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今夜の番組チェック

  

    2002 July   

 

2002年7月1日(月) 最後の夜

 

今日は朝のバスに乗り、友達とプロビデンス観光をした。と言っても、プロビデンスはそんなに見る場所もないので、ブラウン大学に行ったり街中を少しブラブラ。NACがなければ、来ることもなかったような街かもしれない。でも、半年住むと、愛着が湧いてきて、自分の街のような気がしてきた。

 

今夜は最後の夜なので、家族と友達などで、ロブスターパーティーをした。

やっぱりイベント事にはロブスター!これにバターをたっぷりつけて食べると何とも言えず美味しい☆

夕食の後には、友達が滞在したお礼にとホストファミリーにティーセレモニーをしてくれた。以前のめぐちゃんのやり方とはまた少し違っていて、茶道の深さを感じた。私にはやっぱり無理そうだ・・・。

 

その後は、アボリジニーの楽器の音色を聞いたり、Karinが私のフットマッサージをしてくれたり、キャンドルの明かりの中で神秘的な夜が過ぎて行った。

さよならをするのは寂しいので、今夜はまださよならは言わないことにした。

 

 

2002年7月2日(火) ありがとう!

 

いよいよ今日は本当にホストとお別れの日だった。

朝、6時半に家を出るスコットを見送った時は、まだ半分寝ていて、あまり寂しいという感情も湧いてこなかった。

でも、Karinが話を決めてきた私のホストファミリー役を快く受け入れてくれて、大らかな気持ちでいつも受け止めてくれたスコット。ありがとう!!

 

午前中は残りのダンボール詰めやスーツケース詰めをやって、何とかお昼には家を出る準備が完了した。

今日から友達とボストンに行くので、Karinとイライにプロビデンスのバス停まで送ってもらったのだけど、プレに行く時いつもこうやって何度もバス停まで送り迎えしてもらっていたので、それも今日が最後だなんて、これまた実感がなかった。

別れの時も、もう何年も会えないと思うと悲しくなってきてしまうので、”またに遊びに来るね!”と果たせるか分からない約束をしてしまった。でも、ニューイングランドは秋が有名なので、一度その時期に来てみたいというのは本当。安いチケットが取れたら、里帰り旅行をしよう。

本当にこのロードアイランドのホストファミリーで良かった。この縁を大切に、一生のおつきあいをしていければいいと思うし、していけそうな気もする。

アメリカ嫌いだった私をここまでアメリカ好きにしてくれたホストに大感謝。ありがとう☆

 

Karin&Eliと笑顔で別れた後は、最後に一度会っておきたかったジェーミーとお茶をし、彼の出しているヒップホップのCDをめぐちゃん分も買って、すっきり。

まだ会いたい人は居たのだけど、先を急がないといけないので、次回のお楽しみにしておいた。

移動の激しいアメリカ人。今度私がプロビデンスに来た時にまだ彼らがここに居るかは疑問だけど、今はメールがあるので、どこにいても連絡を取り合えるのが嬉しい。でも逆にメールアドレスが変わってしまったら連絡が取れなくなるのは怖いけど・・・。

 

ボストンへのバスがハイウェイで故障し、他のバスに乗り換えないといけないというアクシデントはあったけど、何とか無事に夕方ボストンに到着。

その後、チャイナタウンのホテルにチェックインしたのだけど、その間色々な人に助けられた。(おばさんにスーツケースを押してもらったり!)アメリカ人がこんなにも親切に思えるのは何故だろう。もうじき離れなくてはいけないからかな。

ホテルもインターネットで予約したので、ちょっと賭けに出ていたのだけど、思っていた以上に綺麗でとても快適。

チャイナタウンの外れにあるダブルツリーホテル。お薦めです。ちょっと外の車の音がうるさいけど。

 

それにしても、今日の東海岸は暑い!!34度近くまで気温が上昇し、しかも蒸し暑い。普段汗をかくことのない私まで汗をかいてしまったくらい。これで日本の蒸し暑い夏に戻る練習になった気がする。

 

 

      

 

    清潔な室内。2000年7月オープンなのでまだ新しい。           ホテルの部屋から眺めるボストン市内

 

 

2002年7月3日(水) バスで移動

 

今日もまた驚異的な暑さになった。100F。外に出た途端、ここはアジアか!っていうくらい蒸し暑く、不快だった。

友達と私は興味の分野が違ったので、半日は別々に過ごして後で合流することにした。私はハーバード大学内にあるESR(Educators for Social Responsibilities)という非営利団体にとても興味があったので、そこを訪問してみた。

ここは、子供たちの教育に関する教材を作ったり、実際に学校を訪問してクラスの問題を解決する方法や異文化教育などをやっている団体で、まさに私が今後やりたいと思っていることをやっているところなのだ。受付にいたハーバード大生という若い男の子が私の質問に答えてくれ、ますます私はこの団体のやっていることに興味を持った。

まだこれを日本でどうやって取り入れることができるかなど未知のことが多いけど、少し自分のやりたいことが見えてきた気がして嬉しくなった。

 

午後は友達と共にボストン市内観光。ずっと暑い中歩いたので、もう汗だくになってしまった。今週は観光をするにはあまり良くない時期かも・・・。脱水症状になってしまいそうだ。他の人も水を片手に、だるそうな様子で過ごしていた。

ボストンは何度来ても、良い街だなぁと思ってしまう。建物もレンガ建ての歴史を感じさせるものが多く、NYと同じく大都会だけど、NYと比べると全然人も優しい気がする。初めてボストンに来た友達も、人の親切さに関心していた。今日1日で何度親切にされただろう。オレゴンに1年住んでいた彼女もアメリカに対してあまり良い印象を持っていなかったらしいのだけど、今回の旅でその印象も変わりつつあると喜んでいた。

 

今夜はグレイハウンドで移動。

10時間かけてナイアガラの滝までバスで行く。

明日は7/4(独立記念日)で休日のためか、バスもめちゃ混んでいた。明日のナイアガラも人・人・人なのだろうか・・・。

何より、明日はテロが予告されている日?予想というか。

人が集まる所に行くなと言われているのに、人が集まりそうなナイアガラ。まぁ、とりあえずボストンに居るよりは安全な気がするのは気のせいかな。

何も起きないといいけど・・・。

 

 

                     

 

                      市内の公園にはリスがたくさん。しかも人に慣れてる・・・

 

 

2002年7月4日(木) ナイアガラの滝

 

今朝は7時前にNYナイアガラのバスターミナルに到着した。

昨夜はバスの中であまり眠れなかったので、少し疲れ気味だった。でも友達は、生まれて初めてバスで快適に眠れたと爽快な顔をしていて羨ましかった。

 

実は今夜のホテル、カナダ側のホテルをインターネットで予約していた。でも、私のビザでカナダ側に渡れるか分からなかったので、今更ながら何故カナダ側に予約してしまったんだろうと二人して意味不明な状態だった・・・。

アメリカとカナダの陸路のボーダーは、橋を5分くらい歩いて渡るだけで、みんなぞろぞろ歩いてカナダ側に行っていた。

アメリカからカナダに行く時は、パスポートを見せる必要もなく、カナダ側から帰ってくる時だけに入国審査の箇所を通ることになる。なので、そのまま歩いていけば、カナダにも行けたのだけど、戻って来れなかったらいけないので、アメリカの入国審査官に聞きに行くことにした。

結果はやっぱりというか、悪い予想通り、私のように滞在延長申請中はNG。カナダには行けるけど、戻って来れないよ、と冷たく言われて終わりだった・・・。

バッファローから日本に帰る飛行機チケットはもう買ってあるので、アメリカに戻ってこないわけにはいかない。

というわけで、今回のカナダ側ナイアガラ市内は泣く泣く諦めた。でも、もうホテルはインターネット予約なので当日キャンセルはできないものだったので、1泊分のホテル代を無駄にしてしまうことになってしまった。

これも相当悔しかったけど(予約を入れた私達が浅はかだった!)、何より今日は独立記念日。どこのホテルも予約で一杯。今夜どこに泊まるかってのが焦点になってきた。

何件が電話をかけてみたけど、どこも満室かあっても異常に値段が高い。そうだよねぇ、こんな祝日の観光地だもの。無理も無い。

重ーいスーツケースをゴロゴロしながら、体は寝不足でだるいし、昨夜から何も食べてなくてお腹は空いてるし、審査官は態度がムカツクし、かなり最悪の状態だった。昨日までのあの輝いて見えたアメリカが一気に暗く見えた。(←勝手!)

 

途方に暮れたが、とりあえずインフォメーションセンターに向かおうとフリーシャトルに乗ったら、そのバスの運転手さん二人がとても良い人たちで、事情を話すとバスで荷物を預かってくれ、近くのホテル街まで連れて行ってくれた。そこでホテルを探してみたら、ということだったのだ。スーツケースが疲れの元凶だったので、とっても助かった。

いくつかホテルを回ってみたけど、やっぱり満室がほとんどだったので、またこの事情を運転手さんに話すと、インフォメーションセンターまで連れて行ってくれ、そこでバッファロー市内のホテルを電話帳で探してくれた。(仕事中なのに!?)

何故ここまで親切にしてくれるの?というくらい親切に、ホテルに電話もしてくれたり、地図で場所を教えてくれたり、明日の空港までのバスルートや時刻表までくれた!

そして、やっと残り1部屋空いていたモーテルを予約することができた。あー、良かった。一安心。

 

疲れていたので明日また滝を見に来る?と話していたのだけど、この運転手さん(ボブ)の計らいで、荷物はインフォメーションセンターの人が特別に預かっておいてくれることになった。荷物さえなければ、身動き自由♪

そして、このモーテルはナイアガラの滝から車で30分少々離れたバッファロー市内にある場所だったので、また重いスーツケースを持ってバスに乗って移動して・・・と憂鬱になっていたら、なんとこのボブが仕事が終わったら私たちを乗せていってくれるというのだ!彼もバッファローに住んでいるらしい。

 

ナイアガラは、滝の下を船で観光することができる。"Maid of the Mist"(霧の乙女号)。

友達とこれに乗り、アメリカ側カナダ側両方の滝を間近でみることができ、自然のダイナミックさに感動した!

自然ってすごいな〜!!

この景色を家族や友達みんなに見せてあげたい気分になった。

 

ナイアガラを見て感動した後は、ボブが私たちをホテルまで本当に送ってくれた。荷物がとっても重いので、すっごく助かった。友達が日本からお土産用の扇子を持ってきていたので、それをお礼にプレゼントした。

INSの審査官は嫌な感じだったけど、このボブのお陰で、今日はまたアメリカの良心を感じることができた。

 

 

      

 

              アメリカ側の滝                         空と滝の境目が分からなくなります

 

 

2002年7月5日(金) アメリカ最後のモール

 

今日は基本的に予定がなかったので、昼前にモーテルをチェックアウトして、その後バッファロー空港近くのホリデーインに移動した。あー、やっぱりモーテルより落ち着く!

ここバッファローは、ナイアガラ以外にはあまり観光するところもないみたいなので、ホテルの近くの大きなモールに行くことにした。買い物にはあまり興味がなかったのだけど、隣に映画館もついているので、(実はアメリカに来て初めての)映画を見ることにした。10種類くらい映画をやっていたのだけど、友達のリクエストにより「Mr. Deeds」というほのぼの系の映画を見た。コメディーでおかしいのだけど、心暖まるストーリーで、とても良かった。日本だと映画を1本見るのに1800円とかするけど、こっちでは5ドル50セントだった。約700円。安い♪他にもマット・デーモンのボーンアイデンティティーやトム・クルーズの作品で良さそうなのがあったので、機会を見つけて見に行きたいと思う。

 

明日はいよいよ日本に向けて早朝旅立つ。

もしもう今日がアメリカでの最後の夜だったらとっても寂しいけど、また8月に戻ってくると思うと、”またね!”という感覚で帰国できる。

自分がこんなにアメリカを好きになったなんて、ちょっと笑える。半年でなんて違い!

子供たちに、異文化を知ることの大切さを訴えているけど、その自分がそのことを身をもって感じた。政府と国民は違うんだなって。

 

 

2002年7月6日(土)/7日(日) 日本到着

 

出発の日の朝は、友達はメキシコに向かうため私より少し早めに朝の4時過ぎに部屋を出て行った。

これまで1週間ずっと一緒だっただけに、いきなり寂しくなった。やっぱり旅は道連れ!お世話になりました。また一緒にどこか行こうね。

 

私も6時にはチェックアウトをして、バッファロー空港に向かった。

バッファローから1時間半飛び、シカゴに向かい、そこからは成田まで直行便だった。

席もほぼ満席だったので、狭い席に閉じこめられての13時間のロングフライト。あまり眠れず、かなり疲れた。しかも、機内食が貧しかった。夕食が、ミニカップラーメンにチーズクラッカーそしてリンゴが出たときは、初めてだったのでビックリした。カップラーメン!スチュワーデスがやかんを持って回っている姿は、経費削減を感じて、寒かった・・・。しかも、大きなアメリカ人にはそれだけじゃ全然量が足りないみたいで、かわいそうだった。

 

とりあえず無事に成田に到着し、半年ぶりの日本。ちょっと久しぶり。

でも、半年じゃそんなに大幅に変わる訳も無く、そんなに懐かしい〜!って感じではなかった。

それでも、一人でどこにでも行け、言葉もちゃんと喋れるここは自分の母国。やっぱり戻ってくる場所なんだなって思った。

 

 

2002年7月8日(月) 暑い

 

時差ボケもそんなになく元気に1日過ごせたけど、何が辛いってこの暑さが辛い!!

今日の東京は34度くらいまで気温が上昇。何をしなくても汗がにじんでくるあの嫌な感じの蒸し暑さ。

しかも、今日が今夏の最高気温だったとか。何もそんなにタイミング良く暑くならなくたって・・・。

明日も同じくらい暑そうだけど、なにやら超大型台風が南の方に来てるらしい。これで少しは涼しくなるかな。

そういえば日本はまだ梅雨なんだよね〜。信じられん。

 

半年ぶりに体重を量ってみたら、なんと6キロも太ってた!6・・・ 思わず愕然。確かにジーンズきついなぁと思ってたけど、ここまでとは!アメリカは大きい人が多いので、全然気にならないけど、日本だとみんな細いので、外に出るのも嫌になってきた。アメリカで学んだことも大きいけど、蓄えてきたものも大きすぎる。。。

 

2002年7月9日(火) 自分が居る世界

 

今日も昨日に引き続きとても蒸し暑い1日だった。

もう少しゆっくりしたいところだけど、東京に居るのも今週だけ。会う人に連絡を取ったり、メールをチェックしていたら、あっという間に時間が経った。

夕方からは、前の会社の後輩の女の子とご飯を食べに行った。

もう会社を離れて1年半。すっかり時間が経ってしまった。みんなもそれぞれ成長したみたいで、自分のビジネス面における成長はあの時点で止まってしまってるんだろうなぁと思うと、少し不安な気分になった。

仕事はとても好きだったので、またそこに戻って働いてもやっぱり楽しいんじゃないかと思うけど、今足を踏み入れている平和とか教育の分野にはもっと思い入れがある。それは、自分が頑張れば頑張るだけ、この世の中も良くなると信じたいし、出来ることなら子供たちの将来にプラスの影響を与えたいと思うから。

今の私の課題は、自分がやりたいことをどうにしていくかということ。思わず焦って答えを見つけたい気分になるけど、早々にこれ!という答えも出ないものだろうから、あまり焦りすぎず、でも頑張って形にしていけたらと思う。

 

 

2002年7月10日(水) 開発教育

 

これが時差ボケなのかどうかは分からないけれど、今日は起きてみると12時間も寝ていた。体が疲れ気味で・・・。

でも今日は午後から二件、人と会う予定になっていたので、楽しみにしていた。

 

1件目は、四谷にある国際法律家協会。ここの事務局の方に以前ベトナム語を習っていたことがあり、それ以降色々とお世話になっている。今日はボストンでお世話になった日本人弁護士の先生も来てくださっていたので、他の弁護士の方も加わり、皆でアメリカの平和活動のことや、アメリカの子供たちの戦争についての反応など、とても有意義な一時であった。

この団体のように、核を廃絶するために、日本や世界の弁護士の方々が一体となり、国際法的観点で平和活動をされているのはとても心強いことだ。

普段”弁護士”と聞くと、とても硬いイメージがあるけれど、ここでお会いする弁護士の方々は皆とても気さくで誠実、そして面白い方々ばかりである。

 

あんみつやゼリーなどをたらふく食べたところで、次は同じく四谷で待ち合わせし(遅刻しました。ゴメンナサイ!)同じ大学の卒業生の方と初めて会った。名前はまるちゃん。同じ年の卒業生だったのだけど、私の大学では学部が違うとほとんど交流がないので、全く面識はなかった。まぁ、小さめの大学なので、どこかで誰かとは繋がっているのだけど・・・。

今回このまるちゃんと出会えたのは、これまた大学時代のクラスメートのお姉さんがまるちゃんと同じ学生グループに所属していた関係で、同じ国際協力を目指すのなら一度会ってみたら?と紹介されたのがご縁だ。

初めて会ったまるちゃんは、背の高いショートヘアのきりりとした感じの女の子。いかにも頭がきれそうなタイプ!

でも、話を始めると、とても穏やかな思いやりのある女性だったので、ほっとした。とかく、(偏見入ってるかもしれないけれど)、国際舞台で頑張っている女性って、自分の意見を持ったしっかりした女性が多いので、時に人に対しても厳しかったりする。だから、自分が頑張りつつも、人にも優しい女性って憧れるなぁ。

 

まるちゃんは、学生時代から(緒方貞子さんの)サダコキャンプに参加したり、大学卒業後も大学院で勉強したりシベリアでNGO活動をしたりと、自分の信念に従ってその道を歩んでいるようだ。しかも、結婚もしているという点で、すごいなーと思う。なかなか両立って難しいだろうなって勝手に思っているので、それを成功させているというのは希望でもある!?

彼女に、私が将来やってみたいことを話すと、”話を聞いてて思ったんだけど、それって開発教育って気もするよね。”とのこと。開発教育?うーん、聞いたことはあるけど、具体的にどんなことを指すのか分からない。聞いてみると、子供たちに南北問題(世界の貧富の差)のことや人権問題、発展途上国の問題など、様々なことを知ってもらうため学校などでそういう教育をすることだそう。それだとまさに私が今興味を持っていることに違いない!

家に帰って早速インターネットで”開発教育”を調べてみると、あったあった!まさにまるちゃんの言ってた通りだ。日本にそういう活動をしている団体があること、それを開発教育と呼ぶことなんて今まで知らなかった。

まるちゃん、ありがとう!1つヒントが見つかったような気がします。

 

 

2002年7月11日(木) 話まくり

 

今日は台風一過で朝から真っ青な空に35度近い暑さ。いやぁ、日本はもう梅雨明けなんじゃないかなあ。。。

 

そんな暑い中、今日は昼間は横浜の方に住む大学時代の友達の家にお邪魔した。

彼女は5月末にお母さんになったので、その赤ちゃんにも初めて会った☆

まだ1ヵ月半のこの小さな赤ちゃんが、私の友人の分身なんだ〜と思うと、何だか信じられないような気分だった。

友達が母親になるというのは、喜ばしいことでもあるけど、変な気分にもなるもんだなと思った。

彼女は今は仕事も辞め、育児に専念しているけど、とても幸せそうだった。というか、育児が大変そうだった。

私はまだ自分自身のことに手が掛かるので(?)、育児というのはもう少し先の話かもしれない。

 

友達の家を後にし、夕方からはNAC2期生の純平さんに会いに表参道へ。

純平さんにはNAC大使に決まってから私たち8期生は何かとお世話になっているので(特に私は同じ東京に居たため、彼が面接官の一人でもあった)、今日もお会いして色々とアメリカでの報告をするのを楽しみにしていた。

待ち合わせ場所に行ってみると、純平さんのお友達の酒井さんも一緒だった。酒井さんも純平さん関係で、めぐちゃんと4人で飲みに行ったりしていたので、懐かしい再会だった。

話は、NACの有り方から始まり、アメリカの良さや悪さ、仕事から結婚まで多岐にわたり、とても楽しく&勉強になった。

やっぱり一人で色々と考えているよりも、人とたくさん話した方が私の場合、自分の気持ちがクリアになってくる。

どうもありがとうございました。連日友達&先輩に感謝です。

 

 

2002年7月12日(金) 平成30年の日本

 

今日は大学時代のテニススクールのバイトで知り合って、それ以来おつきあいが続いている祥子さんと赤坂で食事をした。赤坂見附駅の改札で待ち合わせだったのだけど、帰宅時間と重なっていたせいか、人の波波波!!まあ、金曜の夜ってこともあるのだろうけど、それにしても次から次へと出てくる人の波を眺めていたら、目が回って倒れそうだった。

その前にも新宿で少しお買い物をしたのだけど、バーゲンと重なっていたため、女性達の勢いに飲み込まれそうだった。

あぁ、私はもうこの人の多い大都会で生活していくのは厳しいかも・・・と一瞬思ったけど、これも慣れだろうなぁ。。。

 

それにしても、これだけ景気が悪い悪いと言われている日本なのに、バーゲン会場では若い女性がたくさん勝利品?を抱えて満足そうだった。少なくとも若い女性には不景気の波はそんなに激しくは押し寄せてないんじゃないかと思うけど。

でも、今夜のテレビで、元経済企画庁長官が平成30年の経済を予測した著書を紹介していてそれによると、16年後は超高齢化社会で給料の40%が税金で取られ、消費税も20%になり、貿易赤字も大幅に増え・・・ととてもじゃないけど信じたくないようなことばかりづらづらと並べられていた。まぁ、これは経済改革が何も行われなかった場合のシナリオだけど、今の日本の状態を見ているとまんざら空想の世界でもなくなりそうな気もしてすごく怖い。

なんで日本ってこんな景気の悪い国になっちゃったんだろう・・・。

もっと底に沈んだら、ようやく浮き上がってこれるのかな。でも、底なし沼だったらめちゃ怖い。

みんなの危機意識とやる気とそれを引っ張るリーダーが必要。他力本願じゃもうダメな段階に来てるし。

とにかく、みんなが”希望”の持てる国にしないと・・・。

 

 

2002年7月13日(土) 求む情報

 

来週はテレビ局の方が少し取材をしてくださるというので、その時にお会いしてもらう被爆者の方を探していた。

被爆者の方で、その後、教育に携わってこられた方を探していたので、インターネットで調べたり、広島の知り合いの方に電話をし尋ね、その後104で電話番号を探してみたりと色々手を尽くしてみたけど、何しろ週末なのでオフィスは全部閉まっているし、東京からなので情報を集めるのにも何故かもどかしいくらい余計な手間がかかる気がした。そして、電話してみたけど留守だったり、他の方を推薦されたりと、結果的には話はまとまっていない。

撮影が数日後ということで、焦ってしまうけど、しょうがないので月曜まで待って連絡を取ってみようと思う。

一般的に情報は東京の方が集まるけど、やっぱりヒロシマ・ナガサキのことは地元じゃないとね。

 

2002年7月14日(日) 広島に戻る

 

アメリカから帰国して随分時間が経ったような気もするけど、1週間だけ過ごした東京も今日が最後だった。

本当はもっと会いたい人や連絡を取るべき人もいたのだけど、今回は全部は無理だったので、またアメリカに飛ぶ前に東京で数日過ごし、それを果たしたいと思っている。

予定では8月20日に成田からアメリカに発つ。

 

今日は夕方のJALで広島に戻る予定だったのだけど、羽田に着いたのが出発10分前を切っていた!

しかも、予約した際のクレジットカードがカード会社の関係で変わっていてその確認をカウンター担当がしたりしていたので、もうダメか!?と思ったけど、幸い(?)飛行機の到着が30分遅れ、そのせいで出発も30分遅れた。あー、助かった。

やっぱり国内線だからと甘く見ず、時間には余裕を持って行かなきゃ・・・。(このセリフ、私の友達は何度も聞いた??)

 

半年振りに両親と再会し、夕ご飯を食べて帰った。

半年だとそんなに変わってなかったけど、やっぱり実家はいいなぁと思った。

久々の自分の部屋も最高!

早速スーツケースの中身を片付けていたらもう夜中の2時半。

明日から早速忙しくなるので、規則正しい生活に戻したい。(←規則正しい生活は1年前に終わってる。)

 

 

2002年7月15日(月) 広島市内へ

 

今日のランチはテレビ局の担当者の人と打ち合わせも兼ね広島市内で食べた。

この担当者の人とは、アメリカにいる時からメールでやり取りを続けてきた人なので、初めて会った人のような気がせず、年齢が同じということもあり、大学のクラスメートのような気が勝手にしていた。

広島出身ではない彼が、初めて”原爆”と向き合い、被爆者の方々から直接お話を聞いた話などはとても興味深く、客観的な意見も聞け参考になった。

 

その後、そごうへ洋服を見に行った。

でも、バーゲンが7月頭から始まっていたらしく、もう2週間も過ぎた今は静まり返っていた。月曜だし台風が来てるしということもあるのかもしれないけれど・・・。

アメリカではジーンズとか、短パンにTシャツという格好ばかりをしていたので、スカートやパンプスなんて身につけるようなことがなかった。なので、日本に帰ってきて、去年までの夏服がキツイ今、いくらか新しい夏服を買わないといけないと思っているのだけど、これから夏!というのに、もう売り場では秋物が幅を利かしている。全然買いたいものが残ってなかった!

でもとりあえずシンポジウムに着ていくスーツだけでも買わないと・・・。

 

今、台風が通過中。台風よく来るなぁ。

 

 

2002年7月16日(火) 今時の小学校

 

今日は姉の家で夕ご飯を食べた。

久々に3人の甥と会い、楽しい時間を過ごしたが、彼らも今週一杯で夏休み

3番目は今年1年生になったばかりなので、初めての夏休みだ。

 

彼らが通っている小学校を私も卒業したのだけど、びっくりしたのはやっぱり子供の数の減少

私の時は5クラスはあったのに、今年の1年生は2クラスしかないそうだ。たったの2クラス。

でも、1クラスは40人居るみたいで、あと1人増えたら来年からは3クラスになるらしい。

私のロードアイランドのホストの子供たちが通う学校は、公立だったけど、1クラス25人を越すともう1クラス増やさないといけないことになっていた。それを考えると、リミットが25人と40人という違いは、少人数のクラスの方が教育には良いと言われている時代だけに、大きな差に思える。

でも、一番上の甥の小6は、1クラス30人弱しかいないみたいなので、ラッキー。

私がアメリカの学校を訪問して、1クラス25人以上だとキツイなーと感じた後だけに、1クラス40人をアシスタントなしで見ている日本の学校の先生は大変だろうなと思う。

 

あと、今年から話題の総合学習の時間も。。。

でも聞く前に”戦争のことはやっとらんよ!”だって。ふぅーん。

 

今の小学校は、私が通っていた頃とは大きく変わってそうだ。特に今年からは。

私がアメリカで語る日本の小学校像が大きく異なっていてはいけないので、しっかり甥たちから今時の日本の小学生について聞いておこう!

 

 

2002年7月17日(水) 広島の活動

 

広島に帰って初めて平和公園を歩いた。

昨年1月には補修工事で鉄筋に覆われていた原爆ドームも既にそれらが取り除かれており、またいつものドームに戻っていた。

 

午前中は一人で平和公園の原爆資料館内にある啓発担当課を訪問した。

今回初めて行ったのだけど、本当は1月の渡米前に行きたいと思っていた場所だ。

具体的にどのようなことをしている部署なのか分かっていなかったのだけど、お聞きすると修学旅行生のアレンジをされたり、海外での原爆展を開いたり、広島市の外郭団体として平和学習をサポートしている部署であった。

パネルやビデオの貸し出しもされていて、私もポスター一式を永久貸し出しして頂いた。早速船便でアメリカに送っておこう。

 

お昼にテレビ局の方と合流し、午後からは広島平和教育研究所というところへ。

こちらも、具体的な活動はインターネットでざっと拝見しただけだったのだけど、行ってみると広義な平和教育を推進されており、まさに私がやりたいと言っていた開発教育なるものも手掛けてらっしゃる団体だった。

こちらでされている活動が、まさに私が探し求めていた生涯の仕事かも・・・と思うくらい興奮してしまった。

こちらでも、平和教育に関する書籍やポスターなどたくさん頂いた。早速読もう。

 

さすが広島。

私が知らなかっただけで、様々な団体が”平和”のために存在しているんだなぁとあらためて思った1日だった

こうやって今まで知らなかった身近なことを知っていけるのって嬉しい。

 

 

2002年7月18日(木) ダイエットに取り組む?

 

今まで”ダイエット”しよーと思ったことは何度かあったけど、本当に真剣に取り組んだことはなかった。

でも、人生でマックスの記録を更新中の今、さすがに真剣に取り組もうかという気にもなってきた。

 

というのも、今日夏服を取り出してみたのだけど、全部キツイ。

去年まで入っていたものが、ピチピチで、見るに耐えない。水着とか論外。

 

さすがに運動もせず、ピーナツバター&ジャムサンドイッチを朝食に、夕食後にはアイスクリームやクッキーを日課としていた生活を半年も続けると、こんなになっちゃうんだなぁ。でっかい人が多いアメリカにいたら目が麻痺して全然自分のことなんて気にもならなかったけど、やっぱり日本では生き辛い・・・。

 

見た目だけじゃなくて、健康のためにも太りすぎちゃいけないと思うんで、今までの生活を改め、せめて日本にいるうちは健康的な食べ物を食べ、たくさん運動もしようと誓います。

 

日本に居る残り1ヶ月間。どれだけ元に戻せるか。ガンバル!

 

 

2002年7月19日(金) 濃い1日

 

広島は今週ずっと曇り空&雨時々雷で、全然すっきりしないまさに梅雨空。しかも蒸し暑くてたまらない。

今日もそんな天気の中、市内に出掛けた。

 

まずはお昼にNHKの担当者と会い、スタバで少し打ち合わせ。

そして、収録の夕方まで時間があるので、ずっと行こうと思っていた並木にある行きつけの美容院へ。行きつけと言っても、広島に帰っていた去年の9ヶ月間行っていただけなのだけど。。。

もう忘れられてるかと心配したけど、みんなちゃんと覚えてくれていて感激。

今日はあまり長さは変えず、シャギーを入れる。やっと日本人の女の子らしい今時の髪型になった。さすが日本人美容師、手先が器用!とまた感激。

 

その後、まだ時間が余っていたので、収録に備えて、今度は別のカフェにて自分の意見をまとめる。

何だかバタバタにかまけて、自分の半年の活動をしっかり振り返る時間を作っていなかったので、良い機会になる。

思ったのは、いい思い出ばかり残っていて、あまり嫌な思い出は残っていない。というより、あまり嫌な思いをしなかったんだなぁとあらためて感じる。まさに”思い出は美しい・・・”状態。

でも、”ヒロシマ・ナガサキ”を伝える難しさも感じた記憶はあるので、その辺もしっかり思い出して後半のプレに役立てなくては。。。

 

夕方になって、スタジオ入りして、アナウンサーの方と対談。

初めてテレビ局の現場を覗き、その雑然さに圧倒される。

みんな忙しそー。

普通の会社も忙しいと思うけど、やっぱり人の出入りが激しく、みんな立ってうろちょろ(?)歩いてるので、まさに見たからに”忙しそう”。

アクティブな人じゃないと務まらないな。マスコミ業界。

 

ふとアナウンサーに的を得た質問をされると、うぅと詰まってしまう自分。自己分析が甘かった。

インタビュー中は、質問に本当に集中しないと、的確な答えができなくなってしまうので、神経を使った。久しぶりに頭を使った気分だった。(こんなことだけど・・・)

 

ようやく撮影もこれで終了。

1つイベント(?)が終わり、ほっとした。まだ録画した自分の場面は見てないのだけど。

とにかく、お世話になりました。社会勉強になりました。

 

せっかく市内まで出てきてるし、金曜の夜なので、高校時代の友達とご飯を食べて帰ることにした。

彼女は今、税理士を目指し、2つ目の大学院の2年目。すごいなぁ。

高校時代は、彼女が税理士を目指すことなんて予想しなかったけど、彼女から言わせると、高校時代に私が”平和”に興味を持っていることも知らなかったって。

やっぱり高校時代には見えないこと、想像もしないことも、段々と色んな経験を経て、自分が興味がある分野が見えてくるものなのかなぁと思った。でも、とりあえずその試行錯誤がないと自分のやりたいことも見えてこないと思うので、機会がある時に色々試して見るのが一番だと思う。

 

はぁー、やっと週末。

週末は家で溜まっていることを片付けよう。メールもたくさん溜まってる・・・。

 

 

2002年7月20日(土) 家での1日

 

今日こそは机についてやらなくてはいけない事務処理的ことをバンバン片付けよう!と思っていたのだけど、いざとなるとどこから手をつけてよいのか途方に暮れ、大した成果もない1日にしてしまって反省。

でも、やっとこの半年分のデジカメデータを紙焼きにしたので、それらをアルバムに整理した。唯一の収穫・・・。

あまり写真は撮らなかったなと思ってたのに、結局300枚近く撮っていた。意外と多かった。

2月のバーモントでの最初のプレが懐かしいずっと昔のことのようにも、つい最近のことのようにも感じられる。

いつからこんなに時間が経つのが早くなってしまったんだろうってよく思う。みんなもやっぱりそう思ってるかな?

 

 

2002年7月21日(日) マスコミの人

 

今日から遂に広島も梅雨明け!暑い暑い。私がまだアメリカに居る時、日本の友達が今年の夏は冷夏だなんて言ってたけど、私が日本に帰ってきて2週間ずっと暑いよ?クーラーから離れられない・・・。

 

今日は午後から市内に出掛け、取材のため新聞社を訪問した。

最近、マスコミの人とお話をする機会が多くて、たまに話し疲れたりするけれど、話すことによって自分を見つめ直す機会にもなったりするので、都合が良かったりもする。そうじゃないと、なかなかこの半年の活動をうまく言葉でまとめることなんて難しいから。話しながら自分の矛盾点や曖昧な点などにも気づくので有難い。

 

夜も長崎の新聞社の女性記者から電話があり、1時間くらい話していたのだけど、彼女は学生時代私と同じようなことに関心を持って活動していたり(国際協力やNGO)、同じ年頃の留学経験もあったりして、一女性としても話しをしていて興味深かった。

それにしてもその電話が終わったのが夜中の12時すぎ。

マスコミの人たちって昼も夜もない生活だなぁと最近よーく分かった。

彼らのそのスタミナがどこからくるものなのか、是非教えて欲しい。

 

 

2002年7月22日(月) 日本酒を堪能

 

今日もお昼から市内へバスでお出掛け。あ〜、日本はバスで(自力で!)どこへでも行けるので楽チン♪

今日の行き先は、今度8月のシンポジウムでお世話になる広島平和文化センター(www.pcf.city.hiroshima.jp)訪問と夕方からは新聞社の取材。

 

パネリストなんて初めての体験で、勝手が分からないので、今日はシンポジウムの進行を含め、全般について教えて頂いた。この広島平和文化センターは広島市の外郭団体だそうで、場所は国際会議場の中にある。

初めての訪問だったのだけど、”広島での平和活動なら何でも聞いてください!”とおっしゃっていたので、今度から是非色々教えて頂こうと思う。何だか最近、”平和都市広島再発見”って気分だ。

打ち合わせ後、時間があったので、資料館の地下へ行った。ここも初めて利用したのだけど、情報資料室のようなものがあり、原爆や戦争、平和についての色々な分野の本が置いてあり、コンピューターでも何やら検索できるようだった。

こんな場所があったのなら、NACの課題で資料集めしている時なんてここを利用すれば一発だったのに!と今更思った。

 

今日はこの地下の特別展(いつも何かしら企画物がある)は、救援活動についてだった。

原爆投下後、多くの人が近郊から救援のために市内に駆けつけたが、その様子についての展示だ。

ふむふむと一人で見ていたのだけど、奥の方には高いパネルに写真が貼り付けてあり、あたかもその場にいるような雰囲気を体験できるようになっていた。

うーん、ちょっとこの中に一人で入るのは怖いかなぁ〜と思いながら、ふっと後ろを振り返ると、今さっきまでワイワイ5〜6人いたオバサマ達がいつの間にか去っていて、展示場に私一人になっていた!さすがにパネルや担架の展示物などに囲まれ一人だと怖がりの私の足は出口に足早に向かっていた。でも、また数人新たに人が来たので、ほっとしてまた展示物を見始めた。あぁ、私って小心者!

 

夕方からは、新聞社の方とお会いして、夕ご飯も兼ね、取材となった。

以前日本酒について特集をされたということで、今日も日本酒の飲めるお店でということになった。

私は今までほとんど日本酒は飲んだことがなかったのだけど、先日アメリカに来てくれた友達がお土産に持参してくれた日本酒がとても美味しくて、それ以来結構日本酒を見直していた。

なので、今日もかなり楽しみにしていたのだけど、今日飲んだ”雨後の月”というのはとても爽やかで口当たりが良く、ワインみたいで美味しかった!ちょっと日本酒にハマッテしまいそう。。。

 

あ、実は広島に帰るまで知らなかったのだけど、原爆の子の像のところに、折鶴を入れるガラスケースが出来てました!

うーん、これで雨ざらしにならずにすむって訳かぁ。

でも、これまでずーっと碑の周りに山積みになっている折鶴を見慣れているので、まだこの光景は全然見慣れない。

じゃあ、もう勝手に折鶴を置いて帰れなくなるってことなのかなぁ。どこかに持参して、そこがこのケースに入れてくれるって流れなのかしら。

ちょっとこのことはアメリカの子供たちへのプレでも変えて言わなくては。何度か”これらの折鶴の山は雨が降ったらどうなるの?”なんて質問を聞かれてたことがあったので。

広島も日々変化しているのね・・・。

 

 

                      

 

           ”原爆の子の像”の周りには折鶴を収容するガラスケースが出来ていました!いつの間に・・・。

 

 

2002年7月23日(火) え、英語が・・・

 

昨日の私の疑問に早速お答えを頂きました。

原爆の子の像に折鶴を持参した場合、自分でガラスケースの中に吊るすのだそうです。以前みたいに自分で

教えてくださってどうも有難うございました。早速今度もっと近くに寄って見てみよう!

 

今日も午後からピースグラント奨学金を頂いている中国新聞社内の広島国際文化財団(www.hiroshima-cdas.or.jp/hiro-icf/top.html)を訪問。半年の活動を簡単にご報告させて頂いた。

こちらでは出発前に小さな千羽鶴を頂き、それがプレでとても役立ったので、その様子などもお見せすることができた。

出発前から暖かく見守って頂いていて、久々にお会いして何だかほっと落ち着く気分だった。

 

その後、夕方からは、この4月にNYで再会し、それ以降メールなどで仲良くして頂いている女性の方と夕食を食べた。

この方は広島の平和活動にも関わってらして、インド・パキスタンとの交流も続けられている。

年が近いこともあり、今後の活動のことや悩み、その他諸々話しは尽きなかった。

あまり広島で平和活動をしている若い女性に出会うことがないので、貴重な存在だ。同志って感じ。

 

彼女たちのグループは、今月末から10日間近く、インド、パキスタン、アメリカから学生を集め、国際交流、平和学習をするそう。楽しそう☆

8/6周辺はイベントが目白押しなので、どれに参加しようか迷ってしまう。

あ、そういえば、アメリカでお世話になった友達からメールが来て、彼女も月末から1週間くらい広島に来て平和会議に参加するそうで、突然の知らせでびっくり!でもロードアイランドで仲良くしてもらった友達なので、今度は私がお礼に日本を案内できるのがとても楽しみだ。

 

そういえば、今日久々に英語を話す機会があったのだけど、全然口が回らなくてショックを受けた・・・。

発音も下手だった気がする。帰国後たかが2週間しか経ってないのに!

かなり危機感を感じている。自分の英語に・・・。

 

 

2002年7月24日(水) 卓球

 

朝から小6の甥が歩いてやって来て、夏休みの宿題を教えて欲しいということだった。珍しい!

夏休み帳を見ると、小6にもなればなかなか難しそうなことを習っているんだなぁと思った。ちょっと前まで小学校に入学したとか九九を習ってると言っていたと思ったのに、いつの間にこんなに大きくなって!とおばちゃんみたいなことを思い、とても感慨深かった。

内容は分数だったので(5年生の復習)、算数の苦手な私でも大丈夫だった。ほっ。。。

 

午後は市内までは出掛けることもなく、地元で高校の友達と二人で卓球をした。スポーツセンターで。

卓球なんてしたのは大学の体育の授業以来だったけど、基本的に球技は好きなのでとても楽しかった☆

日本に帰って何かスポーツをしたい(しなきゃ?)と思っていたので、少しだったけど体を動かして気分爽快だった。

でもその帰りに早速二人でラーメン(おやじコースと呼ぶ)を食べて帰ったので、ダイエット効果はないだろうなぁ。。。

 

 

2002年7月25日(木) 腰痛い!

 

昨日の夜は、ベットに入ってからなかなか眠れなかった。

こっ、腰が痛い!

腰の左側が痛いというか、鈍い不快なだるさがあって、寝れなかった。

卓球はそんなに激しく動かなかったし、原因不明

今日朝起きてもまだ痛かった。

こんな時初めて健康の有難さに気づく。

 

あっ、もしかしてベットが柔らかすぎるのかなぁ!?

早く元の健康体に戻りますように・・・☆

 

 

2002年7月26日(金) 広島の公立教育

 

した方がいいんだろうなぁと思いつつ、基本的に読書はほとんどしない私。

でも、とてもめずらしく今日は地元の図書館に行き、本を読みふけった。

 

本当は核問題についての本を探しに行ったはずなのに、”原爆を子供たちにどう語るか”という本や”平和学について”なんて本ばかり手にとり、中でも一番興味深かったのは、広島の公立教育が何故崩壊したかという内容の本だった。

広島は日の丸・君が代問題など深刻、というのは聞いたことがあったが、公立の教育は何がどう問題になっているのか等ほとんど知らなかったので、本の内容は少しショッキングではあった。

その本では、広島の公立学校で行われている人権教育や平和教育が偏っている、と言うものだった。日本は悪い、というような自虐的な教育で、そんなので良い子が育つはずがない、だからかつては”教育県広島”だったのに、現在では全国でも下位を争うまで落ちたのだ、ということが書いてあった。

確かに何でも極端なのは良くないけど、私は小学校だけ公立なので、その平和教育がどのようなものだったか、正直ほとんど覚えていない。覚えているのは、8/6には夏休みなのに登校日で学校に行かなくてはいけなかったことだけ。

中学からの平和教育に関しては、特別偏っているとは感じなかったけど、これもその本的に言えば、洗脳されてるってことになってしまうのだろうか。

それが洗脳だろうがなかろうが、平和を大切に思う心が養われていれば結果的にはいいんじゃないかと思うけど、それじゃ短絡的なのかな。私は日の丸も君が代も否定するつもりもないし、日本も好き。でも過去に自分の国がしてきた加害などについては学ぶ必要があると思う。出来るだけ偏らず、過去の歴史を学ぶことが必要だと思うし、NACの活動をアメリカでやるのも、アメリカの子供たちに是非そういう違う角度から見た歴史も知って欲しいと思う気持ちもあるからだ。

 

正直、教育の方針の違いって根が深いんだな〜って怖くなったけど(世羅高校の校長先生の事件とか)、子供たちにとってどういうことが一番大切なのかを教育者の人は最優先に考えて欲しい。

ある意味、やっぱり先生って子供たちの模範になるような存在であるべきだと思うし。

是非そんな人が教職について欲しいな。

 

 

2002年7月27日(土) 頑張る人

 

 全国的なものだろうけど、広島も暑い!!今日も37度近くまで気温は上昇したはず。体温と同じじゃん・・・。

 

そんな中、今日のランチは高校の後輩のハルカちゃんとリーガにて。

後輩といっても、彼女はまだ大学生なので、もちろん在学中の面識はなし。知り合ったのも、今年の4月NYにて。

彼女はその時は、広島からの被爆者や平和活動家の一団の一人として参加していた。

高校在学中から、活発にそういう平和活動には参加していたらしく、大学生になった今でも益々パワフルに色んなことに挑戦しているようだ。

うーん、大学生ってしっかり自分の興味あることを追及して勉強できる機会も時間もあっていいな〜って思ったけど、よく考えると私も今ってまさにそういうことに充てられる時間があるんだった!

”学生”だからそういうことに集中できていいねっていうのは自分への言い訳だったんだと反省。勉強ってしようと思ったらいつでもできるし、しかも手遅れってこともないんだろうし。

 

つい、ハルカちゃんのように若くてこれからの可能性もたくさんあって、頑張ってる人を見ると、”頑張っててエライよね〜!!”と感心ばかりしてしまうんだけど、それで終わりだと自分の進歩がないので、人の頑張りを見つつ、自分も頑張りたいと思う。

それにしても世の中、頑張ってる人ってたくさんいるんだねぇ。。。

 

頑張ると言えば、今日テレビを見て思ったのが(たくさんの人が思ってるハズ!)、サッカーの中田ってすっかりイタリア語ぺらぺらになって、スゴ〜イ!!中村俊輔の移籍についてコメントしてたんだけど、通訳を介さず話せるのって素晴らしい。イタリア語だからどれくらい上手なのかは分からないけど、きっとなかなかの上手さに違いない。

でもその影にはかなりの努力があったのかなぁ。それを表に出さないところもかっこいい。

 

 

2002年7月28日(日) TOEIC受験