはそういう感じではない。笑顔も自然に出てきてる! ここまで良く接されると、なんだか不気味に思ってしまう自分も悲しい・・・。 とりあえず、ガラスが取り寄せで出来上がりは来週だけど、気に入った色のメガネを安く手に入れることができて、大満足。 安かろう悪かろうを売られるのだと困るけど、しっかり説明をしてもらった上で自分が決めるんだから、全然問題ないし。 ちなみに、ここは犬のマークのメガネ屋グループです。
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2002年1月6日(日) 荷造り完了 |
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今回の渡米は、水曜日に広島を出て、そのままその日に成田からホノルルに向かう。 ちなみにホノルルではパールハーバーを見学したり、広島県人会の人にお会いしたりするので、3泊する。
というわけで、事前に重〜いスーツケースを成田までもう送っておくことにした。 朝起きて、午後の集荷だということで、急いで荷物をまとめてみた。 そうしたら、ナント意外に荷物は少なく、スーツケース一つでスッキリ収まった。 まぁ、これまでに夏前から船便でダンボール5つも送ってるし、明後日にはまた小さいのを2つほど船便とSAL便で 送る予定なので、手持ちが少なくて当たり前といえば当たり前だけど。
あとは、当日大きなバックパックを背負って行く予定。 このPCとか付属品なんかも入れると結構重くなったりするから、肩が凝りそうでやだな〜。
ともあれ、荷物は一応一段落したようなので、ちょっと安心。 あんなに散らばっていた荷物が全部なくなっちゃって、下の和室はがらんとした。
去る者はいいけど、残される人って結構そういう部屋を見た時なんかに寂しくなるんだろうなーって思う。
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2002年1月7日(月) まさにhectic・・・ |
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週末が終わり、にわかに忙しくなった。 きっと本当はもっと前にこの忙しさ分のやることを分配していれば良かったのだろうけど、ハタとあと出発まで寝ずに頑張ってももう40時間くらいしかない!と気づいた今、ドキドキするくらい焦っている。
今日は昼前から市内に出掛けて平和公園に行った。 最後の見納めだと思って、原爆資料館に足を運び、復習を兼ね、じっくり見てきた。 広島に住んでいると、この資料館にはあまり行くことがない。と思う。ここの入場料はなんとこの時代にして50円という破格の安さなので、市民も気軽に?行けばいいのにとも思うけど、でもやっぱり中は本当に重い展示なので、気軽にという言葉は適切ではないだろう。 小さい頃(実は今でも)は、皮膚の垂れ下がった”ろう人形”の展示があるのだが、ここが怖くて怖くて目を背けて小走りでその前を通っていた。一瞬自分もその世界に入り込んだような気分になって、ぞっとしてしまうのだ。でも、そのぞっとするような世界が本当に57年前にこの場所に広がっていたのかと思うと、本当に現在とのギャップが大きく信じがたい。いつも資料館から一歩外に出ると、今の時代のあまりの平和さに、ほっとしてしまうのである。 でも、平和は人々の努力無しでは永遠に続いていくものではないってことを私達は歴史から知っている(はず)のだから、そのために努力をするのは当然のことだと感じる。じゃないと、あの資料館で見るような世界がまた広がってしまうかもしれないのだから・・・。そんなの絶対に嫌だし。
資料館でまたNACへの気持ちを新たにして、その後、紀伊国屋で例の「世界がもしも100人の村だったら」の本を2冊買って帰った。 一冊は自分用、もう一冊はあの文章を転送してあげた時にとっても喜んでいたホストマザーにプレゼントする一冊。
家に帰って、テレビを録画。今日は12月に撮影したものの放映日だったのだ。 あんなに長い時間かけて撮ったものだったが、短くコンパクトにまとまっていた。 特集終了直後から知り合いから”見たよ〜”コールが立て続けにあった。夕方6時なんてまだ仕事であんまり見てる 人もいないと思っていたのに、意外。 少しはネバーアゲインキャンペーンのことを知ってくれる人が増えたかな?だといいな。
明日は今日の倍くらい忙しくなりそうだ。 あと準備期間は1日だから少しくらい無理をしても頑張ろうと思う。とりあえず風邪を引かないことだけに注意して。
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2002年1月8日(火) 日本滞在最後の夜 |
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今日は広島で悪あがきができる最後の一日だったので、本当にバタバタしてしまった。
朝からまずは母校に行き、先生を通じて中学校の美術部の女の子に依頼していた”さだこと千羽鶴”の紙芝居を受け取りに行った。佐々木禎子さんのお話しは広島ではとても有名だけど、もしかすると広島以外ではあまり知られていないのかもしれない。アメリカの子供達にはあまり衝撃的な映像を見せるよりもこのようなストーリーで原爆のことを知ってもらう方がいいかなと思う。紙芝居はとても上手に出来上がっていたので、このお話しはまた後日ゆっくり紹介することにする。
この”紙芝居引渡し”の場には、某新聞社の記者さんも立ち会って取材をされた。 何だか最近マスコミの方とお話しする機会が多かったので、少し話し慣れて来た気がするけど、”初心忘るべからず”で、いい加減にならないように気をつけようと思う。
午後からは、私が平和関係の奨学金を頂いている団体を訪問して、千羽鶴をもらった。 これも昨日急にお願いした話しで、アメリカに持っていく千羽鶴がどうにか手に入らないかと思ったのだけど、広島市関係からは無理だと断られたので、途方に暮れて、この財団を頼ってみた。 この財団から紹介された方がくださった鶴は本当に親指サイズの小さいもので、器用に折ってあった。 平和公園に供えてある多くの鶴もそうだけど、本当に小さくカラフルに綺麗に折ってある。これは是非アメリカの人々にも紹介したいと思う。
そんなこんなで、また今日も平和公園近くを歩いていると、ぼっぼと雪が降ってきたので、もう家に帰ることにした。
家では、姉家族も来て、夕ご飯を一緒に食べた。 これから1年も離れると思うと、本当に長い期間のように感じられた。1年後にはこの3人の甥たちがどれくらい大きくなっているかと思うと・・・。 何故か花嫁に行く前夜のような不思議な気分だ。
今感じているのは、今までは”私のNAC活動”という気分だったけど、これだけ多くの人たちに支えられてこれから1年を過ごすことを考えると、私のためだけではなく、NACの目的を遂行するための私、という気分で、やっと使命感を真に感じてきた。
その期待にしっかり応えられるように頑張ってきたいと思う。
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アメリカでの 2002年1月9日(水) さよなら、日本! |
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とうとう今日の日がやってきてしまった。 昨日までは、友達などに会っても”じゃあね〜!!”と元気良くお別れが出来ていたのだけど、さすがに出発当日となると何となく神妙な気分になってきて、あまり元気がなくなってしまった。もう91歳になるおばあちゃんとも1年間会えないのかぁーと思うと、寂しくなった。 広島空港を飛び立った瞬間、何故だか涙が零れ落ちた。それはアメリカでの活動への不安からか、1年間この地を離れるという寂しさからか、はたまたやっとアメリカで待っているホストファミリーに会えるという嬉しさからなのか、自分でもよく分からない。 とにかく、今日の羽田までのフライトは、いつもとは確実に違う気分で雲をぼーっと眺めていた。
羽田では大学時代の友達が待っていてくれて、そこで少しお茶をした。でも、すぐにリムジンで成田に向かわなくてはならなかったので、ゆっくりできなくて残念ではあったが、忙しい仕事の合間に抜けてきてくれた彼女に一目会えて良かった。
成田では、今回一緒にハワイまで行くめぐちゃんと、あとNACのOBの純平さんが既に待っていてくれた。 急いで大きな二つの荷物を持ってチェックインして、ここでもまたあまり時間がなかったので、すぐに搭乗口に向かった。
そして、今は無事にユナイテッド機内で夕食を前にこうして日記を書いている。 なんだか本当に慌しかった。今朝のことが昨日のことのように感じる。
成田からホノルルまでの所要時間は5時間半。早い! でも、到着は日本時間にすると夜中の1時・・・。辛い。 時差ぼけ防止のため、夕食を食べたらすぐに寝ることにする。
明日のアメリカ入国は恐怖だ。 それでなくても観光ビザで1年というのは怪しいと、厳しいチェックがあるのに、テロ後はどれだけ厳しくなっているのか、これが実は一番の恐怖だったりする。
Wish me luck!! |
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ハワイでの 2002年1月9日(水) アロハ〜! |
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ハワイに到着したのが、現地時間の朝6時過ぎ。 機内では全然眠れなかったので、頭がぼーっとして、気分もすぐれなかったが、入国審査のラインを見た途端、心臓がドキドキしてきた。別に悪いことをしている訳ではないからいいのだけれど、過去のNAC大使がどれだけ入国で大変な思いをしたかって話しを聞いてきたので、いよいよ最初の難関だ!と思うと、気が引き締まる思いだった。 この入国に際して、広島市長や元長崎市長の推薦状ももらったりして、対策は完璧だったのだが、いざ私の番が来たら、いくつか簡単な質問をされただけで、大きな問題もなく半年の滞在許可をもらうことができた!あぁ、良かったぁ・・・。 半年後にはまたビザを更新しなくてはならないが、とりあえずは入国が出来たということで第一関門突破。
空港を出てからはすぐにバスでホテルに向かい、朝なのでチェックインはまだ無理だと思っていたがラッキーにもすぐにチェックインすることができた。 私達が滞在するのは、コーラルリーフホテルというワイキキビーチから歩いて5分くらいのところにある中級のホテルだ。インターネットで安く宿泊できるプランにしたので、その値段の割にはかなり広い部屋が用意されていた。至るところに古さはちょっと感じるが、特に問題はない。
何しろ今は1ドル132円50銭!!今日、両替をした時のレートなんて、1ドル135円!!! これはもう節約するしかない。 以前は外国での買い物など、お買い得感が強かったが、今は同じだと思う。食事に行っても、日本より高いタックスやチップなどを考慮すると、意外と日本の方がお得だと思う。日本もデフレだからね・・・。
もう夜中の1時なので、寝る前にロードアイランドのホストファミリーに電話しようと思ってさっき下の公衆電話からしたんだけど、私としたことが時差を間違えてしまって、向こうは夜の8時だろうと思って電話したら、なんと朝の6時だった・・・! 日本とハワイとロードアイランドの時間を正確に把握できない。何時間引いてとかやってたら、頭が混乱してきて・・・。 早朝から叩き起こして悪かったなー。でも真夜中の3時とかじゃなくてまだ良かった。 それにしても、初めてホストのKarinとScottと喋ったが、とても穏やかで想像通りの良さそうな人たちで安心した。 早く一緒に生活してみたい。
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2002年1月10日(木) ダイヤモンドヘッド |
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今朝は9時前に電話のベルで起床。 ベルの主は、NAC8期大使5人の内の入国を1日ずらした三人。 彼女達は、私とめぐちゃんとは打って変わり、入国の際けっこう大変で別室に連れて行かれたらしい。色々尋問されたみたいだけど、その甲斐あってか1年の滞在を許可されたみたい。いいなぁ。
今日はとりあえずみんな到着したばかりで疲れているので、別行動をすることにして、私達はダイヤモンドヘッドに行った。 ダイヤモンドヘッドは、40分くらい山登りをするのだけど、その山の頂上から見るハワイの景色はとっても美しかった。特に海岸線は色々な色に変わっていて、本当に綺麗だった。
残念ながら私は海にも入らないし、ショッピングもしないので、ハワイに居るといってもあまりすることがない。 メインは明日のパールハーバー。
ハワイは噂通り日本語だけでも十分生活していけるところだし、今は冬だというのにこんなに気候も良いし、日系人もとても多くてまさにリゾートという感じ。
それでも、やっぱり早くホストの居る寒〜いロードアイランドに早く行ってみたい!
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2002年1月11日(金) 色々な出会い |
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今日は朝から広島県人会のちょうじろうさんとおっしゃる方にお会いした。 私は以前からハワイやアメリカ西海岸、南米などに”移民”された人々の人生に興味を持っていて、特に今回はパールハーバーにも行くので、広島から移民した人たちがどのような気分でパールハーバーへの攻撃を受け止め、そして原爆が落とされた時はどのように思われたのかなどお聞きしたいと思い、広島県庁に問い合わせ、回りまわってこの方を紹介して頂いたのだった。 詳細はまた書きたいと思うけれど、このちょうじろうさんは移民史から大切な部分を1冊のノートに書き写して下さっていて、それをプレゼントしてくださった。見ず知らずの私に、そんなことをしてくださったなんて本当に感動した。 夏からお会いする約束をしていたので、やっとそれが果たせて良かった。
夕方からは、ワイキキのサンセットを是非見ておこうと、ヨネチと二人でビーチに出掛けた。 写真を撮っていたら、”写真撮りましょうか?”とおじさんが声を掛けてくれて、有り難く撮ってもらった。 その後少し会話をしていたら、”アイスクリームが好きなら是非おごらせてください。”と言う事で、私達は、”怪しい〜!”と思い警戒していたのだが、顔を見ると悪そうな人でもないし、アイスクリームで騙されることもないよなぁとご馳走してもらうことにした。 目の前のバスキンロビンズで大きなアイスをおごってもらって、色々な話しをした。彼はアイオワ出身の55才位のNavyの人で沖縄の基地にも駐在していたそうだ。あとフィリピンや韓国にも。 もうサンセットの時間だったのでお別れすることになったが、最後は”とても楽しかったです。ありがとう。”とお礼まで言われてしまい、何だか恐縮してしまった。めちゃくちゃ怪しいんじゃないかと思ったが、本当にアイスをご馳走してくれただけだった。
その後サンセットを見ようとビーチに腰掛けていたら、典型的な陽気なおじさん風の人がいきなり横に腰掛けてきて、勝手に話しを開始。やはり彼はイタリア人のおじさんだった・・・。 たわいもない話しをして、彼はチャオ!と言いながらまたジョギングに戻って行った。
ハワイは人々が開放的になるのか、何だかみんな気軽に言葉を交わす。 でも、良い人か悪い人かは結構すぐに分かるものだ。気をつけよう。
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2002年1月12日(土) パールハーバー |
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昨日行く予定にしていたパールハーバーへは今日の午後行った。ワイキキからはバスで1時間以上乗っているような場所にその美しいハーバーはあった。 感想は、”平和への想い”の中で書くことにする。
パールハーバーから戻り、夕方から私は親戚が主催する新年会に行った。 実は私にはホノルルに親戚が居たのだが、もう2世・3世の時代になるとあまり交流がないみたいで、特に気にとめていなかったのだが、せっかくホノルルまで来たのだし、時間も余り気味だったので、コンタクトを取ってみることにした。 電話をしたら、快く遊びにいらっしゃいと言ってくれ、彼女(母より年上)とお兄さんが経営しているという和菓子屋さんに遊びに行った。 日本の饅頭やあられ、お餅などを製造・販売しているお店をもう30年近く営んでいるそうだ。 本当にハワイには何でもあるので、おみやげにカステラを持っていったのだが、その店もホノルルにあるそうで、本当にハワイへのおみやげは困ってしまう。 とりあえずその新年会というのが50人くらいの集まりで、広島だけでなく色々な場所出身の人が集まって、中華料理屋さんで日本と同じような新年会が開かれていた。 私の親戚も2世で生まれもハワイだが、日本語は日本人と同じくらい達者だ。でも3世となるとほとんど喋れないと言っていた。何だかハト従兄弟?のジェフが英語しか喋れないなんて変な気分だ。
ハワイには日本人と同じ顔をした人がたくさん居て落ち着く。 そして人々も暖かいので、本当に楽園という名にふさわしい場所だなと思う。
さて、今夜11時前のフライトでホノルルを出て、いよいよ本土のホストファミリーの家に向かう・・・。
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2002年1月13日(日) ロードアイランドへ |
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今、半年間自分の専用になる部屋のベッドの上でこの日記を書いている。 まだ10時過ぎだけど、もう寝る準備万端だ。
ホノルルを出たのは昨夜の11時前。その後、サンフランシスコ&シカゴを経由してはるばる東の端のロードアイランド州はプロビデンス空港に到着したのが翌日曜の今日夕方5時過ぎ。1時間以上シカゴ出発が遅延していたので到着した時はもう真っ暗になっていた。 空港にはホストファミリーのKarinが待っていてくれた。 Karinとは頻繁にメールのやり取りをしていたので、全然初めて会うような気がしなかった。 私ももちろん会えて嬉しかったのだけど、彼女の方が私より興奮しているような様子だった。 彼女とは年も7つ8つしか変わらないので、お母さんというよりはお姉さんという感じだ。 でも、いつもまっすぐで心の綺麗な女性だ。
空港から30分くらい行った森と湖に囲まれたところに彼女たちの家はあった。 今日はもう暗くて外が見えなかったので残念だったが、明日は明るいうちにしっかり周囲の様子を見ておこうと思う。 プロビデンスというと、みんなアメリカの人は”beautiful city!”と言ってくれるので、本当にどんな街か見てみるのが楽しみだ。ロードアイランドに住んでいるという日本人なんて聞いたことがないが、優秀なブラウン大学があるので、きっと日本人留学生も居ることには居るのだろう。
家では、お父さんのScottと3人の小学生の子供達が待っていてくれた。家の玄関のドアの前にはWELCOMEのメッセージと絵を貼っておいてくれ、家ではピアノを弾いて迎えてくれた。 4メートルはありそうな巨大なクリスマスツリーも私が来るまで取っておくと言って残しておいてくれたそうだ。 子供達は上の二人が女の子(Kristine&Rebecca)、そして末っ子が男の子のEli。 明日はまた学校なので、お風呂にも入って準備万端だった。夜は8時に子供達は寝るらしい・・・。 私もいっそこの際、早寝早起きの生活パターンに切り替えたいと思う。例えば夜は11時に寝て、朝は7時とか。
とにかく今日は本当にバタバタなので、少しずつ生活パターンを作っていきたいと思う。 まずは健康第一で。
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2002年1月14日(月) 彼らの生活スタイル |
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昨夜は11時にベッドに入り、いつのなら寝つきが悪くてなかなか眠れないのに昨日ばかりはさすがに疲れていたらしくすぐに眠りに落ち、起きてみたら昼前の11時であった。日本からハワイ、そしてロードアイランドと時差も大きく、まだ体がどこの時間に合わせたらよいか分かってないみたいだ。
起きてシャワーを浴び、その後Karinの作業場に行った。(スタジオと言うらしい) Karinはビジネスとして石を彫る仕事をしている。彫刻家? メインは、お墓の石に絵と文字を彫る仕事だ。日本の墓石には絵柄は彫ってないが、こちらのにはハトが彫ってあったり、今日見たものには墓の上に亀が彫ってあったりした。亡くなった人の好きなものが反映されていてユニークだ。 Karinは朝子供達が学校に出掛けた後の8時半から夕方戻ってくる4時までここのスタジオで仕事をしている。 スタジオは家の横にあるので、通勤時間徒歩30秒だ。
Scottも朝7時から仕事を始め、夜は4時には家に帰ってくる。Scottは大手の電話会社に勤務している。 なんと4時には家族全員が揃ってしまうと言う日本では考えられないような生活である。 それから夕ご飯を食べ、子供達とScottは8時過ぎたらベッドに行ってしまうので、私は9時過ぎから寝るまで自分の時間が取れて嬉しい。でも一人で部屋に篭ってしまうのは良くないと思うので、台所にPCを持っていき、なるべくKarinや他の家族との時間を大切にしたいと思っている。
今日は午後少し家の周りの散歩に連れて行ってもらったのだが、明るいところで見る初めての近所はすべて森だった。 本当に森の中の一軒家だ。 家の前後も全部庭で、3エーカーの土地があるそうだ。エーカーで言われてもピンとこなかったけど、3エーカーがこの広さで隣の家は80エーカー持っているというから驚きだ。日本で言う何坪なんだろう?
この家では生ごみなども肥料に変えるようにしていて、なるべく自然を壊さずという生活をしているそうだ。 水も地下水みたいで、水道からそのままおいしい水がすぐ飲めるので嬉しい。 食事も今夜はタコスだったけど、普段から思っていたほどアメリカっぽい食事ではなさそうなので、これもまた嬉しい。 ピザにハンバーガーにという生活だったら私にはかなり厳しいと思う。
この家族のシンプルな生活スタイルは日本で私がしていた生活とはかなり違うけれど、全く違和感はない。 家族や自然を愛する生活は理想だけど、なかなか難しいだろうなと思っていたので、この家族の生活スタイルは学ぶことが大きい。
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2002年1月15日(火) また12時間か・・・。 |
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昨日の夜はなかなか眠れず(前日あれだけ寝てれば当たり前?)結局2時半頃眠りについたと思う。でもなんだか夜中になると異常に暑くて、思わず私は風邪を引き始めたのかと体温計を取り出しそうになったけど、どうやらそれをKarinに今日言ったら、室温調整の関係らしい。温度を下げてくれたので、今夜は大丈夫だと思う。 とにかくその暑さのせいで5時頃起きて30分くらい眠れなくなり、また寝て、その後朝8時前の子供達が学校の行く準備の時賑やかで何となく脳が起き、また寝たので、起きたらナント1時。思わず時計を見間違えたのかと思ったけど、ホントだった!やっぱり細切れの就寝は良くない。
今日は、子供達の内二人が乗馬を習っているので、彼らを学校まで迎えに行って、その後その乗馬を教えているMrs.Rossのところに連れて行った。彼女は14頭の馬を飼っているそうだ。 道路でも馬に乗っている男性を目撃したし、結構馬が多いみたい。なんだか優雅だ。 そして街で気づいたけど、どうやらこの辺りは白人社会みたい。学校もほとんど白人の子供達だったし。 あれだけ日本人を見たハワイとはえらい違いだ。私がこの街で悪いことしたら絶対すぐばれそう。
子供の乗馬レッスンの間、Karinと二人で初のお買い物に行った。お買い物と言っても、いわゆる食料調達ってやつです。 アメリカには巨大スーパーマーケット(日本で言うダイエーとか?)がいくつかあり、大体の街にあるけど、Karinはそういう大型店舗はあまり好きじゃないらしく、滅多に行かないと言っていた。何故かと言うと、そういう店ばかり増えると地元の小さなお店は全部潰れてしまうからだそうだ。これは日本の地元商店街問題と全く同じ。私も東京ではいつもそう思いながらも、安さに惹かれて大型店に行ってたなぁ。 というわけで、小さめのスーパーのようなところに行き、フルーツやハムなど必要なものを調達。週一くらいしか買い物には来ないそうだ。私もとりあえずの必要そうなものを買っておいた。ロードアイランドのタックスは7%だということが判明。 今は円安なので、こちらのものも全然安く感じない。確かに食料品などは安いけど、他のものはね。今は日本も価格破壊で安いし。
今夜の夕食はチキンスープにパン。 みんな驚くほど食べる量が少ない。いわゆる巨大アメリカ人ではないからかな。 実はアメリカ人、そんなに食べる人が多いって訳ではないと思うけど、きっと食べるものが油っぽいから太っちゃうのかな。 Karinはファーストフード店のハンバーガーなどはヘルシーじゃないから食べないって言っていた。コーラとかもあまり飲まないし。でもいつもオレンジジュースやミルクなど色々フルーツ系が揃っているから嬉しいけど。
夜はようやくダンボール解体作業をしていたんだけど、途中でおなかがすいてきたので、キッチンに行き、シリアルバーとミルク、そしてバナナをもらった。 きっと早起きして早く寝れば夜中におなかがすくこともないんだな。
明日こそはこの荷物をきっちり片付けさせて頂きます。
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2002年1月16日(水) 子供達のこと |
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今はKarinのスタジオでこの日記を書いています。 彼女は子供が寝静まってから毎日一人でこのスタジオに来て、メールを書いたり自分の時間を持つようにしているそう。 彼女は妻であり、母であり、Karinであるんだなとあらためて感じ、そんな生活を羨ましくも思う。 もし日本で会社勤務で家族を持つとしたら(女性が)、絶対こんなに優雅な時間の過ごし方はできないだろう。 やっぱり在宅でできるような何かスキルがあればいいのにな。私にも。
さて、今日はやっと荷物の片付けも終わり、今度はプレの準備に移行できそうな雰囲気になってきた。 実は既に何件かプレのメドが立っていて、あとは日程を調整するだけなのだけど、プレできますリストの中にあるお茶や大正琴が実はできないので、かなりドキドキしています。道具や本は持ってきているのだけれど・・・。 あとは、折り紙とか紙芝居など既に準備は出来ているものの練習をしておこうと思う。 幸いうちには小学生の子供三人というカッコウのオーディエンスがいるので、彼らを練習台にさせてもらうことにしよう。 実際に彼らの学校にも近々行くので、どんなプレが良いか下調べ?もしておきたいし。
子供と言えば、この家の3人の子供達だけど、真中の小3のレベッカはとても人懐っこくてすぐに打ち解け、彼女からどんどん話し掛けてくれる。いつもジャンプしたり回ったりしているとてもアクティブな女の子。 上のクリスティンは小5でお姉さんっぽいが、あまり自分からどんどん話し掛けるようなタイプではない。どちらかというと大人しく、まさに優等生のお嬢様なのである。Karin曰く、完璧主義らしく、折り紙もとても上手だ。彼女とは折り紙を通じて仲良くなれそう。 そして末っ子のイーライは小2。レベッカより縦も横も大きいので、同じクラスの友達みたいに見える。彼はお調子者タイプで、末っ子らしい子だ。彼とも遊びながら仲良くなっていけるかな。 ということで、レベッカ以外の二人とも早く仲良くならなきゃと焦っていたけど、よく考えたらまだここに来て4日目。そんなにすぐ仲良しになれなくても気にすることはないと思った。 今日は子供達とソリで庭の坂になっているところを暗くなるまで滑って遊んだ。こんなのするの何年ぶりかな。 そして、夜は夜で、何故か家族みんなで手を繋いで踊ったりして(日本で言うと”ロンド橋”みたいなの)、どうもその輪の中に自分が居るのが変な感じだったけど、ここでは恥ずかしいとか言ってられないので頑張ってみた。 本当に家族同士がとっても仲良しの一家だ。スゴイ。
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2002年1月17日(木) 寒い |
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何だか家に居ても寒いので、昼間はスタジオの方に行くことが多い。スタジオではいつも薪を燃やしているから暖かい。 私は特に寒がりって訳ではないので、きっと家族の人が暑がりなんだと思う。子供達もたまに家の中では半袖だし。昨夜から、くしゃみ&鼻水の症状が出てきたので、念のためと思って薬を飲んでおいた。こんな時に風邪なんて引いていられないし。でも、私が過去の経験から思うに、欧米人は基本的に体温が高いんじゃないかと思う。だからたまにトンチンカン(失礼?)な格好をしている人がいるんじゃないかなぁ。
とにかく、そんなこんなでちょっと頭がぼーっとした1日だった。 明日は夕方からクエーカーの集まりがあり、そこで初のミニプレをする。スライドなどを見せることにしている。 でもいつも8人くらいしか集まらないそうなので、あくまでこれは今後の練習としてってことだった。かといって手抜きをするわけにはいかないので、一生懸命頑張ってきたいと思う。いくら人数が少なくてもね!きっとこの人たちにはこれからもとてもお世話になると思う。
クエーカー(フレンズとも言う)信者というと質素とか絶対平和主義とかそういうイメージしかないので、集まりはどんな雰囲気になるのか楽しみなような怖いような気もする。 NACがクエーカーと関連しているわけではないが、やはりクエーカーの人たちはホストファミリーになってくれたり、平和のためなら努力を惜しまない人たちなので、きっと良い人たちが大いに違いない。気楽に行くことにしよう。
ちなみに私のお世話になっている家もクエーカー教のおうちで、色々なイベントがあるようだ。 早速来週末にはクエーカーの子供達のキャンプに私も参加できそうだし、どんな教えなのか聞いてくることにしよう。
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2002年1月18日(金) 思わず涙が・・・ |
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今日はこの地域の学校は先生達の会合とか何とかでお休み。ちなみに月曜はマーティン・ルーサー・キングの日で祝日。つまり4連休。というわけで、今日は朝から子供達は外で雪遊び。とても賑やかだった。
私は夕方のプレのために昼過ぎから準備を開始。 まずは今日見せたいと思っていたスライドを事前チェック。このスライドは丸木夫妻が書いた絵のスライド。私はこのご夫婦のことは知らなかったが、”ぴかどん”という本は小学校の時に読んだことがあったので、彼らの描写方法は馴染みのあるものだった。30分に渡り、上手に原爆のことが表現されている作品で、大人にはとても好評だと聞いていたので、これを選んでみた。
まずは、クエーカーミーティング自体が初めてだったので、ちょっと緊張した。 いつもは日曜に行われるそうだが、9月のテロ以降、有志が集まり金曜の夜にも平和のためのミーティングを行っており、今日はまさにその会だった。 時間通りに教会のような場所に入り、みんな静かな中で黙想していた。私もとりあえず同じようにした。でも6時という微妙な時間だったので、こんな静かな中でおなかがならないかと心配で集中できなかった。情けなし・・・。 1時間程黙想するのだが、突然男性が席から立ち、”みんな何でも手に入ると思っているが、平和というものは誰かから与えられるものではなく、自分達が作り出さないといけないものだ。”という主旨の話しを話し始め、またある女性は”キング牧師が暗殺された時はみんな次に何が起きるか分からなかった。暴動があるかもしれないとか心配していたが、勇気を持って黒人の人たちの教会に行ってみたら優しく受け入れてくれた。今も同じように今後何が起きるか分からないというような時代にいるが・・・”と自分の経験を語り始めた。最初はびっくりしたが、皆言ってることはとてもごもっともなことで、私も賛同した。これは自分が思っていることや感じていることを勝手に話すそうで、他の人は自分の心の中でそれを受け止めてもいいし、賛同できない意見だったらただ聞いていればいいそうだ。とりあえず私は目を瞑ったまま彼らの意見を聞いていた。
何だか初体験なので、私はどんな集まりに来てるんだ!?とちょっぴり不安になったけど、まあこれも経験経験。 そもそもクエーカーはキリスト教とユダヤ教の中間くらいにあって、プロテスタントの一派だそうだ。私の中・高もプロテスタントだったので、そういう意味では教えにあまり抵抗はない。 ただクエーカーという名前が、”アースクエイクのクエイク。震えるって意味よね。もしお祈りとかで人々が震え始めるような宗教だったらどうしよ〜!”とアホな想像をしてしまって怯えていただけだ。
お祈り後、みんなで持ち寄った食べ物で夕食だった。今日はパスタ。美味しかった。
そしてとうとう私の番。 まず自己紹介などをして、その後スライドに移った。 スライドにはナレーションがついているので、私も観客の一人になって見入ってしまったが、丸木夫妻の絵には力があり、とても訴えかけてくるものがある。思わず泣きそうになった。(このスライドを観るのは二度目。) スライドショーが終わり、ライトを点けてみると、男の人まで涙を拭っている。カップルは肩を組み、手を取り合いながら・・・。 そんな光景を見て、私も一言言葉を発した途端、涙が溢れ出てきた。 自分でもかなりびっくりしてしまったのだが、言葉にならない。そこですかさずホストのKarinが助け舟を出してくれた。 こんなひどいこと二度と繰り返してはいけないってみんなこのスライドを見たら感じるはずなのに、それにも関わらず日々人々は争い、殺し合い、戦争をしているのかと思うと、自分が求めている平和がなんて遠くにあるんだろう、でも私と同じように平和を求めている人たちが目の前にいるんだ、と思うと嬉しさとか色んな気持ちが混ざり合い、つい涙になってしまった。
その後、みんなから色々質問が出て、出来る限りの答えをしておいた。
ところで日本にもCIAとかFBIとかそういう秘密警察みたいなものはあるのでしょうか?ないと思うと言っておいたけど。
明日は早起きしていざニューヨークへ・・・。
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2002年1月19日(土) メリーの家へ |
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今朝は初めて(!)7時という早朝に起き、8時にKarinと家を出てニューヨークのメリー宅へ向かった。 NYと言っても街中では全くなく、マサチューセッツ州との境にある、これまた木々に囲まれた場所だ。NYは広い。 メリーはNACのアメリカ側の事務局をしてくれている人で旦那さんのドンと共にNAC立ち上げ当初からボランティア選考のために来日したり、アメリカでのホストファミリーを探してくれたりと、まさにアメリカの父母のような人たちだ。 彼らに会うのは実は今回がまだ2度目。選考の時に会って以来1年半ぶりであった。
うちから彼らの家までは車で2時間くらい。着いたところは、これまたうちと負けないくらい隣家が遠く、周りは森林だった。 しかも、Karinの石の家もそうだけど、この木で出来た家もドンとメリーが6年掛けて自分達で作ったそうだ。 彼らの娘夫婦も今自分達で家を建てていて、1年がかりで近々出来上がる予定。その家を見に行ったけれど、周りが広く開けていて、その向こうは森。その開けているところは全部庭だっていうから、もうこれは東京ドームが2つくらい入ってしまうくらい(いや、それ以上?)広い。本当に日本では想像できないことばかりでビックリする&羨ましすぎる。
私が暖かくないジャケットを着ていたのですぐにメリーが私をthriftショップ(洋服のリサイクルを売っていた)に連れて行ってくれたが残念ながら気に入ったものは無かったので何も買わなかった。 その後、NACの活動をしてくれているドンの勤める大学に連れて行ってもらい、どんなところか見せてもらった。
間もなく天気予報通り雪が降り出したので、急いで家路についた。 家ではメリーたちとNACのOBのアルバムを見ながら色んな話しを聞いたり、彼らの小さな孫娘も二人居たので、彼女達とかくれんぼをしたり、ゲームをしたり・・・。 そして夜はラザニアを食べ、その後、気合の入ったスライドショーを見せてもらった。
昨夜は5時間しか眠れなかったので、今日はしっかり寝るようにしよう。 明日は朝から彼らの所属しているクエーカーミーティングに参加する予定。 その後、Karinと合流して一度家に戻り、また今度は街のNYに出掛ける。 何とも忙しい。でも久々に友達にも会えるし、グランドゼロも行けるかなと楽しみにしている。 こっちに来て以来森の中にいるので、ちょっと外の世界にも出てみたい気分だ。
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2002年1月20日(日) ニューヨークシティーへ |
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今日は午前中はメリーと孫娘二人と共に、彼らが通うクエーカーミーティングへ出掛けた。ここもやはり前回地元で行ったのと同じように、静寂の中で1時間瞑想をするという類のものだったが、今日は誰も勝手に話し始める人はいなかった。
午後から、メリーたちと別れ、Karinと合流し、懐かしの?ロードアイランドの家に夕方戻った。 それから私達はまたすぐニューヨークシティーに向けて出発した。今回は、私達二人以外にKarinのアシスタントのトレーシーも加わり、女性3人でのドライブとなった。ロードアイランドの家からNYCまでは車で3時間で思ったより近かった。 |