2002 February  

 

2002年2月1日(金) It saved my life...

 

今日Karinは私のために丸一日を使ってくれた。

まず、午前は地図を探しに出掛けた。アメリカ全土の大きな地図を買って、壁に貼り、私が滞在中どこに行ったかマークできるように。ボーダーズという巨大な本屋さんがあり、そこでナショナルジオグラフィックスの良いアメリカ地図を見つけた!

これでこの1年にどれだけの場所に行ったかをマークすれば、1年後には良い思い出になるだろう。

 

午後は、プレで見せる予定のビデオを見ていった。でもたくさんあるので子供達が帰ってくるまでに半分くらいしか見れなかった。映像が衝撃的で、小学校低学年の子供達には見せられないので、続きはまた今度かな。

しんちゃんの三輪車とか真っ黒のお弁当箱などのストーリーはサダコさんの話しほどは知られていないけど、原爆資料館に両方とも展示してあるので思わずまた涙が出そうになった。

 

そして夜は隣町でKarinの知り合い主催のフォークソングのコンサートがあるというのでそれに二人で出掛けた。

そこでもまた多くの人を紹介してもらい、去年の10月にフルブライトの奨学金で日本に3週間滞在したという小学校のアートの先生もいて、私が隣町に住んでいることを知ってとても興奮した様子で、どれだけ彼女が日本で親切にしてもらったか、今は日本がどんなに好きかという話しを聞かせてもらった。

コンサートもなかなか良くて、ああ、今日も良い一日だった、アメリカもなかなか悪くないじゃん!(実はかなりアンチアメリカな私・・・)などと思っていた帰り間際にKarinが木の彫刻家?というおじいさんに私のことを紹介した。

”ゆみこよ。彼女は広島出身なの。”と言うとそのおじいさんは”おぉ。”と目を大きくし少し微笑んだが、Karinが”ヒロシマ・ナガサキのことを伝えに来たのよ!”と言うと、即座に”IT SAVED MY LIFE."(あれが私の命を救った。)と言った。

その言葉を理解するまでに少しの時間が必要だったのだけど、やっと、あぁ、このおじいさんは私に言ってるんだ、と理解した。

特に高齢のアメリカ人などからは、よくこの言葉を言われるというけど、直接聞いたのは初めてだったので、とても驚いた。そしてショックだった。

彼は第二次世界大戦中マリーン(海軍)にいて、間もなく自分もTOKYOに行く、というところで広島への原爆投下があり、自分は行かなくてよくなったから、あれがなかったら今私はここに居なかった、というのだ。

それを聞いて私はどうリアクションしてよいか分からず、とりあえず聞くことしかできなかった。そして老人は、Enjoy your trip!と言って去っていった。

原爆投下で戦争が終わったお陰で彼が助かったというのは事実だし、それに反論するつもりはない。でも、じゃあ広島・長崎で殺された何十万の人たちの命はどうなの?その人たちのことは??っていう気持ちも押さえきれず、私は家に帰ってきた今でもその老人の顔とIt saved my lifeという言葉が頭の中をぐるぐる回っている。

しかし、被爆者たちの言葉もそうだけど、身をもって経験した人の言葉はパワフルだ。戦争の恐ろしさなんて知らない私が平和について語ろうとも、それを経験した人たちの一言には到底及ばない。でも、それでも私達は語らないといけないんだと思う。自分の出来る範囲で。

被爆者の人がおっしゃっていたけど、やはり原爆を経験した人がアメリカで話すと(当たり前だけど)感情的になってしまうので、私達のように戦争や原爆を経験していない世代だったらもう客観的に原爆のことをアメリカの人たちに話せるから良いかもしれないね、とおっしゃっていた。

確かに私達の言葉は被爆者の人達の言葉ほど力はもっていないけれど、アメリカでも戦争を体験していない人たちが大多数の今、みんなが同じ土俵に立ち、平和への道を探れる時代なんじゃないかとも思った。いや、そう思わないと、今夜眠るのにあまりにも辛い・・・。

 

 

2002年2月2日(土) 日本人留学生

 

よく考えたら、こっちに来て今日は初めてゆっくり家で過ごす週末だった。

NYCへ行ったり子供キャンプに行ったり週末は何かとお出掛けしてたからなぁ・・・。

今日は午後からKarinのご両親がコネチカットから遊びに来てくれていたので、暖炉に薪をくべながら、みんなで幸せな時間を過ごした。

昼食にはまた私の頼りない日本料理が登場!今日はMISO スープ。お味噌汁ね。

なかなか入手困難だった味噌だけど、Scottが近くの健康食品店で手に入れてきてくれた。

豆腐はどこのスーパーでも売っているので、具には豆腐と玉ねぎ、じゃがいもに人参、そして白玉だんごというかなり具沢山&個人的趣味の入ったお味噌汁に仕上がった。出来はなかなか、美味しかった!(はず)

来週はバーモントの高校でクッキングのクラスにお邪魔するので、どんな日本料理を作るか考えないといけないし、練習しておかないといけない。だから、きっとまた数日中に食卓には日本料理が登場する予定。

 

夕方ある電話が掛かってきた。

それは日本人留学生をホストしているという同じ町の女性からで、こんな小さな町に他にも日本人がいるなんてびっくりだから、是非彼女達を引き合わせましょう、という内容だった。

ということで、その日本人留学生の女の子と電話で話したのだけど、彼女は私より3つ年下の女の子で、英語を勉強するために近くの大学のESL(English as a Second Language)に通っているとのこと。

彼女は去年の9月のテロ直前にこっちに来て、予定では今年の9月まで居るそう。

早速じゃあ会おう!ということで、来週のいつか私が土曜日にバーモントに行ってしまう前に、一緒に彼女が通っているプロビデンスに行くことにした。

初のプロビデンス、かなり楽しみだな。こんな小さな州の州都ってどんな感じなんだろう。噂ではかなり良さそう。

とにかく、こんな小さな州の小さな町で知り合いになるのも何かの

協力しながら、良い友達になれればいいなと思っている。

 

 

2002年2月3日(日) 養子縁組

 

こちらに来てあらためて感じていたことなのだけど、adoptionという言葉をしばしば聞く、いや、かなり聞く。

養子縁組ってことだけど、それが日常の生活にすっかり溶け込んでいる感じ。

今日も午前はホストファミリーとミーティング(礼拝)に参加し、午後はKarinが所属している地元のアーティスト達の会発足3周年パーティーに参加した。

そこである男性が写真をPCでプリントアウトしてもらっていたのだけど、それがアジア系の女の赤ちゃんの写真だった。

尋ねると、それはカンボジア人の赤ちゃんで、今、養子縁組の手続きをしていてまだプノンペンにいる赤ちゃんだそうだ。

今日の朝のミーティングでも誰かが、養子縁組を結ぶことになって・・・とか話していたし、Karinの親友も二人の姉妹をアダプトしたそうだし、本当にアメリカでは普通のことみたい。

高校1年生の時に初めてオレゴンで夏休みを過ごしたが、その時にある友達の家庭には元々のその夫婦の子供と、プラス黒人の男の子とアジア系の女の子も一緒に家族として暮らしていることを知り、びっくりしたことがある。同じ人種なら子供に内緒にしておく、なんてこともできるけど、人種が違う子供を家族として迎え入れるなんてどういうことなんだ!?と高校生ながらに衝撃的だった。懐が深いというか、何というか・・・。

これは確実に日本とは違う”異文化”だと思った。

でも今日のカンボジア人の赤ちゃんの写真を見て、本来ならカンボジアの両親のもとでカンボジア語?を話してカンボジア人として成長するであったであろう赤ちゃんが、遠くアメリカに来て、白人の養父母のもとで英語を話し、アメリカ人として育っていくのか・・・と思ったら、人間の人生なんてどこでどう180度変わってしまうか分からないなぁ、なんて思った。国籍まで変わってしまうんだから!

ともかく、何らかの厳しい事情でカンボジアでは幸せに暮らせないのだろうから、アメリカでしっかりかわいがってくれる養父母のもとで暮らしていくのがその赤ちゃんにとっては幸せなのかもしれない。大人になったら自分の人生は自分で決められるけど、子供のうちは環境は選べないから大人がしっかり守ってあげないと・・・。

 

 

2002年2月4日(月) プレのプレ練習

 

ホストマザーのKarinは本当に行動力のある女性だ。

来週のプレに備えて、子供達に渡す感想記入用紙や名刺など、いくつか印刷したいと思うものがあったのだけど、それを伝えると一緒にレイアウトを考えてくれ、すぐに町の印刷会社に連れて行ってくれた。

私が印刷したいと思っているものは、@プレ後に子供達に感想を書いてもらう用紙 A子供達の名前をカタカナで書いてあげようと思うので、それを書く用紙 B名刺。

3,000枚とか5,000枚単位で作るので、どれくらいコストが掛かるのか不安だけど、こちらに来てほとんどお金を使うことがないので、こういう良い事に使えればいいんじゃないかと思う。

 

夜は日本から持参したスライドを見せたけど、たくさんあったので子供達には長すぎた。

もちろん本番のプレでは10分とか15分以内にはとどめようと思っているので、大丈夫だと思う。

明日は多分家の子供達相手にサダコと千羽鶴の紙芝居を披露することになる予定。

でも、紙芝居って、普通に読んでも面白くないけど、声優みたいに気合入れて読むのも何だか恥ずかしい。

本当にNACの活動って、心臓に毛が生えないとやっていけない感じ。

 

 

2002年2月5日(火) 食欲復活

 

2月17・18日にブッシュ大統領は日本に行くんだ。知らなかった・・・。

日本のニュースはネットで見れるけど、アメリカのニュースは恥ずかしながらよく知らない。

ブッシュ大統領は日本に行って、戦争のサポートの約束を取りつけてくるのかな。

今アメリカがどれくらいアフガンを攻撃しているのか分からないけど、きっともうアフガン攻撃に対して多くのアメリカ人がうんざりし始めている頃のような気がする。相変わらず車にはためく小さな国旗はたくさん見るけど。

 

今日も来週のプレに備えて、ビデオを観たり、先生達と連絡を取り合ったりしていた。

電話で話すとやっぱり英語力のせいもあり、かなりぎこちなくなってしまうし、私がどこの馬の骨か(?)分からないだろうからきっと先生も少し警戒してるだろうなぁーって思う。特に中・高の歴史の男の先生あたりがそんな雰囲気。

私が逆の立場でも、どんなヤツが来るんだ?!と少し警戒すると思うし。

でも一度顔を見て会って話せば、だいたいの場合、良い関係が築ける。これまで仕事を通じて知り合ってきたアメリカ人達もそうだった。仕事で初めてメールや電話をし始めた頃は、お互い相手を信用してなくて会話の内容も仕事オンリーだったけど、それが今は仕事抜きでも友達になってたりするから不思議だし嬉しいことでもある。

これから会う先生達とも良い関係が続いていけばいいなーと思う。そうしたら子供達同士の交流もできるし、次のNAC大使がこのエリアに来た際にはまた学校に呼んでくれるかもしれないし。

 

話しは変わって、今夜は親子丼を作りました。材料があったから。

ちょっと甘すぎたけど、なかなか美味しかった。(いつも自画自賛?)

KarinとScottは美味しいとたくさん食べてくれたけど、子供達は私の目の前で"I don't like this!"と言うから子供って残酷だ。

今度は手巻き寿司なんかも作ろうかと思ったりしてたけど、絶対黒い海苔のことを気持ち悪がりそうだから、ヤメ。だって、目の前でまた”美味しくない!”って言われたらブルーだし。無難な、”すき焼き”とか”トンカツ”なんかを作ってみようかしら。

それにしても、こっちの子供の主食ってシリアル(コーンフレーク)だね。夕食にもシリアルを要求してるくらいだし。

私も日本ではあまりコーンフレークなんて食べなかったのに、こっちは種類が豊富だから色んなのがあって毎朝食べてる。

一時は衰えていた食欲も最近復活してきて、良くない傾向だ・・・。

 

 

2002年2月6日(水) 情に触れる

 

来週の訪問校の先生達ともメールで連絡が密になってきて、益々ドキドキしてきた。

せっかく楽しみにしてくれているのに、半端なプレはできない!と思わず気合が入る。入りすぎで緊張。

でも、今日、こっちに来て初めて大正琴のケースを開けてみると、何だか音がずれている!弾いても音が美しくない!

ということで、初めて弦の調整などを試みてみたのだけど、どうもまだ音が変。スーツケースの中で相当痛い思いをしたのだろう・・・。可哀想に。

仕方がないので、来週のプレでは大正琴は使わないことにした。

 

子供向けに何か面白いゲームはないかなぁなどと考えてみていたのだけど、なかなか難しい。幼稚園の子は何が楽しいって思うかなぁ。しかも異文化を感じられるもの。

中・高では原爆や戦争などにトピックをある程度絞ってプレができるのでいいのだけど、小学校ではかなりエンターテイナー度が入ってくるので、ちょっと心配。まあ、”誠意”でカバーするしかない。

 

今日は英語のメールをたくさん書いた。

というのも、久々に前の会社で取引のあったカルガリーの友人がメールをくれて、夏に遊びにくれば?ってことだったので、嬉しくなってすぐ返事を書いた。そしたらまたすぐ返事が返ってきて、そうしたら、長い間なかなか筆不精でメールを書いていなかった海外の友達にも書きたくなって、気づいたら10通くらい書いていた。目がチカチカする。

でも、すっごく気分が良かった。

これまで英文メールは本当に気分が乗っている時(?)しか書きたくなくて、ついついメールの返事も滞りがちだったから。

仕事で知り合っただけなのに、辞めた今でも遊びにおいでって言ってくれる友達が居ることはすっごく嬉しい。

実際カルガリーに行けるかどうかは分からないけど、人の情け?に触れる度、私も人に良くしなきゃなって思うのだった。

 

 

2002年2月7日(木) パールハーバーが持つ意味とは・・・

 

バーモントへの出発を明後日に控え、今更ながら書道の道具を引っ張り出してみたり、折り紙の練習をしてみたり・・・。

そんな時、あるメールが来た。

来週の木曜日に訪問する高校のアメリカ史の先生からだった。

内容は、私がクラスに来ることをとても歓迎しているけれど、生徒の中に数名ほど日本について悪い意味でステレオタイプを持っている生徒がいて、彼らはどうもパールハーバーの映画を見て、アメリカがやったことを正当化しているらしい、というような内容だった。先生はこのことを私に伝えるべきかちょっと悩んだそうだけど、私のプレゼンテーションによって彼らの考えに少しでも変化があれば、それはあなたのミッションが本当に成功したということです、とも書かれていた。

先生はとても協力的な雰囲気のメールで、大丈夫だとは思うけれど、万が一彼らの言動が良くない場合の心の準備を・・・という意味だったのだと思う。

私はそのメールを読んで、”来たか・・・”と思った。というのも、去年の夏にパールハーバーが公開された時、私達は9月に渡米することになっていたので、なんてタイミングの悪い!ということで、パールハーバー対策も考えていたのだった。

といっても、対策って程ではなくて、プレの前に実際にハワイのパールハーバーも訪問してきてどう感じた云々っていうのも前置きすべきだね、と話していただけだったけど。

でも、9/11の同時多発テロでパールハーバーのことは皆の頭から離れているかと甘いことを思っていたけれど、現実は厳しい。テロとパールハーバーをだぶらせて考える人もいたくらいだし。

もう60年以上前に起きた日本軍によるパールハーバー攻撃。そのことがいまだにアメリカでは根強くしかも強烈に残っているという事実を日本の若者は知っておくべきだと思う。過去のことではあるけれど、それが現に今でも多くの人の心にわだかまりとして残っているのも事実なのだから。その過去に対して私達が何か出来るということではないけど、”知っておく”ということが一番大切なんだと思う。

 

それにしても、正直なところ、あんな映画今頃作って、話しを蒸し返して!!って思う。見たことはないのだけど。

その映画によって、パールハーバーのことなんて何も知らない世代が日本に敵意を持つなんて、ひどい。

その原理から言うと、アメリカの原爆によって多大な犠牲を払ったヒロシマ・ナガサキだってアメリカ人に敵意持って当然だけど、知っての通り多くの人はアメリカを憎んでいる訳ではなく、もう二度とあのようなことが誰にも起きて欲しくないと願っているだけなのだ。

 

ヒロシマ・ナガサキからの平和のメッセージが彼らに伝わるのだろうかとすごく不安だけど、そういう子供にこそ訴えたい。

私はあなた達の国の過去を責めるためにここにやってきたのではなくて、もうの被害はご免だから、その恐ろしさを知って欲しい、そして平和な世の中にするためには一人一人の心の平和が必要なんだよってことを。

 

 

2002年2月8日(金) オリンピック開幕!

 

今日からソルトレイク冬季オリンピックが開幕。

今、その開幕式を家族みんな&2人で見ている。タイミング良く、スコットが今日、テレビを同僚から安く買い取ってきたので、大きな画面で見ることが出来ている。

 

選手団入場は毎回楽しんで見ている。こんな南の国でもウィンタースポーツするんだ・・・とびっくりしながら。

日本の入場をアメリカで見るというのは何とも不思議な気分。そして、やっぱり自分の国を誇りに感じる。

オリンピックの五輪の髪型をした選手が大きく映ってたけど、あれって誰だろう。見たことはあるような・・・。

アメリカ選手団では、ミシェル・クワンが注目を集めてるみたいだけど、”彼女は日本人でしょ?”なんて言われて、”いや、彼女は中国系アメリカ人で、クリスティーン山口が日系人よ。”と説明してあげた。でもきっとアメリカ人にとっては、顔でも名前でも判断がつかないから、しょうがないんだろうな。それにしても、ミシェル・クワンは綺麗だった☆

 

今回は、アフガニスタンのカンダハルにいるアメリカ軍の兵士達もテレビ観戦している様子が映っていて物々しかったけど、入場してくる選手たちはみんな満面の笑みで行進していて、あぁ、平和だなぁ・・・と思った。

 

さて明日からバーモントへ。バーモントはほぼ99%白人らしいので、日本人なんて珍しいかも。

久しぶりに雪も見れるかもしれない・・・。

 

 

2002年2月9日(土) タイガーに会う

 

今日はいよいよバーモントに出発。

ロードアイランドの州都のプロビデンスから、バスを乗り継ぎ乗り継ぎ、5時間後、マサチューセッツ州のウィリアムズタウンに夜の9時到着。そこにはこれまでメール交換をしていたタイガーと旦那さんのロンが出迎えてくれていた。

タイガーは名前に似合わず、小柄で小さな女性で、高校でアートを教えている。旦那さんのロンも自宅にスタジオを持つ産業アーティストだ。

今回のバーモント行脚?は、この二人が全て旅費も出してくれ、1週間分の学校もアレンジしてくれた。

10年以上前にもNAC大使を1週間ホストしてくれているので、その点でも心強い。

 

家に到着すると、一通り部屋を案内してくれ、とても素敵なデザインの家だと思ったら、やっぱりこの家も二人で10年かかって建てたそうだ。家の周りは50エーカー以上の彼ら所有の山が広がっていて、怖いくらいに静かだ。

そして、家の中のインテリアの多くは、彼らが創ったものだった。例えば食器も多くがそうだし、机や鏡や飾ってある絵まで・・・。

星を見たい?と聞かれ、実はとっても疲れていたのだけど、もちろんYES!と答え、早速望遠鏡を持って外へ。

そこには、空一面に星が広がっていた。まさに星屑という感じで・・・。

望遠鏡で大きな星を見ると、回りに土星のような輪っかがついている星があった。あれ、もしかして土星だったのかな?

とにかく、こんな素敵な家で、夜は星を見ながら過ごすなんて、なんて贅沢な生活を送っている人たちがいるのだろう。しかも、物質的にというより、それ以上に空間的に贅沢なのだ。こんな生活を可能にするアメリカはやっぱり広い!

 

何故かとっても疲れていた私は、倒れこむようにベットに横になった。月曜からのことを考えると、不安ばかりが募ってくる。

 

 

2002年2月10日(日) 逆風が吹こうとも・・・

 

今朝は8時に起き、タイガー特製の”キラーパンケーキ”を食べた。普通のパンケーキの中にナッツやオートミールやバナナなど色んなものが入っていて、おなかが一杯になるからこの名前がついているらしい。その通り朝からおなかが一杯になったけど、どうも明日からのことを考えるとあまり元気が出なかった。

 

明日のプレは、なんといつの間にか、ぶっ通しで7時間!もプレをするようだ・・・。

第一、毎日1日に7時間も授業を受けてる高校生ってすごいと思うし、朝7時半から授業が始めるのも驚異的だし(アメリカではめずらしくないけど)、授業間の休憩時間が3分!!しかないっていうのも、信じられない。広い建物、走って移動しないと遅刻じゃない?!なんでそんなに慌しくする必要があるんだろう・・・。

しかも、毎日タイガーは4時半に起き、6時には家を出るという話しを聞き、私は呆然とした。4時半?6時??

ああ、私はこの1週間、ちゃんと毎日プレをこなせるんだろうか。体力が何より心配だ。

 

あと、明日は彼女の勤める高校に行くのだけど、タイガーによると、校長先生はあまり良い顔をしなかったらしい。元々厳しい女性の校長みたいだけど、特にこのようなご時世なので、あまり政治的なプレだと困るというところを、何とかタイガーが説得してくれたみたい。それに、プレをすることになっていたある歴史の先生は、とても愛国主義の人らしく、私の平和活動を快く思わなかったのか、その日に突然テストをすることにし、プレは他の先生のクラスですることになった。

タイガーも、今はとても平和と言えるムードではなくて、難しい時期だとため息をついていた。

確かに、テレビでもアフガニスタンにいるアメリカ軍の兵士が頑張っている様子が頻繁に報道されたり、この小さな町からもアフガンで死亡した兵士が出たりする時期に、NO MORE WAR!!というのは何と難しいことなのだろう。

今更ながら、大変な時に自分が大変な活動をしようとしていることに気づかされ、一気に心が重くなった。

 

明日は初の学校プレで7時間もあり、全くどうなるのか見当もつかず、正直逃げ出したいような気分でいる。

1限目の7時半から早速歴史のクラスで、原爆関係のビデオも見せる予定だ。朝から何とも重いトピック・・・。

 

でも、逃げ出すわけにはもういかない。

私にとっては初めてのプレでも、彼らにとっては最初で最後の唯一のプレ。

全力で頑張るしかない。

日本で応援してくれている人たちやロードアイランドのホスト、タイガーとロン、そして原爆で亡くなった人たちも私の力となって後ろで支えていてくれるはず。

ここまできたら、あとは度胸。

頑張ろう。

 

 

2002年2月11日(月) 案ずるより産むが易し

 

案ずるより産むが易しという言葉があるけど、あれって本当だと思う。

結局昨夜は3時間しか寝れず(物質的準備をしていた!)、朝は4時半というとてつもなく早い時間に起き、真っ暗で雪が舞う中を出掛けた時は本当に絶望的な気分だった。まるで受験会場に向かう受験生のように・・・。

でも、外が明るくなりかけた頃から、”もうここまできたらやるしかないじゃない!?”というまさに開き直り状態に入り、少し気分が楽になった。

 

学校に入ると、すぐに懐かしいアメリカの高校の匂いがした。

今日の学校は中3から高3までの4学年、全校生徒500人ちょっとの学校だったけど、山の麓にある、それはそれは美しい環境にある学校だった。

早速スライドとビデオをセットアップして、7時半に始まる最初のクラスに向かった。

ここは高1のアメリカ史のクラス。先生ともこの時に初めて会った。

ベルが鳴り、生徒たちも部屋に集まり、いっせいに席に着く。そして、早速自己紹介に入る。思ったよりは緊張していない。

まずは、名前を日本語(漢字)で書く。これはなかなか好感触。そして、"Call me YUMIKO, just like YOU-ME-CO!"と言うと、思った以上に受けてくれた。笑ってくれると一安心。ここでむっつりされたら、先が長い・・・。

それから、日本地図で場所を示してもらったり、日本というと何を想像するか聞いたりして、ちょっとずつクラスの雰囲気を和やかにする。何とか成功。

次は、持参したスライドを披露。これも思ったより受けてくれて、何故かどのクラスでもマクドナルドよりKFC(ケンタッキー)で笑いが起きていたのは何でだろう。あとはやっぱり日本式トイレね。これはみんな好きらしい?!

スライドが一段落した時は、みんなリラックスしてくれたみたい。やはり文化交流だけだと、なんて和やかなムード!

 

でも、その後は、本題のヒロシマ・ナガサキの話題に。みんなの表情も硬くなる。

まず最初に、私はアメリカのことを責める為にやって来たのではなくて、悲劇を二度と繰り返さないために私達は歴史から学ぶ必要がある。だから、私もパールハーバーや韓国に行って、過去に日本がしてきたことを見てきた、と伝えた。

やっぱり、パールハーバー映画は半数以上の生徒が見ていて、なかなかのビックヒットであったらしい。

そして、ロストジェネレーションという映画を見てもらう。その後、残り5分でまとめ。ある生徒からは、”9・11アタックのことはどう思う?”と聞かれた。”とてもショッキングでまさかあんなひどいことが起きるなんて信じられなかった。グラウンドゼロにも行ったけど、行くと益々その悲劇を身近に感じて怖かった。”と月並みなことしか言えなかったけど、彼も自分も秋にNYCのグラウンドゼロを見て・・・という話しを少ししてくれた。

このクラスでの感触はとても良く、少しして先生に廊下であったら、”生徒達からだよ!”とバレンタインの飴をもらった。しかも、最初にざっと黒板に書いた私の漢字の名前もつけてくれていた!How sweet!! あの授業後の数分でみんなで決めてプレゼントしてくれたそうで、すっごく感激した。ああ、やっぱり来て良かったなーと心から思った。

その後は怒涛の6時間プレ。休憩がないも等しいので、まさに次から次へとこなしていった。

その間には、ビデオが動かなくなって他のビデオを見せなくてはいけなくなったり、だしの素を別室に忘れたり、様々なミニアクシデントも起きたが、あっという間に1日が終わった。

体はバテバテなのだけど、心地よい疲れだ。これでもう終わりでロードアイランドに帰るんだったら、なんて素敵なバーモント・・・で終わるのだけど、これからまだ4日連続のプレが残っている。しかも、子供達がちょっと難しいという学校もこれから後半にかけてある。まさに1日1日が勝負だ。

明日は中学で同じ授業が4クラスもある。同じことを4回喋るのか・・・。生徒は違うからいいけど、先生は同じだから、何だか恥ずかしいな。同じことを繰り返すっていうのは・・・。

中学生はタフだと言うから、しっかり気を引き締めて&Karinの言うように愛を込めてプレをしよう。

 

 

2002年2月12日(火) 先生って仕事

 

今朝は学校までの45分の道のり、車内で目を開けているのが辛いくらい眠かった。昨日は6時間近く寝たけど、それでもやっぱり体は正直で、慣れない事をすると疲れるみたい。

それでもまだまだ気持ちが張り詰めているので、一度授業が始まってしまえば、元気は取り戻せる。

 

今日は初めての中学だったけど、さすがに大人になった今、中学生を見るといくらませてるアメリカの子でも幼く見え、かわいかった。

今日私のお世話をしてくれたのはアメリカ史の男の先生。とてもひたむきな、原爆などの歴史にもとても詳しい良い先生で、知り合いの先生仲間にも紹介してくれることになった。感謝。

勉強のこと以外にも、アメリカ家庭の離婚が子供に及ぼしている悪影響や、授業をする時のコツなども色々教えてくれた。将来は先生を育てる学校で教鞭を取りたいと希望されている方らしく、緻密に授業の組み立て方なども考えてらして、プロだなぁと感じた!私もたくさん吸収したい。

 

とりあえず今日も失敗はたくさんあったけど、何とか終わった・・・。

眠いけど、明日は初の小学校。

その準備も残っている。

それにしても、毎日4時半に起きて6時に家を出る生活、辛いけど人間やれば何でもできるんだなぁ。

 

昨日プレをした高校のアートの生徒たちが、サンキューカードを今日書いてくれたらしく、それを見たとき、ああ、やっぱり辛くても頑張って良かったなーとか、もっと頑張って盛り上げられれば良かったなとか様々な思いが交差した。

こういう瞬間があるから、きっと先生って職も頑張って続けられるんだろうな。

実は私も先生になりたいかも・・・と今更ながら思ったりした。

 

 

2002年2月13日(水) 小学校にて・・・

 

今週は本当に自分の体力に挑戦している気がする。

昨夜も今日の小学校での初プレに備えて色々頭を悩ましていたら、なかなか眠れなくなり、結局3時間余りの睡眠で小学校に出掛けることになってしまった。

でも、この小学校を訪問することは以前からとても楽しみにしていたので、準備不足の感は否めなかったけど、早く訪れてみたかった。全校生徒88人なので、小さいのだろうとは想像していたけど、やっぱりとても小さいこじんまりとした家庭的な学校で、入り口のドアにはWELCOME YUMIKO!のポスターを貼ってくれていた。どうやら私の訪問を以前から楽しみにしてくれていたらしく、職員室に座っているとドアから子供達が顔を出し、にこっと笑い、手を振っていくのだ。かわい〜ぃ!!

でもそんな子供達を見るにつけ、満足な準備が出来ていない状況をとても申し訳なく思った。

 

結果的にはプレは、全てのクラスでとても上手くいったと思う。

それも全て子供達のお陰。やっぱり中・高よりも、彼らは素直に感情を表現するので、私もやりやすかった。

何か質問のある人!?って言ったら一斉に手が上がり、よねも言っていたけど、誰かを指名するまで皆意見を言わない!

思わず誰を指名していいか困ってしまい、皆の意見を聞いていたら思わず時間がオーバー。でも質問が出るっていうのは良い印。 しーんとされたら困ってしまうし。

 

今日アメリカに来て初めて日本人の人に会った!

彼女はアメリカ人の男性と結婚して、アメリカ在住歴3年の沖縄出身の女性だった。

彼女の二人の子供たちがこの小学校に通っているので、そのご縁で今日知り合うことができた。

やはりこの辺りには日本人、というよりアジア人も全くおらず、ほとんどが白人の社会なので、なかなか苦労も多そうだった。私もきっと日本人のわりといる大都市ではなくて、田舎の村に住むことになったらなかなか溶け込むのは大変だと思う。

嬉しかったのは、彼女の子供がこれまであまりみんなの前で日本語を喋ったり、日本と関することを避けていたそうなのだけど、私が学校に来ることになって先生が日本について話してくれたり、みんなで勉強したりして、子供達が日本に関心を持つようになったので、この子も自分が日本人の血も引き継いでいるということに引け目を感じなくなり、今日も嬉しそうだったというお話しを聞いて、とっても私の方こそ嬉しくなった。

今日はあまりゆっくりお話しできなかったので、明日このご家族をうちに招待することになった。思わぬご縁ができて、嬉しい。

 

さて、明日は例の、クラスの一部の男の子が日本に反感を持っているという学校。

ちょっとびびってるけど、私が嫌われている訳ではないし、きっと何とかなると思う・・・。希望的観測

どこまで彼らの心に響くかわからないけど、やるだけはやってみよう!何だか勝手に金八先生にでもなった気分・・・。

 

 

2002年2月14日(木) 子供って正直

 

はぁー、何とか今日も乗り切った!例のクラスも乗り切った!

結果的には、心配していた例の高校のアメリカ史のクラス、すごく上手くいった。多分今までのプレで一番上手くいったプレだと思う・・・。

懸念していた男の子達3人組も、最初は硬い表情をしていたけど、だんだんと会話に参加してきて、途中からは自分から積極的に質問をしてきたりしてきて、とってもかわいかった!高校生と言えども、まだまだ子供だな、なんて思ったりして・・・。でも、それだから子供ってスバラシイ。こっちが本当に伝えたいという気持ちがあれば、それに呼応して心を開いてくれる。大人だったら、こんなに簡単には不信感を持っている相手には心を開いてくれないだろう。

 

いつものプレでは自己紹介して、スライドを見せて、それからビデオに移るのだけど、このクラスは事前に先生からそういう懸念を伝えられていたので、最初から原爆と平和の話しに入った。それでないと、いきなり日本紹介をしても、心を閉ざしたまま聞くのではあまり意味がないだろうと思ったから。

最初に、自分とヒロシマの繋がりのこと、放射能のこと、パールハーバーで感じたこと、自分がNACに参加しようと思った動機などを伝えた。そして、その後すぐに原爆のビデオを持ってきた方が良いか、スライドをした方が良いか迷ったのだけど、クラスの雰囲気が良くなってきていたので、スライドにすることにした。クラスが8人と小さかったので、みんなの目をみながら話し、質問も十分に答えることが出来たので、スライドを見せているこちらも楽しかった。

そして、それから自然に原爆のビデオに移ることができた。

何故だか分からないけど、私も生徒も今日みたいに違和感なくビデオに移れたのは初めてで、自分でも本当に不思議。

最後に書いてもらった感想文にも、プレゼンテーションはとても楽しくまるで日本に行ったみたいだった、なんて書いてくれて、気分を良くした私は先生方に渡す予定だった金銀の折鶴も彼らにプレゼントしたりして、本当に嬉しかった。

もう一度あのプレをやれと言われても、どういう流れで自分がやったかさえあまり覚えていないのだけど、とにかく昨日まで日本に反感を持ち、日本からのゲストをやっつける気満々でいた子供の心を少しでも開くことが出来たのなら、本当に感無量だ。

懸念している生徒がいるから一生懸命やるというのではなく、どのクラスにもそういう生徒がいるというくらいの気持ちでやった方が熱意が伝わって良いのだということを学んだ。

 

このプレが成功した第一の理由は時間にもある。今日のこのクラスは1時間30分という初の長さだった。

これまでは40分で日本文化と原爆、というよく考えたら無茶な時間で、フォローアップの時間さえ取れない状態だったので、火曜日に行った中学の、ビデオを見せっぱなしで終わってしまったクラスの生徒から戻ってきた感想文の中には、日本が先にパールハーバーを攻撃したのだからそのツケを払わないといけなかったんだ、などという私が一番聞きたくない感想も混ざっていたりして、やはり中途半端なプレは、逆に悪影響さえも及ぼしかねないと怖くなった。

次回からは出来るだけ先生にお願いして、原爆のプレをする時は2クラス分の時間を繋げてプレができるようにしようと思う。

 

夜は、水曜日に知り合った日本人女性のファミリーを招待して、ここでバレンタインを兼ねて夕食会をした。

異国で生活する難しさなども話すことができ、そうそう・・・とうなずくことが多かった。

やっぱり1年後には日本に帰るという気軽さ?と、生涯異国の地で暮らすという重さは違うだろうけど、今は国際結婚も多く、私の友人でも何人か居るので、まったく人事のようには感じなかった。

落ち込むことも多いと思うけど、どうにか頑張って欲しいと思う。

 

さて、明日はバーモントの学校行脚最終日!

そろそろ今まで回ってきた学校のまとめもしたいし、これまでの反省点を活かして改善したプレも考えたいし、来週の1週間の冬休み(学校全体が)は私にとっても有難い。

また明日も4時半起きで、朝7時半からプレだ・・・。気力を振り絞って頑張ろう☆

 

 

2002年2月15日(金) 改善改善

 

嬉しい!何とか今週を乗り切った・・・。

今日は睡眠不足の上、朝から月曜に訪問した高校を再度訪れ、1つ授業をして、その後近くの小学校に移動し、小学4年生を合計100人!と幼稚園生を合計56人。披露困憊。

特に小4の3クラスでは折鶴を作ったのだけど、人数が多いとやっぱりとっても大変。みんな"Is this good??"と聞いてくるので、全部見ていたら、なかなか先に進まない。この辺り、上手く対処する方法など試行錯誤しながら早く見つけたい。

それにしても、毎日こんなにぎっちり予定が入っていると前日の反省点を振り返って・・・なんてやっている暇がないから、ちょっと精神的にも大変。今週はお泊りプレだからしょうがないけれど、今度から1週間くらいのお泊りプレがあれば、中日に1日くらいお休みを入れてもらうようにしようと思う。もしくは1日の授業数を減らしてもらう。

それでないと、プレをする側が疲れてしまって、なかなか満足のいくプレもできないし。

何はともあれ、来週はニューイングランド地方の学校は全て冬休みのはず。なので、私も今週の反省点を踏まえながら、今後のプレに生かすために情報を整理したいと思う。先生への礼状や生徒への手紙も書きたいし。

アメリカに居る1年間、暇な時間というものはない感じ・・・。常に準備と残務処理?ね。

 

たまには息抜きも必要なので、今夜は火曜日に学校で知り合ったジョンとタイ料理を食べに行った。

ひょんなことから知り合ったのだけど、ここは狭い町なので、バーモントのホストに聞いたら、なんと彼はホストの教え子だった!(ホストは学校のアートの先生)

とても優秀な生徒だったし、今もよく会うよと聞いて、ちょっと安心したので、一緒にご飯を食べに行くことにOKした。

教え子と言っても、私が生まれる前に高校を卒業してるんだから、かなりいいおじさんだ。

よく考えたら、こっちに来て、初めて自分で作った友達?とご飯を食べに行った気がする。

もう少し年の近い友達ができるといいな・・・。

 

 

2002年2月16日(土) Sweet Home...

 

今朝は9時過ぎまでゆっくり眠った。あぁ、気持ち良い・・・。

でも、今日は夕方のバスでRIに帰るので、早速荷物まとめに取り掛かり、それが終わったところで少し外に散歩に出掛けることになった。

そういえば、せっかく山の美しいバーモントに来ているのに、今週は学校で手一杯で外を散策する余裕もなかった。

 

家から20分くらい行ったところにダムと大きな湖があり、その周辺を散歩することになった。

この暖冬で雪もあまり残っていない。でもまだ何とか湖の表面は凍っていて、氷に小さな穴を開けて釣りをする人がいたり、スノーモービルでブンブン走っている人がいたり(これが騒音がうるさい!)、結構賑わっていた。

夏にはこの湖にカヌーやボートを持ってきて、週末を過ごしたりするそうで、聞いているだけで羨ましい話しだ。

やっぱり広大なアメリカで何が羨ましいかって、こういう自然環境が羨ましい。

家の裏庭や近所でクロスカントリーをするなんて、とりあえず広島や東京では聞いたことがないな。北海道くらい??

 

とにかくバーモントもロードアイランドも景色が美しい。

メジャーな州じゃないけど、チャンスがあれば、日本の友達にも来てみることを是非オススメしたい。

 

 

                 

 

            大きな湖が全面凍っています。               ずっと山が続いている、バーモントの景色。

 

 

2002年2月17日(日) 足元から建て直し

 

今日は1日、荷物を解いたり、子供達に書いてもらった感想文をまとめて読んだり、また静かな日々に戻った。

ただ、子供達が昨日から9日間の冬休み?なので、家は随分賑やかだったけど・・・。

 

姉からのメールに、広島では鶴を焼くヤツがいるし・・・なんて書いてあったので、何?!と思って中国新聞のサイトに行ってみたら、原爆の子の像の前の折鶴が5万羽位放火と見られる出火で焼かれたとか。

私が渡米する直前にも、平和公園のモニュメントや橋にペンキでイタズラ書きされる事件が相次ぎ、心を痛めていたけど、またもやこんな事件が広島では起こっていたなんて・・・。

はっきり言って、同じ広島市民として恥ずかしい。

しかも、私はアメリカで、”広島の人々は原爆の悲劇も乗り越え、今は平和都市として復興し、市民は平和を願い・・・”なんて子供達に言っているのに、その街でそんな非常識なことが立て続けに起きているとは!

もちろんそんなことをするのはごく一部の人だけれど、それでも外の世界から見れば、ほんとに広島市民は平和を願ってるの?あまり関心を持ってないんじゃない?なんて思われてしまいかねない。

誰がしたのか知らないけれど、よくもまあ広島でそんなことができるもんだなあと、ほとほと呆れてしまう。

最近思っていたのだけど、アメリカで平和教育をする前に、日本の子供達にももっと平和教育するべきなんじゃないかと思った。まずは自分の足元から。

日本の先生方にも是非平和教育、頑張って欲しいと思う。

 

 

2002年2月18日(月) 国家と個人と・・・

 

今日はプレジデントの日という祝日で、みんなお休み。

外は快晴だったが、私は何となく家で1日を過ごした。

とにかく今は先週のバーモントのまとめと、あと今後のプレのアポ取り。

幸いにも3月後半までは何かとプレ予定が入りつつあるので、あとは4月以降の新規アポ取りに向けての種まきだ。

 

私は日本の草の根活動のメーリングリストに入っているので、最近はよくブッシュ政権の一国主義を批判する投稿を目にする。私もテロが起きる前からブッシュ政権が京都議定書を一方的に破棄した話しなどを聞き、かなり横暴だ・・・と思っていたので、最近のアメリカ政府の方針は目に余るものがあると強く思っている。そしてどこまでエスカレートするのか心配している。

そんな話しを朝Karinとしていたのだけど、Karinに”日本でアメリカがどう思われているかスコット(ホストのお父さん)にも話してあげて!”と言われ、特にクエーカーで平和主義者で・・・という部類ではない一般の人に近い彼を前に、どこから話し始めてよいのやら困ってしまった。

そこで、思わず”今日来てた投稿を訳してから見せるから。”と言ってしまい、今日の午後は5時間ほどその翻訳に費やしてしまった。他にも急ぎの件はたくさんあったのだけど、まあ新規単語も覚えられたし良しとしよう。

それにしても、アメリカ政府が諸外国からどう思われているのかを伝えるのは難しい。あまり正直に言って良いものだろうかと迷ってしまう。しかも、あまり良くないことだから余計に・・・。

でも確実にアメリカは今、他の国から自ら孤立して、自分達だけが良ければそれでよいと思っているように写るのは私だけだろうか。

日本以外の諸外国がどのような反応なのか興味があるので、知り合いの居る外国でのアメリカへの反応も聞いてみたいと思う。

それにしても国民が選ぶ代表とはいえ、国のトップの方針で人々は戦地に送られ、民間人も犠牲になる可能性が増しているというのは何とも悲劇的なことなんだろう。

ある高校生の感想文に、”国家がしていることと、一般の人々が思っていることは違う”と書いてあったけど、そのことを分かっている高校生がいるというのは彼にとっても辛いことなんじゃないだろうかと思った。何も知らず、考えていなければ、ただ国家が言うことを鵜呑みにして流れに沿っていればいいだけで楽なんだろうけど、彼のように知ってしまったからには、その矛盾に苦しむことを意味するのだから。

 

 

2002年2月19日(火) 明日はボストン

 

もう2月も半分以上が過ぎてる。いつの間に・・・。

さすが、イヌル・ニゲル・サル。早いわぁー。

日本だと今頃は入試・卒業式・決算などという締めくくりのシーズンのはずだけど、こっちはもちろんそんな雰囲気は全然ない。学校で言うと、5月6月辺りがそれに当たるのだろうか。

 

今日は1日家に居たのだけど、思ったように”やることリスト”がこなせず、自分にイライラしてしまった。

読むべき本、書くべき手紙、処理するべきEメール、そしてプレの改善。どこから手をつけて良いのやら・・・と思っているうちに1日が終わってしまって、とっても自己嫌悪。そして明日は1日ボストンに行くことにしたので、またやることには何も手をつけず1日が終わってしまうんだぁ。あぁ・・・。

 

ところで、ボストンに行くのは初めてなので、明日はとても楽しみ。

H大学で研究をされている日本人弁護士の方にお会いして、色んなお話しをお聞きする予定で、特に9/11の前と後のアメリカの変化について様子を伺いたいと思っている。

ボストンは、有名大学が集合している他にも、色んな研究施設もあるので、明日は他にもいくつかの団体事務所などを訪問してみたいと思っている。もちろん1日では回りきれないので、また近々訪問する予定。

 

そして、明日はバスターミナルでバニラチャイを飲むのが楽しみだな〜。ダンキンドーナツの飲み物で、甘いけどとても美味しくて、最近のお気に入り。コーヒーは飲まないので、スタバには行かない。

ボストンまではロードアイランドの州都のプロビデンスからバスで1時間弱で行けるので便利なのだけど、家からプロビデンスまで行くのにホストに送り迎えしてもらわないといけないので、悪いな〜と思う。

やっぱりどう考えてもアメリカは車がない人は生きていけない国だ!

 

 

2002年2月20日(水) 盛りだくさんの1日

 

今日は早起きして、バスでボストンへ向かった。

ボストンのターミナルで、待ち合わせ通り、日本人の弁護士さんにお会いして、早速市内に連れて行ってもらった。

 

まずはChildren's Museum。子供博物館って感じかな?ここには日本コーナーもあり、折り紙などにも詳しい人がいるということで連れて行ってもらったのだけど、今日は何しろ子供達は冬休み。小さな子供で溢れていて、結局その人には会うことができなかった。致し方ない。

 

次に向かったのが、Edcators for Social Responsibilities (ESR)というハーバード敷地内にある先生のための機関。

先生が学校で平和教育などをする際に、どのようなカリキュラムで行えばいいかなども含めて研究している団体らしい。

先週訪問した中学の先生がメンバーらしく、是非ともここを訪れたら良いと住所だけ書いて渡してくれたので、その住所を頼りに来てみた。

思ったとおり皆親切で、担当者の人が、来週先生方の集まりがあるから、その時に紹介しておくねとパンフレットを受け取ってくれた。そのように熱心に活動・勉強している先生方だから、もしかすると興味を示してくれる先生がいるかもしれない。

こんな戦時下のアメリカだけど、先生方は頼りになる!そうでないと逆に困るし・・・。

 

住所だけでESRが見つかったので、気を良くして、次はAFSCの事務所に連れて行ってもらった。

AFSCというのは、クエーカー教の人たちが中心となって、国内外で困っている人たちのために活動しようという非営利団体で、とても活発に活動していて、確かボルチモアのAFSCはノーベル平和賞じゃないけど、何かそういう名誉ある賞さえももらったらしい。

そのニューイングランドオフィスの代表であるGerson氏を紹介してもらい、短い時間だけどお会いすることができた。

名前だけはよく聞いていたけど、噂通りの優しそうな方で、部屋には日本に関する本や千羽鶴などがたくさん飾ってあった。

私もできれば将来は、こういうNGO団体で本当に人の役に立つような仕事ができればいいなぁ・・・と思った。

 

そして、その後はハーバード構内を案内していただき、ゆっくりその弁護士さんのお話しもお聞きすることができた。

9/11を経験されているだけに、その前後の変化や、アメリカで平和活動をする難しさなど、考えさせられることが多かった。

 

広いボストンは1日では短すぎたけど、こんなに色んな情報やイベントがあるのなら、ちょこちょこ来たいと思う。

とりあえず次回は3/3のMITでのシンポジウムかな。

 

明日からはコネチカット州遠征。また荷造りをしなくては。この間、スーツケースを解いたと思ったのに・・・。

 

 

              

 

           AFSCニューイングランド事務所               落ち着いているハーバード大学キャンパス

              

 

2002年2月21日(木) サンディー家訪問

 

今日は午後からKarinの親友であるサンディの家に向かうため、またプロビデンスからボナンザバスに乗った。

サンディが彼女の子供達の通う学校でのプレをアレンジしてくれたのだった。

 

彼女の住むコネチカット州ハートフォードまではバスで2時間少々。途中、美しい景色が広がっていた。

私は今までアメリカの多くの州を旅したけど、コネチカットの風景が一番好き。なだらかな丘がずっと広がっていて、牧歌的な雰囲気が漂っている。

 

しかし着いたハートフォードはかなりの都会だった。

バス停に着くとサンディが迎えに来てくれていて、その足でイタリアンレストランに向かった。アメリカに来て初のイタリアン!東京では毎週のようにイタリアン食べに行ってたなぁ。

日本人が海外で日本食が恋しくなった時に中華はかなり強力な助けになるけど、スパゲティも私にとってはかなり嬉しい。

 

さて、サンディは高校生の時にロータリーで1年間ニュージーランドに留学生として行っていたというアメリカではかなり珍しいグローバル派だ。

留学してた時の体験談を聞くのも楽しかったし、離婚して女手一つで二人の子供を育て、かつSEとして企業で活躍するワーキングウーマンぶりを聞くのもとっても興味深かったし、勉強になった。

 

色んな家にホームステイさせてもらうことによって、当たり前だけど、様々な家庭のライフスタイルがあるんだなぁとあらためて思い知らされる。

              

 

2002年2月22日(金) 子供達に平和を伝えるには

 

今日はサンディの二人の子供がいつも放課後に通うデイケアセンターにて午後からプレ。

今週は学校が全て冬休みなので、親が働いている子供は朝から夕方までここで時間を過ごす。

センターと言っても、学校の中にこの施設はあり、幼稚園〜小6まで40人近くの子供が今日は来ていた。

 

日本でもそうだけど、片親もしくは共働きの家庭で子供達が放課後、もしくは夏・冬休みなどをどうやって過ごすかというのは大きな問題だ。

私が小さい頃はおばあちゃんも一緒に住んでいたので良かったけど、核家族化した今の家庭では、やっぱりこのような託児所に預けるのが一番ポピュラーな方法なのかもしれない。

預ける親も、もちろん、できることなら一緒に居たいと願っているけど、特に片親で絶対的にフルタイムで働かないといけない場合はこうするより仕方がないのが辛いところだ。

今日の子供達も比較的小さな子供が多く、きっと家で甘えたいだろうなと思うと、可哀想な気もした。

 

今日のプレは年齢層が幅広いので、少しガヤガヤしていたけど、サダコさんの千羽鶴の紙芝居を始めたら急にシーンとなったので、こっちがビックリした。

そして紙芝居が終わると同時に、”アメリカが原爆を落としたの?!”、”まだ広島の街にはRadiation(放射能)が残ってるの?”、”家族の人は大丈夫だった?”など、正直、小さな子供達の口から出るとは思わなかった質問がたくさん出てきたので、これは嬉しい驚きだった。

 

やっぱり”戦争反対!”とストレートには言い難い今のアメリカだけど、このようなストーリーを通じて、戦争はいけないことだと子供達に伝えるにはサダコさんのお話しはすごく効果的。

 

 

             カフェテリアにてスライド鑑賞。

              

 

2002年2月23日(土) またもやパールハーバー