2003 February  

 

2003年2月1日(土)  いざテキサスへ

 

5ヶ月少し住んだミネアポリスのホストファミリー宅をまだ外が暗いうちに後にした。

今日のフライトは7時半。今朝は4時起きで、私もグレッグもあくびをしまくりの寒い朝だった。

 

空港に入るとカウンター前には長い行列が・・・。それをどうにかクリアしたと思ったら、今度は2階にあるセキュリティーに行くのに1時間も待たされた!出発前から疲れたけど、私が今日利用したサンカントリー航空はアメリカ西部や南部、メキシコなど暖かいリゾートにフライトを飛ばしているので、列の人達はみんな短パンにサンダルなんて履いちゃって浮かれてる。いーなー。

 

出発ロビーで飛行機を待っていると突然アナウンスが。

”ダラス行きの便は出発時刻が変わり、11時半の出発予定です。”。

ええっ、11時半って、4時間以上先じゃない!?

そんなに待てるかぁ〜!っとみんな怒っていると、CNNのテレビで緊急ニュースが。

んん、しかも字幕にはテキサスのダラス近郊でスペースシャトルが爆発し、NASAが緊急事態宣言と書いてある。ダラスって、私がこれから行く所・・・。しかも飛行機・・・。

なんというタイミングの悪さ。

シャトル事故のその後はあまりよく分からないけど、乗組員の人も7人居たみたいだし、可哀想。

 

その後、なんとか4時間遅れで飛行機は出発し、ダラスにも無事到着。

空港を1歩出ると、コートを着ている私がアホみたいなのような暑さで、まるでハワイに来たようだった。

天気がこんなに良いと、心までワクワクしてくるから不思議。

でも、スーツケースを2つ抱えた私はすぐに現実に引き戻され、シャトルバスでグレイハウンドのバス停まで行き、そこから最終目的地のサンアントニオ行きのバスに乗り込んだ。サンアントニオまでは約6時間。でもバスの旅は苦痛にならない。

 

バスを待っている時に知り合ったエディーという私と同い年の彼。

彼は今日、遂にわがままな彼女をおいてダラスを去る旅だったようで、バスに乗っている間も延々と彼女の愚痴や将来への不安をブツブツと私に話し掛けていた。

朝早かった私はもうかなり疲れていたので、途中でちょっと寝るからと言わざるを得なかった。

どこの国も似たような話だなぁと思った。

 

やっとエディーとも別れ、バス停にはテキサスでお世話になる高校教師のドナとそのダンナさんのマーティーが迎えに来てくれていた。当初の予定では6時過ぎに到着だったのに、着いてみると夜の11時。はぁ〜、長い旅だった。

でも、怖い怖いと思っていたテキサスも、今のところ人々は優しい。フレンドリー。しかも暖かい!!!好印象

短いテキサスでの滞在だけど、しっかり楽しみたい。

 

 

2003年2月2日(日)  ロデオ

 

中学校の英語の教科書で、エレンと太郎という主人公がいた。彼らが”ロデオ”をするというシーンがあったのだけど、今日まさに10何年経って初めてそのロデオを生で見てきた!

テキサスといえばカウボーイ。カウボーイといえばロデオということで、ドナとマーティーが昨日から始まったというロデオフェスティバルに連れて行ってくれた。

 

会場はいつもはプロバスケのチームが使っている大きなスタジアムで、そこに砂が敷き詰めてあり、にわか会場になっていた。巨大な観客席も2/3は埋まっていて、私たちもオペラグラスを覗きながらの観戦だった。

ロデオって、ただ荒れ馬に乗るだけだと思っていたけど、チームになってロープをぐるぐるさせながら闘牛を捕まえるとか、暴れる馬に片手で乗ってもう片方の手は上に挙げ、どれだけ上に挙げた状態を保てるか競ったり、色んなことをやるんだってことを初めて知った。

でも、どうしても動物が可哀想に思えてしまって、そんなに見てて楽しいって気分でもなかったな。

馬は普段はあんなに大人しくて優しい目をしてるのに、その馬をわざわざ荒れさせなくてもいいじゃないって思って。

 

ブッシュ大統領もカウボーイなんだよね〜。

よく人が彼を馬鹿にする時に、”彼は無知な田舎モノ。カウボーイだ。”という形容詞をよく聞く。

カウボーイが悪いとは全然思わないけど、会場の他のブースを覗くと至る所に偽物だけど”鉄砲”が置いてあったり(カウボーイには欠かせない!)、ビールがやたらと売ってあったり、なるほどね〜とうなずくことが多かった。

 

そしてもう1つ面白いと思ったのが、テキサスの州の

ずーっと前に、テキサスは独立した国だったので、まだテキサスの人は他の50州とは違うって気持ちがあるみたい。

だから、市内のホテルなどにも普通はアメリカ国旗がなびいているところを、テキサスの州旗がなびいてるは何だか不思議な感じだった。まるでアメリカじゃないところに居るみたいな気分。

 

なによりこの気候がアメリカじゃないような気分にさせる。

かなり湿度が高く(90%以上)、昼間も半袖でもOKな温度だった。

なんだか私の好きなタイを思い出し、またアジア旅行しなきゃ・・・という気になってきた。

 

さて、明日はドナの教える高校を訪問。

テキサスでのヒロシマ・ナガサキへの反応は如何に!?

 

 

2003年2月3日(月)  ドナの国際的な学校へ

 

今日はドナが国語教師をしている公立高校での原爆プレ。

公立といってもとてもユニークな学校で、名前からして"International School of Americas"だって。日本にある外国人子弟が通うあのインターナショナルスクールみたいでしょ。でも違う。

海外のことなどに興味を持っている子供達が好んで通ってきているみたいで、毎年メキシコに研修旅行にも行くし、日本語のクラスがあるので、この3月には8人の生徒が日本にもホームステイに行くらしい。小規模なのんびりとした学校だ。

保守的と言われるテキサスの学校でも、こんなインターナショナルな雰囲気の学校だったら、きっと私のメッセージも聞いてくれるであろうと行く前から楽しみにしていた。

 

数日前から喉がまたイガイガする感じで、喉だけ調子が悪い。日本ではインフルエンザが流行っているようだけど、アメリカでも(暖かい南部でも!)風邪を引いている人がとっても多い。

今日のプレには60人以上の生徒が集まっていたので圧倒されたが、ちゃんと耳を傾けてくれたので何とか枯れ気味の声でも無事にプレができた。

初めてのテキサスの子供達へのプレは新鮮だった。北部だったらそんなこと有り得ないのだけど、を生まれて一度も見たことがないという子が結構居たり、北部の家には大抵ある”地下室”も、テキサスは地盤が固すぎてないとか。

なんて広い国なんだ!とあらためて実感。

 

今日彼らに伝えたかったメッセージはイメージだけで判断しないこと。

”正直に言うと、私はテキサスに来る前に色んな人からテキサスは他の州とはとても違っていて、銃の事件も多いし、怖いって聞いていました。だから、私はテキサスに来るのがちょっと怖かったのです。でも実際に来てみると、天気も暖かいし、人々もすごくフレンドリーでした。そして同じ人間でした。違う人種や国の人達も、怖いと思っていても、会ってみるときっと私たちと同じように家族が居て、平和に暮らしたいって思ってる人達なのでしょうね。”

 

 

2003年2月4日(火)  NAC最後のプレ

 

信じられないけれど、今日が私のNAC最後のプレ!

去年2月にバーモント州に最初のお泊りプレに行き、1週間毎日6時間のプレをしてヘトヘトになったのが昨日のことのように思い出せる。あれからもう1年なんだ〜。

なんだかしみじみしてきちゃうな。

 

今日はまた昨日と同じドナの高校で、40人の生徒達に原爆プレ。

とりあえず格好をつけず、素直に自分の気持ちを伝えようと心がけた。いや、勝手にそういう気持ちになった。

私の気持ちの根本にあるのは、一人一人のがとても大切なものだということ。

人が一人亡くなると、周囲の多くの人は深い悲しみに襲われる。それが、戦争となると何十万という人の命が一気に失われ、その人達に繋がる膨大な数の人が悲しむ。

今アメリカは、コロンビア号の7人の乗組員の死を深く悲しんでいるが、今にも始めようとしているイラク攻撃によってまた何十万という罪のない一般人も殺されてしまうのだ。アメリカ人の命が他の国民の命の何十倍も貴重だと考えているかのようなアメリカ政府の今の振る舞いをおかしいと子供達に感じて欲しいと強く思っている。

 

そんな私の気持ちを生徒達は感じ取ってくれたように思う。

だけど、現実問題として、彼らはイラクが持っているかもしれないと言われている大量破壊兵器に怯え(自分の国の方がよっぽど持っているけど)、それらが使われたらアメリカが第二のヒロシマ・ナガサキになることをとても恐れている。

私もまだじゃあどうすればいいという明快な子供達への回答を持ち合わせていない。それも正直に言った。

ただこれだけは言える。幸せに平和な暮らしをしたいと思っているのはアメリカ人だけじゃなく、世界市民の共通の願いだということ。

”人間をかえせ”を見終った時、自然と拍手が沸き起こった。”ネバーアゲイン・ヒロシマ、ネバーアゲイン・ナガサキ、ネバーアゲイン・原爆!”というビデオの最後のメッセージを彼らが心のどこかにいつも持っていてくれることを願っている。

 

アメリカで出会った多くの子供達。本当に有難う。

彼らとの出会いがなければ、彼らの励ましがなければ私はこの1年間こんなに強くやってこれなかった。

そして活動を支えてくれた大勢の人達に心から感謝の気持ちで一杯だ。

 

カリンの言葉を借りれば、GOD BLESS THE WORLDだ。

 

 

2003年2月5日(水)  ルイジアナへ

 

ここに来る前に人々が”サンアントニオに行くんなら、リバーウォークをしなきゃ!”と口々に言っていたけど、その名の通り、この街の中心には川が流れていて、その周りはレンガの小道が整備されており、まるでイタリアの水の都、ベニスのようなのだ。その川の周りにはレストランなどが建ち並び、昨夜はそこでドナファミリーと夕食を食べに行った。

サンアントニオは美しい観光地で是非お薦めしたい。私もまたいつかここに戻って来たいな。

 

さて今日は朝から忙しくドナたちとお別れをし、早朝のグレイハウンドに乗り、今日は8時間かけ隣のルイジアナ州へ。

ここルイジアナのラフィエットには、高校生の時に広島の我が家に2ヶ月半ホームステイしていたローラが居る。

ローラとは11年ぶりの再会となる。

彼女は高校生の時に言っていた”医者”という夢を着実に叶え、今ではダンナさんのジョンと一人娘のマデリン(マディー)と3人で大きな家に暮らしている。そして、この4月には二人目の子供も誕生の予定。

 

ルイジアナは高校生の時に彼女の家に遊びに行って以来なので、すごく久しぶり。何だか懐かしい。

南部って、やっぱり北部の州とは確実に雰囲気が違う。かなりのんびりしていて、そして人々もとてもフレンドリー

南部の方が人種差別が激しいと聞くけど、旅行客である限りはその違いは全く感じない。

日本と同じように、お客さんをもてなすという"Southern Hospitality"もあるしね。

ルイジアナは何と言っても、”ケイジャン”と呼ばれる食事が美味しい。フランスの影響。ご飯も毎日食べるしね。

 

バス停に迎えに来てくれたローラは、やっぱり少し年を取ってたけど(私もか)、医師として母として、イキイキしていた。

そして、おなかも大きくなっていた。二人目間近だもんね。

どう考えても、医者&妻&母という三役は不可能に思えてしまうのだけど、話を聞くと、子供は近くに居るお母さんが世話をしてくれているそうで、来年2人目が産まれたら、体育教師をしているジョンが1年間学校を休み、育児に専念するらしい。

そんなこと日本だったらほぼ有り得ない・・・。

キャリアを選ぶか、子育てを選ぶか、とまだまだ選択を迫られる日本。両方可能な環境がもう少し整うといい。

 

ローラの家では、お母さんのマリーとローラの妹のアリソン、ローラの子供のマディーが待ってくれていた。

アリソンなんて、私が最後に会った時は幼稚園くらいだったのに、今ではもう高校生だって。コワっ。

夕食にはローラのお父さんやダンナのジョンも集い、絵に描いたような家族だった。

私と同い年のローラがこうやって立派な家を持ち、家族を作っていっている様子を間近で見ると、ますます自分のことを考えさせられた。

自分にとって何がプライオリティーが高いのだろう、何が自分にとって幸せなんだろうって。

 

 

2003年2月6日(木)  メールたくさん届きました

 

朝から土砂降りの1日だった。

雨なんてそういえば久しぶり・・・。ミネソタでは雨が降るんだったらそれが雪になっていたから。

 

今日はローラもジョンも朝から仕事だったので、ローラのお母さんが一日私の相手をしてくれた。

ようやくメールをゆっくり見たり、ダイアリーをアップデートする時間ができたので助かった。

 

そうそう、2/5の”クローズアップ現代”でNACのことや私がミネソタでプレをしている様子が少し放映されたので、友達から”見たよ”メールがたくさん届いてた!やっぱり全国放送だと反応が違うねぇ〜。

私自身はどんな番組になっているのかまだ見ていないのだけど、友達は良かったと言ってくれてたので、きっとNHKの人が良い仕事をしてくれたんだと思う。

帰って見るのを楽しみにしておこうっと。

 

今夜の夕食はローラのお母さんの家でみんなで食べたのだけど、ローラの弟のグレッグとその家族に会った。

グレッグは私とローラより2つ年下。

高校生の時は一緒にダンスを踊った仲なのに、すっかり大人になっていて、もぅ時を感じまくり。子供も5歳だって。

 

ここルイジアナでは、みんな結婚が早く、23歳で結婚したローラが平均か遅いかくらいだって。早い!

そして、地元を離れない人も多く、みんな高校や大学を出たらさっさと結婚するみたい。

こんな暮らし方もあるんだな〜と、大都市の暮らしに慣れている私には別世界のように思えるここ南部の生活スタイルだ。

 

 

2003年2月7日(金)  寒いなぁ

 

今日も雨ではないものの、どんより曇りの1日で、しかも寒かった!(と言っても3℃とか。-20℃のミネソタに比べるとまだまだ!)

南部ではコートなんて着ることもないと思ってTシャツまで用意してたのに、タートルネック着てるし・・・。

 

今日はローラが1日休みを取っていたので、近所のお土産物屋さんをハシゴ。

ルイジアナでは、3月に”マルディグラ”という有名なフェスティバルがある。

まず、友達と自分用にマルディグラ・テディーベアーを購入。

そして、ルイジアナはケイジャン料理が有名なので、その料理のスパイスを大量に購入。友達、待っててね。

アメリカのお土産っていうと、定番のチョコレートくらいしかないけど、その点ルイジアナは他の州と差別化できていい。

 

夜はダンナのジョンがコーチを務める高校バスケットボールチームの試合を家族皆で観戦。

この学校はローラの兄弟が全員通った(アリソンは在学中)カトリック学校で、今ではジョンがここで体育教師をしているので、ローラ一族とは縁の深い学校だ。

 

アトランタ出身のジョンも言っていたけど、この辺は家族の結びつきが異常に強い。

だから、みんな町を離れないし、この町が全てって思ってるって。

そんな中、ローラが高校生の時に日本というとてつもなく遠い国に行くことになったというのは大ニュースだったのだ。

今更ながら、あの2ヶ月は彼女にとって大アドベンチャーだったんだなぁってことが分かった。

今、アメリカの田舎をしみじみ感じている。

 

 

2003年2月8日(土)  ルイジアナの家族

 

今日は早起きして、家族総出でモールへお買い物へ。

ローラの家族は買い物好き。だから、モノをたくさん持っている。

家にはたくさん豪華な食器が飾ってあるし、マデリンもぬいぐるみや本などを余るほど持っている。

要はお金がたくさんあって、良いものをたくさん買う、典型的なお金持ちなのかもしれない。

でも、私がこの1年間滞在した家々はかなりシンプルな生活スタイルの家庭が多く、”物質主義は悪”というような雰囲気があったので、私はローラの家で少し違和感を感じた。コーラの缶、リサイクルしなくていいの?とか、手を洗ったらペーパータオルで拭くんじゃなくて、布のタオルを用意しておけば?とかね。

今、私自身の価値観がどこにあるのか難しいところだけど、日本ではその中間のような生活をしていたので、またそれに落ち着くのかな。

やっぱりアメリカって消費社会なんだな〜って現実社会に戻った感じ。

 

今日はルイジアナで過ごす最後の夜。

ローラのおじいさんの誕生日でもあったので、今夜は家族親戚が集まってパーティー。

ローラのお父さんはファーマーで、お米とクローフィッシュ(ザリガニ)を育てている。

ルイジアナはこのザリガニで有名なのだけど、日本人にとってはザリガニってペットなので、食べるなんてウエッって思うかもしれない。確かにベットを食べてると想像するとオエッと思ってしまうけど、エビと同じようなものだと思って食べるとすごーく美味

茹で上がったら、まず頭の部分をザクッと取り、エビみたいに皮をむき、尻尾を取った最終的な身の部分はエビの半分くらいの大きさしかない。でも大量に食べるので(私も50匹以上は食べたな)、お腹は一杯。

大きな台の上で、ザリガニ&ビールを片手に、立ってみんなで会話を楽しむ様子は、まさにルイジアナ!だった。

 

知れば知るほど興味深いルイジアナの文化。

そんなルイジアナに第二の家族がいる私はラッキーだなぁ〜と思う。

今度は是非ローラの妹のアリソン(高校生)に日本にホームステイに来て欲しいなぁと思っているところ。

 

 

2003年2月9日(日)  フロリダ上陸

 

ルイジアナでの時間もあっという間に過ぎ、今朝は早くもお別れの時。

ローラとは10年以上会っていなかったのに、そんな時間の溝を感じなかった。

次回はそんな間をあけず会いたいねと話しているのだけど、次はいつになるかな。とりあえず私の結婚式に呼んでくれと言われたけど、そんな日が来るのかさえ未定・・・。

 

空港に着いてみると、またもや飛行機が1時間遅れていた。まぁ、先日の4時間待ちに比べたらかわいいもんだけど。

それ以上に困ったのが、チケットが勝手にキャンセルされていたこと!

実は、Yahooのインターネットサイトで飛行機チケットを購入したのだけど、事情があり、予約していたミネアポリスからルイジアナまでのチケットを使わなかったので、ルイジアナ→フロリダのチケットまで自動的にキャンセルされたようだ。

やっぱりインターネット予約って安いけど、もたくさん!

 

とりあえずデルタ航空の人が親切だったので、何とか予約は入れなおしてもらったけど、アトランタからフロリダの便が一杯で、次の便に乗らざるを得なかった。フロリダで待ってくれてた友達に悪かった!

フロリダは、オーランドというディズニーワールドがある街へ。

今回訪問する友達は中学・高校の同級生で、マイアミ在住だけど、マイアミの前にオーランドで少し遊ぼうということになったのだ。

昨日からアメリカのセキュリティーレベルは、かなり危険という”オレンジ”になった。

こんな時にフロリダでバケーションは少し心が痛むけど、まぁ、人生悔いのないように・・・がモットーだから。

 

 

2003年2月10日(月)  ディズニーワールド

 

昨日は友達と夜中まで話しこんでいたので朝起きるのが辛かったけど、今日は1日ディズニーワールドの中のEPCOTというアミューズメントパークに行くことにしていたので頑張って起床。

ここオーランドには本当にたくさんのテーマパークが集まっている。だから、チケットも4日とか5日連続使用可のチケットを売っている。みんな1日では到底回りきれないので、数日に渡り滞在して遊びまくる人が多いみたい。

 

今日行ったEPCOTは、乗り物が少しと、あとは各国紹介のパビリオンが入っている。

カナダとかノルウェー、日本など10カ国くらい入っていて、ほのぼのと楽しめる感じ。

それにしても、こういうテーマパークの入場料ってすごく高い!今日のところも6,500円くらい。そりゃぁ、これだけの入場料をとれば、花火をパンパン打ち上げても元は取れるだろうなぁって感じ。

まぁ、今日は閉館まで遊んだので、十分満足したけど。

 

明日ももう1日テーマパークに行き、その後夜はマイアミに行く。なにげにマイアミ、楽しみ♪

 

 

2003年2月11日(火)  新婚さん♪

 

今日は本当はユニバーサルスタジオに行こうと話していたのだけど、昨日のEPCOTで満足してしまい、あまり今日は乗り物って気分でもなかったので、予定を変更して近くのアウトレットモールにショッピングに行った。

どこでもできるショッピングに落ち着いてしまったのはちょっと何だけど、オーランドってテーマパークに行かないんだったらどこに行っていいのか分からない。多分歴史的見所ってなさそう。

 

ショッピングも、もうスーツケースにスペースがあまりないので、とりあえずお土産買いに終始した。いやぁ、重い重い。

結構この日本では欠かせない”お土産”ってのも大変ね。きっと友達は、そんなもの良かったのに〜と言ってくれるだろうけど。。。

 

夕方から3時間かけて、友達の家があるマイアミへ移動。

途中、オレンジ畑やのどかな田園風景が続いていて、和んだ。しかも草が青々としているのがミネソタと違うな〜。

 

新興住宅地に家を買った友達。新婚さんなのだ!

白で統一されたかわいらしいお部屋に通され、ゲストルームでゆっくりさせてもらう。

なんか新しい生活って感じで羨ましい!ローラの家に続き、幸せそうな同い年の友達の家庭ばっかり見てると、結婚も良さそうだなって思ってきたぞ!

 

 

2003年2月12日(水)  マイアミ暑いぞ。

 

久しぶりに朝遅くまで寝入ってみた。いや、正確には朝6時くらいに目が覚めて、眠れなくなったので1時間くらいメールを書き、また眠りについた。この二度寝が気持ちいいのよね。

 

友達は今日、明日と平日なのでお仕事。忙しい日系企業で働いているので、休みが月・火しか取れなかったらしい。

なので、今日、明日は彼女のダンナのホルヘが私の相手をしてくれてる。

 

今日は午前は私がダラダラしていたので潰れ、午後は晴天のマイアミをうろちょろ。

マイアミは予想以上に南国だ。Tシャツでも暑く、車内は常に冷房。サングラスは必需品。

椰子の木を見ていると、まるでハワイにでも来たみたい。

 

仕事が終わった友達と夕方合流し、3人でマイアミビーチを歩く。

うーん、やっぱり海っていいな。

いつかは是非海の近くに住みたいって大学生頃から思ってる。

 

アメリカはいよいよ危険な状態みたいだ。

でも、私はNACのプレが終わって以来、平和活動から遠ざかってしまっている。

まさに現実のアメリカ社会に居るという感じ。

ここマイアミやルイジアナなど南部では、ミネアポリスで見ていた”イラク攻撃反対!”のプラカードを見かけることもないし、何だか仲間を失ってしまった気分だ。

まぁ、今は旅行中なので仕方ないけど、今度広島&イギリスに落ち着いたらまた地元の平和活動などに参加したいと思ってる。

やっぱり何か行動に移すってとても大事だと思うから。

 

 

2003年2月13日(木)  さよなら、アメリカ。

 

今日のCNNを見ていたら、今週末には世界300ヶ所以上でイラク攻撃反対のデモが行われるらしい!300!

そういえばミネアポリスのホストファミリーは今週末親戚を訪ねてニューヨークに行く予定なのだけど、そこでこの反戦デモに参加するって言っていたなぁ。マイナはまた顔にペイントしたりするのだろうか。ふふ。

 

そして今日はジョージ・ブッシュがフロリダに来ている。軍港に。

何やら、核使用も辞さないと言ったとか?!まったくアイツめ!

 

ここ数日人々の恐怖もピークで、今週末も警戒警報が出ているとか。

友達が勤める日系企業にも日本領事館からメールが来て、今週末にでも食料を買いだめしとけと書いてあったらしい。

そんなこと言われると、ますます恐怖だな〜。そう、アメリカって”恐怖の文化”なのよね。

私も明日の早朝の便(6:45発!)で日本に向けて飛び立つ。何事もなければいいけどな〜。

あまりそんな時に移動したくないけど、とりあえずアメリカよりは安全であろう日本に帰るのだからちょっと嬉しいかも。

 

今日が実質アメリカ最後だったけど、あまりそういう実感がまだない。次にイギリスが待っているからだろうか。

政府と人々は別。アメリカってやっぱりオモシロイ!

とりあえずさよならアメリカ。またね☆

 

 

2003年2月15日(土)  日本無事帰国

 

無事に日本に帰ってきました。

結局マイアミでの最終日は寝ずに完徹。朝5時前に家を出て、友達に空港まで送ってもらいデルタ便に乗り込む。

アトランタで乗り換え、そこから14時間の長旅。あぁ、疲れた・・・。

 

成田には大学時代のサークル友達、アドとルミが迎えに来てくれてた。アリガト〜。

久々の日本だったけど、大して変わってないような気がした。まぁ、夏から半年しか経ってないからかな。

それに、日本は冬とは言え、ミネソタの冬を経験した後のこの寒さはかわいいものだ。慣れってスゴイな。

 

まだ何となくNACの活動が終了したという実感がない。

NACに応募してから既に2年半が経過してて、その間NAC中心に人生(ちょっと大げさ)がまわってきたし。

大事なのは、これからこの経験をどのように生かすかってことだと思う。これが一番難しいんだけど・・・。

 

広島に帰ったらゆっくりNACの報告書を書き、今後のことも考えよう。

 

 

2003年2月27日(木)  ご無沙汰です

 

月曜に広島に帰ってきてからあっという間に3日が経った。あと一息でスーツケースの中身が片付く。

ふ〜、やっぱり実家はいいなぁ。そして、不景気で物騒な事件の多い日本だけど、やっぱり良い。よく人に”そうなのぉ〜?”と驚かれるけど、将来は絶対日本がいいと思ってる。イギリスが終わったら今度こそ日本定住だな。

 

明日はこっちに帰って初めて市内へ行く。

地雷に関するセミナーに参加するために。そして、はるばる(!)市内まで出掛けるので、他の用もまとめて。

とりあえず必要に迫られているのが”携帯電話”

アメリカでは特に必要を感じなかったし、ホストファミリーも持たない主義だったので私も持ってなかったけど、日本で持たない生活は私には厳しい・・・。あぁ、こうやってまた現代社会の生活に染まっていくのね。

 

まだどこから片付けていいか分からないくらいやることがある。

とりあえず部屋を片付けたので、次はお礼状と帰りましたの挨拶まわり。あ、頼まれてた原稿もあったんだった。

さくらが咲く頃には落ち着いてるかな。