2002 June
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・・・ロードアイランドの小学校と国際交流してくれる日本の小学校を探してます・・・
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2002年6月1日(土) 田舎暮らしの贅沢さ |
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6月といえば日本では梅雨の季節だけど、こちらは晴々。今日なんて30度近くにまで気温も上がり、まさに真夏の1日だった。 やることがたくさん残っているのだけど(広島証言の会の原稿・・・。締め切りすぎててゴメンナサイ!)、今日はめぐちゃんやホストファミリーと家でのんびりした。
ここに住んで約5ヶ月が経ち、最初は”素敵〜!”と思っていた周囲の環境にも慣れてきて、その新鮮な感動を忘れかけていた頃だったけど、めぐちゃんが来てくれたお陰であらためてこの家・地域の恵まれた環境に気づいた。 木々に囲まれた庭には今、美しい花が咲き乱れ、朝は小鳥のさえずりで目覚め、木陰のハンモックに揺られて読書をし、外のピクニックテーブルで食事をとる。 日本ではよっぽど田舎に行かない限り、こんな生活をしようとしても難しいだろうなぁ。
今の生活がこんなに環境的に恵まれているだけに、ミネアポリスの大都会に行くのが正直怖い。 東京に9年も住んでいながら今更何を・・・という感じもするが、やっぱり田舎での人間らしい生活を知ってしまうと、空気の濁った都会の生活はちょっと。。。
また半年後くらいに、ミネアポリスの都会についてどういう感想を書いているか自分でも楽しみだ。
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2002年6月2日(日) ショッピングデー |
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今日は昼前から夜までず〜っとショッピングをした。アメリカに来て初のアウトレットモールへ。 以前私のプレを聞きに来てくれたジェーミーと、彼が京都に1年間留学していた時のホストファミリーのご夫妻、そしてめぐちゃんと私の5人で出掛けた。変な組み合わせだけど、とても楽しかった♪
このご夫妻は10年間に渡り毎年アメリカから留学生を引き受けていらしたそうで、最近では毎年のように彼らを訪ねたりしてアメリカに旅行にいらしているようだ。今回も、その学生の一人がトロントで結婚式を挙げるというので、それに招待されたそうだ。学生がアメリカに帰ってからも、こうやって縁が続いているのは素敵なことだと思う。 私の広島の実家も、私が高校生の時にルイジアナから同い年の女の子を2ヶ月少々ホームステイで受け入れたが、私にとっても家族にとってもとても良い経験になったと思う。 彼女は今、その時からなりたいと言っていた医者になり、結婚して女の子にも恵まれた。 十何年後に、私の未来の子供(!)と彼女の子供が一緒に遊んだりできたら最高だな〜と思う。楽しみ☆
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2002年6月3日(月) JAPANショック |
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今日は朝から1日隣町の小学校で日本紹介のプレ。1日で全校生徒(400人以上)にということだったので、1学年ずつやったが、1学年多い学年では80人位いたので、その数に圧倒されてしまった。 しかも、数より何より、この学校のライブラリアン(司書)やアートの先生の日本についての知識量に圧倒されまくった。 図書室に着いた途端、JAPANコーナーがあって、そこには日本の着物がかけてあり、その下には日本人形から駄菓子、路上で配られるポケットティッシュ(しかもテレクラのやつ・・・)、花札などなど、私でも持ってないよ・・・って類の日本グッズが綺麗にディスプレイしてあった。この時点で私とめぐちゃんは、”や、やばい・・・。私達より絶対日本について詳しい・・・。”といきなり動揺してしまった。 これは、このライブラリアンの先生が、去年の秋に3週間ほど、フルブライトの奨学金で日本の福井県に滞在していた時に集めたコレクションだそうだ。 その時に、日本の学校を訪問したり、色々な素敵な経験をされたみたいで、”日本に恋に落ちたの・・・”と真顔で彼女は表現していたが、まさにそんな感じだった。
この先生が中心になって、去年の秋からずーっと日本について子供達も学んでいるらしく、”じゃんけん知ってる?”と聞いたら、”うん!”と言い、”おちゃらかおちゃらかおちゃらかほい♪♪”とみんな上手に歌い始めた! ”えっ、おちゃらかほい?!そんなの聞いたの小学生以来だよ〜。”なんて思いながら、日本の子供でももう知ってなさそうな歌がアメリカの片田舎で唄われているのがとても不思議な気分だった。 朝のクラスはみんな”OHAYO−GOZAIMASU!”と挨拶できてたし、1、2、3もみんな日本語で数えられたし、4年生はサダコさんのビデオ見て、千羽鶴も300羽以上折っている途中だったし、何しろ明日のティーセレモニー(茶道)のために、全校生徒あげて茶碗を作ってるし、本当に日本づくしの小学校だ。こんな学校は初めてだな。
先生達もランチの時間に日本のことを話し出したら止まらないという感じで、とても歓迎されている気分になり、有難かった。 フルブライトの奨学金というのは、昔日本がまだ戦後で貧しい時にフルブライトという人の奨学金で多くの優秀な日本人がアメリカに留学した(今でもしている)のだけど、そのお礼にということで、この数年間日本政府がお金を出して、アメリカから先生を数百人ずつ短期で日本各地に受け入れいるそうだ。 これは有意義な税金の使い方だと思う。少なくとも、莫大な資金を米軍基地にプレゼントするよりよっぽど役立ってると思うけど。というのも、この先生達が自分の小学校や地域に戻って、日本の生の姿について今回の先生のように子供達に伝えてくださっているので、最高の国際交流だと思う。
明日のこの学校での茶道プレで、私は前半のNACの活動を終了する。予定。頑張ろうっと!
図書館内のジャパンコーナー 子供達が焼き上げたお茶碗
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2002年6月4日(火) お茶お茶お茶 |
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今日は1日、昨日の小学校でティーセレモニー(茶道)プレをした。 したと言っても、私は眺めていただけなのだけど・・・。 めぐちゃんの浴衣は、黄色と黒のストライプ柄。おぉ、タイガースファンか!?と思ったけど、そうじゃないらしい。
この学校では、今年の4月からアート(美術)のクラスで全校生徒が自分の茶碗を土から作り上げていた。 なので、茶道を生徒と一緒にして欲しいと冬から言われていたのだけど、お茶が全然出来ない私は、わざわざボルチモアからめぐちゃんに来てもらったというわけだ。 私も日本を出る前に、母のお友達に1日習ったのだけど、付け焼刃ではダメだったみたい。
今日のめぐちゃんのお茶プレを見ながら、私も後半のミネソタでは絶対にお茶プレできるようになるぞ!と心に誓った。 子供達もとても楽しそうだったし、日本の"心”を伝えられるし、何か試食できるというのは、子供達も嬉しいに違いない。 ただ、今回のプレでは、子供達は全員アップルジュースをお茶の代りに飲むことになった。カフェインなどを心配した校長先生がそう決めたらしい。アートや他の先生方は不満そうだったけど、400人分のお茶を点てるというのは、並大抵のことではないだろうから、私達にとっては良かったかもしれない。
この小学校が私の前半最後のプレとなった。 1週間後には、子供達は学年登校最終日を迎え、2ヵ月半の長〜い夏休みに入る。 私も後半戦に備えて、課題がたくさん残っている。夏の間に勉強頑張ろう。
家に戻ってめぐちゃんと一緒に日本食をホストに作ってあげた。 お好み焼きと肉じゃがとタイ風コールスロー。 コールスローは、以前ボストンの家庭にお世話になった時に出されたもので、とても美味しかったのでレシピを教えてもらっていたのだ。自分で作ってもなかなか美味しかった。 夏の暑い時期には特にもってこいなので、レシピを書いておきます。
めぐちゃんのティーセレモニーを眺める なぜか図書館に巨大なエレファントが・・・
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2002年6月5日(水) めぐちゃんと休息 |
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今日は(結果的に)休息の1日になった。雨も降っていたし。 やはり、先週からのプレ連続生活で、少しずつ疲れが溜まっていたらしく、めぐちゃんと二人、朝起きてはみたものの、ぼーっとしてしまい、午後にはまた眠りに落ちてみたり(昼寝?)、昼間はまったく活動していなかった。あぁ、やらないといけないことはたくさんあるのに・・・。
夕方から、Karinのスタジオで夏の間、石を彫るアシスタントをしているアダムと3人で、プロビデンスに夕ご飯を食べに行った。めぐちゃんも、そういえばちゃんとプロビデンスを見ていなかったので、せっかくロードアイランドに来たのに、唯一の都会(と言っても大したことないけど)を見ずに帰るのは残念なので、短時間だったけど街を見れて良かった。 ブラウン大学近くの丘から眺めたプロビデンスの夜景はなかなかのものだったし。。。
こちらに来て、ほっとんどアルコールなんて飲む機会がなかったのだけど、今夜はカレーを食べた後、アメリカっぽいバーに行き(ビリヤードしている人がいるような所)、ひっさびさにギネスビールを飲んだ。アダムのおごりで☆ たまのこんな休息の取り方もいいものだ♪
あまり夜景が見えませんが、後ろの大きめの光が、プロビデンスの州ビル。
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2002年6月6日(木) めぐちゃんもう1日 |
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今日も昨日に引き続き雨の悪天候。一気にやる気をなくさせる天気・・・。
めぐちゃんは今日はボルチモアに帰るため、7時前にKarinが近所のバス停まで送っていった。 あぁ、寂しくなるなぁ・・・と思いつつ、また2度寝に戻ろうかと思っていたところ、30分後Karinが戻ってきて、何故かめぐちゃんも一緒に戻ってきていた!?あれっ?
なんと、バスが来なかったとかで、これ以上待ったら子供達をバスに乗せるのに間に合わない時間になってしまうということで、引き戻して来たそうなのだ。というわけで、めぐちゃんはもう一日ここで過ごすことになった。 それにしても、バスが来ないって有り得るの?絶対1分遅く着いたせいで、バスはもう行ってたんだと思う。そんな早朝のバスに乗る乗客なんて少ないし。 ま、めぐちゃんも今週はプレもないそうだし、私達も特に今日は予定がなかったので、結果オーライというとこかな。
で、今日も1日、気づくと午後で、そして何故かまた一昨日に引き続き日本食を作るという話になり、食品の買出しに出掛けたり、作ったりしていたら、1日が終わってしまった!ショック・・・。いかん・・・。 でも、美味しい天ぷらやサラダ、焼き飯が出来上がり、ホストもその他の人もとても喜んで食べてくれた。 めぐちゃんのロードアイランド滞在最後の夜もこうやって楽しく終わろうとしている。。。 彼女もここでの滞在をとても楽しんでくれたみたいだし、ホストも喜んでいたし、良かったな。
私の方はと言えば、今日日本帰国の飛行機チケットがFEDEXで届いた。 昨日急いで発券してもらって、今日届くように手配してもらったのだ。 というのも、明日は朝、めぐちゃんをバス停に送っていった後、私はKarinと共にINS(入国管理局)に行き、ビザの延長手続きをするので、その帰国を証明する飛行機チケットがどうしても必要なのだ。 さすがに夏のチケットは高い高い。安い時期だと、アメリカへ2度往復できそうな値段だった。ううぅっ・・・。
ガスが切れたので、キャンプ用のガスコンロで調理。 ホスト以外にも二人ほど夕食に参加あり。
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2002年6月7日(金) 違法滞在??大ピンチ! |
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違法滞在、イリーガルステイ・・・。私には関係のないことだと思ってたけど、そんな厄介な話に巻き込まれそうな事件発生。
今日は以前から入国管理局(INS)に行って、30日の滞在延長許可を貰うことになっていた。というのも、ビザの滞在許可が明日6月8日で切れてしまうから。 朝、めぐちゃんをプロビデンス市内のグレイハウンドバス停まで送り、その後Karinと風邪で学校を休んでいたレベッカの3人でINSに向かった。そこで事件が発生!
経過を少し話すと(長くなるけど)、NACでアメリカに滞在する場合には、B1/B2ビザ(観光/商用ビザ)で滞在している。でも、このビザで1年も滞在する人なんて滅多に居ないので、いつも入国の際に問題になる。実際今回1月に入国した時も、5人の内、2人は問題なく入国できたけど、半年の滞在許可しか貰えず(ビザと入国許可は別物)、残り3人は入国時に別室に連れて行かれ詰問されたものの、結局1年の滞在許可が下りた。同じプログラムで来ているのに、入国審査官によって言うこと、やることが違うのだ。なんていい加減な・・・って思うけど、今日ほどそのいい加減さが身にしみたことはなかった。
私が1/9にハワイに入国した時、担当の入国審査官は、半年の滞在許可しかくれなかったけど、もしもう半年延長したい時は、地元のINSに行き、手続きをしたら半年延長できるから、と全然問題ない様子だった。 それで、まあ滞在許可が切れる2〜3ヶ月前に延長の手続きをしたらいいなと思っていたのだけど、今年8月に広島で行われる平和シンポジウムに招待して頂いたので、夏に1ヶ月少々帰国することにした。なので、半年延長しなくても、ビザが切れる7月8日頃にはきっと日本に帰るのだから、また再入国する時にまた半年の入国許可を新たにもらえばいいなと思っていたわけだ。これで問題ないはずだった・・・。
ところが、4月にふとパスポートを見ていたら、滞在許可が切れる日にちがJuly 8(7月)じゃないといけないところに、June 8(6月)とスタンプが押してあったのだ。えー、あの審査官、間違えて5ヶ月のスタンプ押してる!! まさか、こんな単純なミスがおかされてるとは思ってもみなかったので、目を疑ったけど、確かに間違いだった。 なので、早速4月11日に地元のINSに行き、この間違いを訂正して欲しいと申請しに行ったのだけど、その時の担当の女性は、このオフィスは小さいので、ここで日付を修正することはできないけど、またこの滞在許可が切れる1〜2日前に飛行機チケット(帰りますという証明のため)を持参すれば、ただで29日の滞在延長手続きをしてあげると言うことだった。 Karinと私は、ホントぉ?と思い、念を押したけど、その担当の女性は大丈夫と言い、名前を教えてと言ったところ、”ここのオフィスの人間なら誰でも分かるから。”とあえて名前は教えてくれなかった。今思うと、紙にでもその旨書かせておけばよかった!と思うのだけど、INSのオフィスにはいつも長い列ができていて、ゆっくり話せるような状況ではないのだ。
だから、その女性が言った通り、私はまだ高い時期なのに泣く泣く飛行機チケットを購入し、明日滞在許可が切れるので、言われた通り、1日前の今日行ったわけだ。 そしたら、今日は別の意地悪そうなおばさんが担当で、いやーな予感がしてたのだけど、まさにその通りになってしまった。 29日の延長をしてと言ったところ、”その手続きはここではできないから、大きな事務所に郵送しないといけない。”と切り捨てるように言った。はー???そんなの明日滞在許可が切れるのに、間に合う訳ないじゃん!とばかりに、Karinが前回の女性が言ったことを説明してくれたのだけど、そのおばさんは一切受け付けない。そして、元の悪の根源?は最初の入国審査官が間違った日付を押したことだと言うと、開き直ったように”審査官は6ヶ月じゃなくても、5ヶ月でも1週間でも好きな長さを書ける。”とずうずうしくも言った。実際ハワイの審査官が、半年の滞在許可をあげると言っていたことを言うと、”9・11後、色々変わったの。毎日変わってるわ。”だと。出ました、何かあるとすぐ9・11。これを理由に色々な理不尽なことが無理やりまかり通ってるんじゃないの??と思う。水戸黄門の印籠じゃないけど、何かにかこつけたかったら、とりあえず9・11。最悪だ。。。 このおばさん、何を言ってもラチがあかなかった。ノトーリアス(悪名高い)とは聞いていたけど、やっぱりINSはノトーリアスだー!!
でも、どう考えても納得がいかない。全ては無効の単純な手違いや間違った情報により、私達は振り回されたあげく、明日以降は私は違法滞在者ってことになってしまうの?そんなアホな。。。
結局、今日できることとして、滞在延長申請書を家に帰ってすぐに書き込み、大きなINSにオーバーナイト便で郵送した。 少なくとも、滞在許可が切れる前に、延長の申請をしたということで。これがこのおばさんがやるようにと指示したことだし。 本来なら、間違わずスタンプが押されていたら何も問題ないのに、違法滞在のリスク&140ドルの手数料まで払い、泣きっ面にハチじゃない?? 何より、今度8月に再入国できるのかなぁ。入国拒否なんてされた日には、私はどうしていいのか分からんね。
こーんな1日で、相当ブルーだったけど、夕方からホストとブロックアイランドという島で週末を過ごすことになっていたので、今はフェリーに乗り、島の別荘に来ている。5月頭にも一度来たけど、その時はプレだけだったので、全然島は見れなかった。
夕方初めての別荘に到着したら、そこはなだらかな丘の上のとても素敵な場所にあり、そこからの海の眺めは最高だった。 沈んでいく夕日を見ていたら、ビザの問題が小さなことのように思えてきて、ダメだったらダメでまた考えればいいじゃん、なんて気になってきた。やるべきことはもうやったんだし。私は何も間違ったことはしてないし、違法滞在しようとしてるわけでもない。 正義は最後には勝つんだと信じたいね・・・。これで私が違法滞在者になって、二度とアメリカに入国できない、なんて事態になったら、訴えてやる!
7歳のレベッカから見た入国管理局。 "Why can't she just stay? This is a free country, Mom!" ”なんでただ居ちゃだめなの?ここは自由の国よ!” You're exactly right, Rebecca!
うーん、8月末に無事再入国できるまではとても心配だ・・・。でも、しょうがないね。
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2002年6月8日(土) 海の近くに住みたい |
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昨日の滞在許可の件、今は週末なので何もできないけど、ミネソタ在住でNAC7期生の頼りになる先輩からも少しアドバイスをもらったので、月曜に念押しの電話をINSに入れようと思っている。 その先輩曰く、INSはアメリカ在住日本人はほとんど痛い目にあっているであろうという位、悪名高いらしい。送った書類がそのまま1年もほおっておかれたり、日付の間違いなんて日常茶飯事とのこと。 人の人生を左右するかもしれない入国管理局の仕事ぶりがこんなのでいいんだろうか? もっと自分の仕事に責任を持って欲しい!
でも、心配しても、今は何もできないので、とりあえずブロックアイランドの週末を楽しむことにした。
この家からは、海が見えるのだけど、遠く向こうには本土のコネチカット州や遥かニューヨークのロングアイランドまで見える。週末のせいか、個人のセスナがブンブン飛んでいたが、これらはこの本土から遊びに飛んでくるらしい。リッチ☆ 今日は家の前のビーチに散歩に行ったり、反対岸の大西洋側のビーチに遊びに行ったり、海三昧だった。 何年か前から思っていたのだけど、やっぱり海の近くっていい!広い海を見ていたら、落ち着くし、寛大な気持ちになれるような気がする。是非将来は海が見えるところに住みたいな。太平洋が。 幸い日本は海に囲まれているので、海が見えるところに住もうと思ったら簡単に住めそうで嬉しい。
家の前には広い海が広がっています。 家のデッキから見た夕日。写真には出せない雲の色でした。
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2002年6月9日(日) 今夜も島に・・・ |
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ビザの件ではいろんな方から励ましのお言葉を頂いて、心強いです。有難うございます。 これも人生の試練と考えて(?)、乗り越える訓練をしたいと思います。(そんな暢気なことでいいんだろうか・・・。)
今日もまだ日曜なので、お役所は閉まっているので、ビザの件はとりあえず置いといて、今日も午後はホストと一緒にビーチで過ごした。が、風が異常に強く、白くさらさらの砂浜はまるでサハラ砂漠に砂嵐が吹いているような状態で、とてもビーチを楽しむような日ではなかった。お陰で、髪の中にはきめ細かい砂が入り、嫌な気分!
明日からは子供達はまた学校なので、ホストはメインランドに夕方戻ったのだけど、私はもう一日島に滞在することになった。というのも、この家の持ち主であり、スコットのお母さんであるテリーは、明日の夕方まで島に滞在しないといけないので、それに付き合うことにしたのだ。 彼女は車で島に来たのだけど、小さなフェリーなので、搭載できる車の数は限られていて、日曜は予約で一杯でダメだったのだ。だから、明日まで待って帰るというわけ。 テリーはこの島に40年近くセカンドハウスを持っているが、一人で居るのが怖くて1度も一人で泊まったことはないそうだ。 自分の家なのに?って思ったけど、私も怖がりなので、その気持ちは分かる。
今夜はテリーと二人で夕ご飯を外で食べ、その後家に帰り、一緒に家にあったビデオを見た。 ”ゴースト”。懐かし〜い。 10年前にアメリカで初めてビデオで見て、とても気に入ったので思わず1日に3回も見た思い出深い映画だ。 今夜見ても、良かったな〜♪
明日の夕方のフェリーでメインランドに帰るけど、また船酔いしそうで、ブルーだな。 島は綺麗でもっと居たいけど、家で書き上げないといけないものもあるし、その意味では早く自分の部屋で落ち着きたい気もする。そろそろ日本に帰る&ミネソタに送る荷造りも開始しないといけないし。
水はまだまだ冷たいけど、南国のようなビーチが広がっています。
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2002年6月10日(月) 島から帰還 |
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今日は昼間は島でのんびりテリーと過ごし、夜やっと家に戻ってきた。 帰りのフェリーは、シートにごろーんとなって寝ていたので、全然平気だった。酔うどころか、”もう着いちゃったの?”という位、快適だった。景色は見れなかったけど、今度から船に乗ったら寝る!を鉄則としたいと思う。
家に帰ると、いきなり現実の忙しさに引き戻された。 Karinは、水曜日にニューヨークからアーティストの集団が20人ばかりKarinの仕事の様子を見にやってくるということで、庭やスタジオの大掃除。 その忙しさを知りつつ、自分だけ部屋に篭ってはいれないので、明日・明後日はそのお手伝いに多くの時間を費やすことだろう。 でも、私も帰国まで1ヶ月を切り(友達が来るまで3週間!)、やっておくこと、会っておく人、提出しなくてはいけないものが山積みになってきた。 今日できることは今日しておくこと・・・を呪文のように唱え、頑張るぞぉー。
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2002年6月11日(火) 蛍 |
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今日は、なんと子供達が3人とも風邪を引き、学校を休んでいた。風邪というか、喉が痛い程度。 こっちの親は、比較的簡単に子供を休ませるような気がする。お誕生日だから特別に・・・とか変な理由で休ませる親も結構居るみたいだし、フロリダに行くから1週間お休みなんてザラ。 私が小学生の時は、そう簡単には学校休まなかった気がするし、姉の子供達もあまり休ませると勉強が遅れるという理由で滅多に休んでないはず。これも文化の違い?
今日は昼間はやっと依頼されていた文章を書き終えた。締め切りは先月中旬だったのに・・・。すみません。 そして、夕方からは、明日の20人のお客様に備えて大掃除のお手伝い。 夕食後、トラックでKarinと二人、ミーティングハウスに椅子やテーブル、食器などを借りに行った。明日は、その人たちがここでランチを食べるそうで、その場所を用意するというのだ。 料理も、陶芸家のピーターが、自宅で作って持ってきてくれるそうだ。(ピーターは信楽焼きがお得意。日本通!) 最初はケータリング(お店にお料理を頼んで、用意もしてもらうサービス)を考えていたそうなのだけど、手作りにしたそう。 でも、重いテーブルや食器を運びながら、”準備がここまで大変なのなら、いっそケータリングにした方が精神的にも良かったんじゃない?”と思ったけど、何とか準備も大体終わり、明日は朝からまた最終調整をするみたい。 私も明日はさすがに遅くまで寝ていられないので、早起きしようと思うけど、もう既に夜中の2時すぎ。朝起きる自信なし。 トラックで荷物を運んで家に戻って来たのが既に11時半過ぎてたし、それから庭の蛍を見に行ったからなぁ。。。
そう、庭にはたくさんの蛍が舞っていて、家の電気を全て消すと、今日のように月も出ていない日には暗闇の中、無数の蛍が見れるのです。蛍って、歌にあるように、水の近くにしか居ないものかと思っていたけど、そうでもないみたい。 まるでクリスマスツリーに光が灯っているように、蛍が木々を飛び回り点滅している様子は、二人だけで見るにはもったいないくらい美しかった。
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2002年6月12日(水) ウェイトレスもどき |
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今日はいよいよニューヨークからフォークアートミュージーアムという団体の人が20人程、Karinのスタジオを見学に来る日だった。昨日まで暑いくらいの天気だったくせに、いきなり今日は朝からドンヨリ曇り、気温も10度ちょっと。寒い。 Karinは珍しく緊張した様子で、ちょっとキリキリしてる感じ。まぁ、初めてのことだし、ナーバスにもなるよねぇ。
何が大変だったって、やっぱりランチの準備かな。私としては。 20人分の食器を用意し、盛りつけ、テーブルに運び、まるでレストラン勤務してるようだった。もちろん私一人がやった訳ではなく、他に3人くらいと、学校を今日も休んだ子供2人がお手伝いしていたので、人手は十分だった。 ピーターが作った料理も、レストラン並、いやそれ以上の素晴らしいランチだったので、Karinもみんなも満足していた様子だった。それにしても、この手間を考えたら、絶対次回はケータリングにした方がいいんじゃない?と今日もまた実際作業をして感じてしまった。
今日来た人たちは、金持ちのお年寄りという人が多く、展示してあったKarinの作品もいくつか即売されたみたい。小切手の住所に、5thアベニュー(NYのね)と書いてあった!とKarinがびっくりしていた。確かにあんな街中に住んでるのってどんなお金持ちなんだろう!?きっと桁違いな人たちだったに違いない。
今日は朝からこれで終わってしまった・・・。 明日は今回アメリカに来て初の挑戦。 ”美容院”に行く! こっちの美容師さんはきっと不器用&アジア人の髪質になれていないと私は思い込んでいるので(実際ミシガンで切った時はそうだった!)、とっても怖いけど、もうこの中途半端な髪に我慢も限界。 清水の舞台から飛び降りる気分で行ってきます。(←大げさ?)
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2002年6月13日(木) 美容院でさっぱり |
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先週末ブロックアイランドで泳いでいたのが嘘のように、今週は寒い。昼間でも気温は10度ちょっとまでしか上がらず、曇り空で何だかブルー。 天気が良いとみんな幸せそうに見えるのに、こんな天気だと表情も曇りがち。天候が人に心理的影響を与えるんだったら、いつも暑い南国に住んでる人の方が幸せ率高いのかな。だからみんなフロリダに引っ越すのか??
ま、そんなことはさておき、今日は昨日書いた通り、美容院に行きました。っていうか、バーバーだから、床屋? どうせ毛先をちょっと揃えるだけだから、どこでもいいと思ってたので、Karinの行きつけの美容師さんのところに連れて行ってもらったら、まさにアメリカ版床屋だった! 日本と同じく、サロン(美容院)は予約を入れるのが基本だけど、バーバー(床屋)は予約なしでOK。しかも、一人一人がさっさと終わるので(美容院みたいに時間掛からない!)そんなに待つこともなかった。
基本的には、日本と同じだった気がする。シュッシュと水で濡らし、切り、ドライヤーで乾かす。終わり。 この間、20分くらい?毛先をそれでも5cm以上切ったかなあ。 やっぱり日本の美容師さんの方がハサミさばきも全然上手いと思う。 日本に帰ったら、また行きつけの美容院に行きなおそう。
今日のカット代11ドル(1500円弱)+チップが2ドル(250円位)。安いでしょ?チップも本当は4ドルくらい、と思って15ドル渡したんだけど、”いや、2ドルで十分よ!”と2ドルお釣りをくれた。 いつもこの美容院でのチップの渡し方が分からず、行くのを躊躇していたけど、レジで11ドルに追加して支払っただけだったので、簡単だった。 アメリカでも、街中の美容院に行ったら、日本と同じくらい値段はするそう。 とりあえず半年伸ばしっ放しだった髪が少し落ち着き、満足。
日本に証明写真を送らないといけないので、明日はその写真を撮るためにプロビデンスに出掛けます。朝からバスに乗って。 久々の朝早いバスなので、今日は夜更かしせず寝るべし。
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2002年6月14日(金) プロビデンスの1日 |
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昨夜はそんなに夜更かしはしてなかったのに、今朝は6時半に起きる予定が(この時点でちょっと無理が・・・)ふと気づくと7時40分で、8時の出発まで20分しか残っていなかった!きっと気づかぬうちに目覚ましを止めたに違いない!! 朝のスタートがこんなだと、1日何となくペースに乗れなかった。出だしが肝心。
同じ町に住む真由美ちゃんと合流後、バスに乗ってプロビデンスへ。 彼女とは半年同じ町に住んだのに、今まで一度も二人でプロビデンスをうろついたことがなかったので、それがやっと帰国前になって実現した。
ブラウン大学周辺を歩いた後、雨が降り始めたので、屋内へ避難。巨大モールへ。 特に買うものもなかったけど、真由美ちゃんととりあえず店をハシゴし、恐るべし、このモールで半日も時間を過ごせてしまった。雨の日にはうってつけの場所だった。
肝心の証明写真は、やんごとなき事情(?)により止め、週末に家でデジカメ写真を撮る事にした。 Karinはフォトグラファーでもあったので、いい写真を撮ってくれるだろう。
今週イライはずっと風邪で学校を休んでいる。昨日辺りから食欲もなくなり、今日は熱も出てるみたい。 これまでだったら、風邪だろう、で終わっていたけど、糖尿病になってからは何かその病気のせいで体調が悪いんじゃないかとか、投与するインシュリンの量を減らさなきゃだとか、親の心配は尽きなさそう。 健康は失ってから有難さを感じるっていうけど、確かにそうかも。健康な時は健康なことが当たり前だと感じてしまう。 今、私は健康なので、ビザの件は大変だけど、健康を失うことに比べたら、どうってことないな。
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2002年6月15日(土) 懐かしむ |
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もう6月も半分終わりか〜。早いな〜。 最近現実逃避気味でカレンダーもよく見ていないけど、日本から友達が遊びに来るのが確か29日。その後、一緒にボストンなどへ行き、そのまま日本に帰国してしまうから、よく考えるとちょうど2週間しかないんだー。 しかも、来週の金曜から、クリスティンとレベッカは2週間のサマーキャンプに行ってしまうから、その日が彼女達とのお別れになってしまう。どうもまだお別れのシーンまで想像できてない。 1月に到着して、飛ぶように月日が経ち、やっと冬が終わり暖かくなったよぉと思っていたらもうお別れの時期。 びゅんびゅん容赦なく時間は過ぎていくなぁ。
きっと来年の今頃は、ここで過ごしていた時間がとても貴重だったものだと実感してると思う。 今だってそう思ってるけど、やっぱり離れてみないと心から実感できないことも多いものだ。
16歳の時、初めてアメリカに来て、オレゴンで一夏を過ごした。 その時、友達と二人でバスから壮大な農場を見た。夕日がとっても綺麗だった。 それを見ながらその友達と、”きっと10年ぐらいしたら、今の時間のことを、とても懐かしんでたりするんだろうねー。”なんて言っていたものだ。 今度29日から来る友達は、その時の友達だ。 10年以上経った今でも一緒にまた新しい思い出を作れることをとても幸せに思う。
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2002年6月16日(日) 氷山の一角 |
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最近、夜更かしパターンが定着しつつあるので、そろそろ改めないと・・・と思ってる。 でも、何が良いって、Karinも夜更かし&朝寝パターンの人間なので、朝遅く起きてもちょっと安心。 今日も日曜なので、クエーカーミーティングに行くため、9時前に起きて仕度をして待っていたら、Karinは寝入っていたらしく、”え、ゆみこも寝てると思ってたのに〜!”と驚かれた。はは、ちょっと低次元の争いだな。
そう、今日は久々のミーティングに参加し、心もすっきり。 やっぱり中・高時代の毎朝の礼拝を思い出すのか、ミーティングに行くと、気持ちが洗われる気がする。 しかも、今日は黙祷している時に将来の仕事についてのアイディアが思い浮かんだ☆ でも、これはまだ思いついたばかりのアイディアなので、少しずつ暖めていきたいと思っているところ。
それにしても、特に女性って、年を追うごとに諦めないといけないことが次々と出てくるような気がする。 将来の仕事、と言っても、職業によってはもうそろそろ年齢制限でNGだったりとかすると、本当にがっかり。 まるで、仕事を自由に決められるのは20代後半まで・・・って言われてるような感じ。 平均寿命80年の人生のうち、おもいきり働けるのがその内の数年だとしたら・・・。もったいない。
よく高校の歴史の女の先生が言ってたなぁ。”人間、今の実力は氷山の一角なんですよ!”って。 氷山ってのは、おーきな氷の山の一部だけが上に突き出てる状態で、その下には隠された大きな部分が眠ってる。人間も同じで、今使っている能力は、大きな部分のほんの一部にしかすぎない。だから、頑張ればもっともっと潜在能力があなたにも眠ってるんですよ、って。 あまりにもその先生がいつも同じ話をするものだから、みんな苦笑いしながら”またか。”って聞いてたけど、今になってその言葉に励まされる気がする。 それだけ諦めるってことに最近慣れてきて、でもそれが我慢ならないからかもしれない。
ちなみにその先生は、教師を数年前に辞め、今は前からやりたいと思っていた執筆活動に専念されているそうだ。 昨日テレビでも誰かが言ってたな。”何かを始めるに遅いってことはないんです。”って。 この精神が強いアメリカが私は好き。
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2002年6月17日(月) 子離れできないお父さん |
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今日は午後から、日本語に興味があるという高校生の男の子と、そのお父さんがコネチカットからうちに来るということで、まゆみちゃんにも来てもらっていた。 電話では2度そのお父さんという人と話していたのだけど、その時からなんだか高校生の息子のことなのに、妙に親が世話するんだなぁと思っていた。
午後やってきた親子は、大きなお父さんに、大人しそうな高1の息子さん。 話を聞くと、この息子さんは、数年前にテレビゲームのファイナルファンタジー(FG)にはまって以来、それが作られた国、日本の虜になったということみたいだ。なにげにこういうキッカケで、日本に関心を持っているという男の子にはよく会う。あと、日本のアニメが大好きとかね。 私はテレビゲームもやったことないし、アニメも見ないので、そういう話題にはいつもついていけない・・・。
とにかくこのお父さん、一人で話す話す。止まらない! 話の8割方このお父さんが喋っていて、私が息子さんに質問を振っても、彼の代わりにお父さんが答えちゃう! 学校の授業のこととか留学生のことを聞いているのに、なんで全部お父さんが答えちゃうの??? お父さんは”息子はシャイだから・・・”と言っていたけど、それ以上にお父さんが息子の分まで喋るのが問題なんだと思うけど? Karinも最初に会った時からそのことに気づいていたらしく、あれじゃ息子が可哀想だ・・・と怒ってさえいた。 確かにねぇ。もう高校生だし、彼の意思ってものもあるんだろうし。 一人息子だから、親の関心が全て彼に集まっているみたいだ。彼はきっとそういう環境で慣れて育っているので、それがあまり異常だとも思っていないかもしれないけど。
今日はこの親子の来訪で、嵐のように1日が去っていった。 でも1週間ぶりの青空だったので、気分はまあまあ爽快だった。 なぜまあまあかっていうと、INSにビザの件で電話をしても、まったく繋がる様子がないから・・・。あ〜あ。
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2002年6月18日(火) 勉強開始・・・? |
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なんと今日はINSに電話が繋がった!! なにせこのバーモント事務所は、東海岸全域(ニューヨークやワシントンDCなど巨大都市も含め!)をカバーしている統括事務所なので、電話が繋がるなんて奇跡に近いことだと思う。 でも、あまりに嬉しくて、恐縮してしまい、大した手がかりが掴めなくてちょっと残念。とりあえずまだ私の送った書類のデータがコンピューターに入力されていないので、ケースナンバーという元になる番号がまだない状態なので追跡しようがないみたいだ。でも、10日前に出したのなら、私の出国時の7月6日までには受け取り証明が届くはずで、それを持っていればとりあえず出国時には問題はないということだった。 問題は再入国時なんだけど、不法滞在ってことになっていなければ、再入国時はまた今年1月に入国したのと同じ要領で何とか乗り切れるんじゃないかと勝手に信じている。 もう綱渡り状態で乗り切るしかないし。。。
今日からそろそろ本当に勉強をしようと思って、天気が良かったので外のハンモックで揺られて読書を試みてみた。 でも、蚊がブンブンしてて、読書どころじゃなくなったので、場所を移動して芝生の上に寝そべって読書してみた。 そうしたら、睡魔が襲ってきてしまい、部屋に戻ってお昼寝をした。
勉強は気合なので、場所の問題じゃないと思うんだけど、明日は図書館に行って勉強してみようかなと思っている。 せめて、気分だけでも・・・ね。 8月のシンポジウムで話す原稿を今月下旬までに提出しなくてはならないのだ。 勉強し慣れていない私にはちょっと苦痛だ・・・。
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2002年6月19日(水) VJデー |
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日本のある人に、ロードアイランド州のVJデーについて詳しく情報が欲しいと言われた。
VJデーって聞いたことありますか? Victory over Japan Day。つまり、日本に勝った日ということで、日本では終戦記念日にあたる。時差の関係で、こちらでは8月14日ということになるが。 1948年以来いくつかの州では祝日に制定して祝っていたそうだが、徐々に廃止され、今でもこの日が祝日として残っているのは全米でただ一州、ここロードアイランド州だけなのだ。しかも、最後にアーカンソー州が廃止してから20年以上も経っているのに、しつこくこの州はそれを守っている。
第二次世界大戦で特にここロードアイランド出身者が多く亡くなったことや、ニューポートという軍港だった大きな町があることなどが理由として考えられるみたいだが、全米最小の州がVJデーを最後まで固持している州なのは不思議な気がする。 これまでに何度か議会で、祝日廃止案や名称変更案が出されたようなのだが、その度に強力な退役軍人の圧力に阻まれ、今に至っているらしい。
VJデーは、毎年8月の第二月曜日だそうで、一般の人はただ3連休になるというくらいしかあまり意識していないようだが、商店などでVJデーセールをやったり、パレードが行われたりするのは、ここロードアイランドにいる日本人(数少ないが)、日系人、その他アジア人にとってはとても気分を害する日に違いない。そして、その日に日本人やアジア系がハラスメントを受けることもあるので、その日には家から一歩も出ないという日系の人も多いそうだ。
こんな調子だと、ヒロシマ・ナガサキのことも、戦争を終わらされるためには必要だったと考えられていそうで、嫌な気分だ。
せめてもの救いは、話した多くの人は、この祝日に対して、恥ずかしいと言っていたことだ。 そして、ブラウン大学の若者も、この祝日廃止のために頑張って活動してくれている。 早く、「ロードアイランドでも遂にVJデーが廃止!」というニュースを聞きたいものだ。
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2002年6月20日(木) テロって何? |
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今週はずっと天気が良いので嬉しい。 昨夜から子供たちの友達が2人も泊りがけで来ていて、今朝は朝早くから5人の大はしゃぎの声で寝ていられなかった・・・。 昼間もそりゃ賑やか。私は静かな時間を求めて、外のハンモックで読書を開始。 そう、8月のシンポジウムに備えて、ちょっとお勉強なのです。 以前買っていた本なのだけど、テロについて。 何故テロが起きるかとか、何故アメリカが狙われるのかなど端的に書いてあって、少し理解できた気がする。 でも、テロって本当に憎しみの連鎖なんだな〜と少し暗い気分になった。 あ、でも、今度のシンポジウムのタイトルがまさに、”憎しみの連鎖から対話へ”だったような。 誰も、自爆テロで自分の体を吹き飛ばすために生まれてきたわけではない。 命の重みを教える教育も大切だし、そこまでして反対したいことがある人たちが居るって現実を教える教育も必要だと思う。
明日からは3泊でNACのコーディネーターの家に、みんなで集合予定。アッパーニューヨーク。 しばらくメールを見れないのをいいことに、のんびりしようと思う。
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2002年6月21日(金) 同期に再会 |
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今日は朝からNACコーディネーターのレイスロップ家に向けてロードアイランドを出発。 女の子二人(クリスティン&レベッカ)は今週末から2週間のサマーキャンプに出掛けてしまうので、私とは入れ違いになってしまい、もう会えないことになる。うーん、でもそんな実感わかないなぁ・・・。また少ししたら会えそうな気がする。でもそう言いながら、前のホストシスターとも10年近く会ってないし、いつでも会えると思いつつなかなか会えないものだ。
思い起こせば、5ヵ月半前、初めてこの家に到着した時、子供たちは恥ずかしそうにクリスマスツリー(私のために1月までとっておいてくれた。)の前に突っ立ってたよなぁと懐かしく思い出した。 子供の成長は早いので、きっと今度会う時は、女の子達はすっかりティーンネージャーになってるんだろうな。
夕方にレイスロップ家(メリー&ダン)に到着し、久々にNAC8期メンバー5人の内、4人が今日集合した♪ 彼女たちとは個別に会っているのでそんなに久しぶり!って感じではなかったけど、明日合流するヨネとはみんなずっと会っていない。なぜなら彼女は一人ネブラスカで離れていたから。 今夜は久々に4人で話に花が咲いている☆☆☆
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2002年6月22日(土) バークシャー地方 |
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昨日は夜中の3時近くまでお喋りしていたので、今日の午前中は無駄になってしまった。。。 昼前に遂にヨネが合流し(異常に黒く、元気だった!)、8期全員集合となった。1月のハワイ以来の全員集合。 この半年でそれぞれ言葉では語りきれない経験をしたに違いない!嬉しいことも嫌なこともぜーんぶ血となり肉となってるんだろうなぁ。自分は変わってない気がするけど、他の子はたくましくなってるように見える。
午後から、レイスロップ夫妻に連れて行ってもらい、バークシャーエリアを観光した。 このエリアは、マサチューセッツの中でも学術的&美術的に有名な地方で、なだらかな丘や山に囲まれている。 絵に描いたように美しい景色も多く、きっと秋の紅葉はため息が出そうな美しさだろうなぁと羨ましい。できれば、この有名なニューイングランドの秋を見に、11月頃にでもロードアイランドに戻って来れたらなと思うけど、全部無事ミネソタに入国できたらの話。
かの有名な小沢征爾が最近までボストンフィルハーモニーを指揮していたのだけど、夏はこのバークシャーのタングルウッドという場所で演奏会をやっている。ここにも行ったのだけど(雨の中)、屋外の緑の芝生で、気持ち良さそうだった。 その後も、この地方にたくさんある画廊やノーマンロックウェル博物館などを渡り歩き、気づくともう夕方もいい時間になっていたので、家に戻り、おいしい夕食を頂いた。
夜はレイスロップ夫妻の趣味の1つ、本格的スライドショーを見せてもらった。 彼らはたまに海外旅行に出掛けるのだけど、ただ観光をするだけじゃなく、その地で見たことをスライドにし、アメリカのみんなに見せてその国を知ってもらうことが任務だと言っていた。確かにシベリア旅行やアウシュビッツ、韓国などの旅を見せてもらったら、現地の様子が手にとるように分かった気がする。 私もこれをヒントに、夏に追加で日本のスライドを撮り、後半のプレに活用したいと思う。
Tanglewoodへの入口 芝生の綺麗な屋外客席
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2002年6月23日(日) 不眠症? |
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私って寝てる時によく夢を見る。大した夢じゃないけど、毎晩何らかしらの夢をたくさん見てる気がする。要は眠りが浅いって話?しかも、8時間睡眠が得られない日が続くと、ぐったり疲れてしまう。これは学生時代から。
昨夜はみんなより一足先(と言っても2時前)にベットに入ったものの、やっぱり周りの人が起きていたらなかなか眠れず、みんなが寝た後も一人で焦っているうちに外が少しずつ明るくなってきた・・・。早く寝なきゃ〜と焦れば焦るほど、頭が冴えてきてしまって・・・。悲しかったな。 やっぱり人が居ると、なかなか眠れない。電気を真っ暗にして、しーんとしてないと、眠れない。 前まで周りがうるさくても全然余裕で眠れてたのになぁ。おかしい。ただ単に疲れてないからかも。
こんな悲しい状況で、今日は少ない睡眠で1日が始まった。 しかも、今日は日曜なので、午前はメリー達がいつも行っている |