
2002 March ![]()
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2002年3月1日(金) ホストとの関係 |
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今日から3月!2月は異様に早かったな〜。まさに逃げてった・・・。 日本だと3月というと、卒業式があったり梅が咲いてたり、”区切りの月&早春”って雰囲気だけど、こっちは3月は特に意味を持たない月なので、変な感じ。イベントといえば、せいぜい3/31のイースターくらいかな。
今日は本当に1日部屋に篭ってその大半をPCとにらめっこして過ごした。 メールがすごく溜まっていたので、急ぎのものだけ返事を書いたりして。 再来週からまた旅に出るのだけど、今度はニューハンプシャー州の2家庭に合計2週間少しお世話になる予定。 その間また学校を連日訪問するので、そのスケジュール調整などでまたメールが大忙しなのだ。
ロードアイランドに到着して、もう1ヶ月半以上が過ぎ、ホストファミリーとも慣れてきたので、あまり緊張感がなくなった。 これは良いことなんだけど、逆に、最初はなるべく部屋に篭らずリビングに行くようにしていたのに、最近は自分の部屋が静かで集中できるので、つい部屋に居る時間が長くなってるし、日々の生活に追われてホストファミリーと過ごす時間をおざなりにしてるような気がする。 プレのことと、ホストのことと、どう上手くバランスをとっていくか、難しいところだ。 きっとKarinに言ったら、”プレに集中してくれればいいのよ。”と言ってくれると思うが、やっぱりそうは言っても、アメリカでの生活の成功のカギはホストファミリーとの関係にあると思ってるので、出来るだけ全部うまくこなしたいと思う。
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2002年3月2日(土) 日本語漬けの1日 |
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アメリカに到着して間もなく、同じ町に日本人留学生がいるということで紹介してもらい、以降電話では何度か話したことがあったのだけど、今日は初めてその真由美ちゃんという女性と対面した。
車でうちから10分くらいの家にホームステイしていて、地元の大学のESL(English as a Second Language)のコースを去年の9月から取っている。 9月といえば、テロ!こっちに来て間もなくテロが起き、彼女は自分の目でこのアメリカという国が変わっていくのを見ていたのだ。 テロ同日の午後にはもう公共施設や一般家庭に半旗が掲げられていたそうで、それ以降、車や家々に星条旗が一気にはためくようになったそうだ。 ところで、私は最近、車のバンパーガードに"I am glad to vote for Bush. Thanks Florida!!"とか"Don't mess with the U.S."などなど、戦争を支持する文字や星条旗のステッカーがよく貼ってあるのが気になっている。家の前に星条旗を掲げることの全てが戦争を支持しているとは限らないと思うけど、そういうステッカーは確実にやれやれ戦争派なので、怖いなぁ〜と感じる。
とにもかくにも、真由美ちゃんは、自分でバイトして貯めたお金で高い学費を払い、毎日真面目に英語を勉強している頑張り屋さんなのだった。 今日は朝10時頃に彼女が家に来て、6時すぎまでずーっと私達は喋り倒していた!もう3か月分くらいまとめて日本語を喋った感じだ。初対面でも、同じ言語ってだけで、こんなに連続して喋れるものなんだ・・・。さすが母国語。 今度は彼女のESLのクラスにお邪魔させてもらおうと思っている。他のアジア人留学生に会うのも楽しみだ。
さて、明日は私は朝から1日またボストンに行き、MIT(マサチューセッツ工科大学)でのシンポジウムに参加する。 パールハーバー後の日系人の体験と、9/11後のイスラム系の人たちが受けたハラスメントについて聞く会だ。 とても興味深い内容なので、楽しみにしている。そして、ボストン近郊に住む日系人の人たちとも知り合いになれたらいいなと思う。 そして何より、同じNAC8期の旭美ちゃんと久々の対面ができることをすごく楽しみにしている☆
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2002年3月3日(日) 今日学んだこと |
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今朝起きて外を見たら、雨が降り、しかもびゅんびゅん風が吹いていた。 ここのところしばらく雨なんて降ってなかったのに、よりによって今日降らなくても・・・と悲しくなったけど、まだ外がとっても暖かいのが救いと気を取り直し、またプロビデンスまでKarinに乗せてもらい、そこから私はバスでボストンへ向かった。
ターミナルではすぐにニューハンプシャーに住んでいる旭美ちゃんと合流でき、早速MITのある地下鉄の駅に向かった。 駅に着いたらすぐMITのキャンパスが広がっていたのだけど、日曜&春休み(らしい)のせいか、ほとんど人もおらず、店も大抵閉まっていて、何だか閑散としていた。 私は家ではヘルシーな食事ばかりしているので、たまにはジャンクフード(フライドポテトとかアップルパイとか油っぽいもの!)も食べたくなって探したのだけど、マックさえどこにも見つからなかった!
じゃあとりあえず会場に先に行こうということでその建物を探し始めたのだけど、何しろアメリカの大学キャンパスは広い!迷って結局1時間以上歩いてやっと探し当てた。 間もなくシンポジウムが始まり、日系人(二世)のパネリストたちが、どんな気持ちでパールハーバー攻撃後のアメリカで暮らしていたか、強制収容所での辛い生活、中国系アメリカ人の反応、などをそれぞれ話していった。(もう少し詳しくは、”平和への想い”にて・・・) そして、それは60年前の話しだけど、今またイスラム系の人たちへの嫌がらせなどが起こっていて、アメリカ人は過去から学んでいるのかという疑問を投げかけていた。そして、黒人やアジア人は、”今回は自分じゃないから良かった。”と思ってはいないか、という指摘もあった。確かにそれは言えるかもしれない。でも何でも”明日は我が身”なのだ。
日系人の人たちを見たり、あと、アメリカという”外国”に生きていることで、日本人としての自覚や誇りのようなものをよく感じる。 ニューヨークタイムズで”日本はもう恐れるに足りない国に成り下がった”なんて書かれたと聞くと、頑張れニッポン人!と叫びたくなる。きっと日系人のお年寄りの人たちはもっとそういう気持ちなんじゃないかな。 日本人としての誇りを持って生きていきたいと思った。
そして、旭美ちゃんとの久々の再会だけど、プレのことや、ホストファミリーとの生活の様子などお互いの状況を報告し合った。なかなかワイルドな生活を送っている様子で(農場に住んでいる)、NAC大使それぞれ派遣先でユニークな体験をしているんだなぁと思った。やっぱり同じ目的を持って、同じ時期から活動を始めている仲間がいるというのは心強い。
さて、明日からはまた本腰を入れて、プレ準備頑張ろうっと。
シンポジウム会場。私の前にはターバンの男性が・・・。 MITから見たボストンの様子。川が美しい。NYに似てる。
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2002年3月4日(月) ピンチ! |
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こちらに来て初めての体のピンチ。 これまで元気に風邪も引かず順調に過ごしてきたけど、昨夜夜中にいきなり目が覚め、何だか体のあちこちがかゆい! なにぃ?と思って、電気をつけてみたら、赤いポツポツが手とか足に出てる。 いつもと同じベットなので、いきなりダニでもないし、ネコアレルギーでもないし、夏じゃないから蚊でもないし(しかもこんなに一気にはかまれないだろう)、何も思い当たることがない。 もしかして、これって”しっしん”とか”じんましん”って呼ばれるものなのかなぁと夜な夜な電子広辞苑を引いて調べてみたり、病院に行く時には保険ってどうやって使うんだろうと保険の手引きを見てみたり、眠れないのでそんなことをゴソゴソしてみていた。 まだまだかゆいので、そうこうしているうちに朝の6時になってしまった。
少し寝て、起きてみると、まだ首の辺りとか、腕など、基本的には全身ポツポツと赤くなっていたので、Karinに言ったら、大変!とばかりにお医者さんに電話し、どうしたらよいかを聞いてくれた。 まず、オートミール湯(特別な粉があった)につかり、かゆみに効くというクリームをつけ、急いでお店で買ってきてくれたアレルギー用の薬を飲んだ。
とりあえずこれが何なのか、そして原因が分からないので、不安だ〜。 しかも今まで一度もこんなのできたことないのにぃ・・・と思うと、悲しくなってくる。 原因としては、 @昨日ボストンで食べた中東料理(でも旭美ちゃんも同じもの食べたけど、彼女は大丈夫そう。) Aストレス(でもこんなことになる程、毎日のドタバタにストレスを感じているとは思えない。) くらいしか思い浮かばないなぁ。
とにかく今日はこんなことなので、何もできなかった。 早く一気にこのぶつぶつがなくなって欲しい!
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2002年3月5日(火) 安息日 |
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結局昨日は夕方の6時頃ベットに入ったまま、今朝の8時までずーっと寝ていた!コンタクトも外さないまま・・・。 きっと昨日飲んだ薬のせいで、眠くなったのだと思う。現に今朝また2錠飲んだけど、そしたら今度はちょっと頭がフラフラしてきた。アメリカの薬は日本人には強すぎると聞いたことがあるので、そのせいかもしれない。しかも、やっぱりその薬を飲むと、眠くなったり疲れたりするそうだ。 ちなみにその薬の名前は、BENADRYL(ベナドリル、塩酸ジフェンヒドラミン)。全然分からない・・・。 とりあえず薬のせいか、睡眠のせいか、今日の午後辺りからはすっかりかゆみもとれ、ちょっとまだ頭はぼーっとするものの、昨日よりも随分マシになった。 高熱が出たりしないだけ良かったなぁと思う。そしたらもっと悲惨なことになってしまう。
それにしても、まだちょっと夜になって、クラクラしたりする。早く寝ることにしよう。 明日は、この家のクリスティンの通う小学校でプレなのだけど、1クラスだけなので、良かった。 これが明日連続6時間プレ!とかだったら、倒れてしまいそう。
今週はちょっと時間的に余裕のある1週間なので、しっかり休んでまた来週からのニューハンプシャープレに備えることにしよう。 無理は禁物。でもやることは山積み・・・。
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2002年3月6日(水) 気分爽快 |
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今日は午前は、ホストの一番上の子が通う小学校5年生のクラスにプレに行った。 1時間半という長い時間をもらっていたし、今日はこの1クラスだけ、しかも家から近いということもあり、気分的にリラックスして出来たので良かった。いつもは時間がないから出来ないのだけど、今日は@日本のスライドAサダコさんの紙芝居B折り紙で折鶴、という小学校での黄金コース(?)が完璧に出来た!これもたっぷりの時間と、先生とKarinのヘルプのお陰。クラスが小さいということもあったけど、何だか子供達がとてもデキル。折り紙もいつもだったら"I can't get this!!!"連発の箇所も難なくクリア。”難しかった?”って聞くと”Not really."(別に)と来た。さすが州のトップワンにランクされている学校だ!(といっても、小さなロードアイランド州だけど・・・)
学校が終わり、家に戻り、私は一気に部屋を片付けた。 ここ最近、何だか余裕がなくて、部屋がちらかっていたのだけど、今日はファイルなどを全部整理して、メールもチェックし、ホウキで床も掃いた。 あ〜、気分爽快〜! 私は実は(!)整理整頓好きなので、これが出来ていなかったから、気持ち悪かったのかな? まだ書き残している礼状など、何かと溜まってるので、それらを明日で一気に片付けてしまいたい。 それでないと、また今週末は金曜から知り合いのいるコネチカットに遊びに行き、戻ってきたらすぐにニューハンプシャーにお出掛けなので、何もできなくなる。
とりあえず、今できることを明日に延ばさず、一気にやることは片付けてしまうことが、私の健康の秘訣でもあるのかもしれない・・・などと思い始めた。
おっ、今日は末っ子EliのHalf Birthday。ハーフ? そう、彼の誕生日が9月なので、それから半年が経ったのでハーフバースデーだそうだ。かわいいでしょ? これは今回が初の試みらしいけど、ケーキも半分、バースデーソングも半分まで、プレゼントのお菓子の袋まで半分になってた!なんて茶目っ気たっぷりの企画。 でも、私を含めて6人いる家族みんなのハーフバースデーやってたら、大変なことになるぞ。
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2002年3月7日(木) 気分爽快 その2 |
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今日は1日中時間があったので、これまで溜めていたことを一気にやった。 例えば、今更ながら2月のバーモントの学校で先生に借りていた本を返す作業や、お礼メール、そして来週からのニューハンプシャーのアレンジメール等々。 NYの稔美ちゃんも言っていたけど、確かに今はほとんどプレのアレンジもメールなので、Eメールというものが普及してなかった時代にはなんと大変だったことだろう。電話代も郵送代もかなり掛かったに違いない!しかも、それらは全部自分持ちというところがボランティアの辛いところ。
来週からはニューハンプシャーでのプレなんだけど、アレンジ担当の人以外とは全然コンタクトを取っていない。 バーモントのプレの時はあれだけ前から準備していたのに・・・。 今回は、担当者の人のアレンジが遅いというのもあるのだけど、私のほうもあまりプッシュしていないので、しっかり確認しながら早く進めなくては・・・。 もう2月の高校プレからしばらく時間が経ってしまったので、今はすっかり小学生プレモードになっている。 中・高生には折鶴だけでは通用しない!
実はニューハンプシャーにはNAC仲間の旭美ちゃんがいるので、今回は彼女も巻き込み、プレをすることになった。 合同プレ?というのも初めてなので、その点も考えながらしっかりプレの準備をしないと。
でも久々の中学・高校生プレ。 実はとっても楽しみ。 原爆のことを話すのは大変だけど、手ごたえがあった時のあの感動が忘れられないので、また頑張ってこようと思う。
さて、明日は朝からプロビデンスにて2つの団体の人と会い、その後、コネチカットの知り合いの家へ週末を過ごしに行く。 7年ぶりの再会だ・・・。
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2002年3月8日(金) 人生のループ |
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今日は実り多き&長い一日だった。
まず、朝はまたKarinにプロビデンスまで車で送ってもらい、10時からTenyという男性にあった。 この人は、プロビデンスで”The Institute for the Study & Practice of Nonviolence”という、簡単に言うと、非暴力で問題を解決することを研究・研修する施設のスタッフだ。ガンジーやキング牧師の手法を取り入れているそうだ。 彼の今の仕事は、主にアメリカ国内の貧困層の環境改善や、少年院などで非暴力の解決方法を教えたり、その他諸々を一人でこなしているらしく、とっても忙しそうだった。彼を見ていると、私の忙しさなんて目じゃないなと思った。 そんな忙しい中、私のプレゼンテーションができそうな場所をあたってくれるというのだ。 彼らの関係のカトリック系の高校や、大学生団体、そしてなんとジュ−バナイル(少年院!)まで色々と提案できそうな場所をリストアップしてくれて、あとは私が彼にリクエストされた資料を送付するだけ。それに彼の団体のカバーレターをつけて、受け入れてくれそうな団体に送ってくれるというのだ! なんて素敵な申し出・・・。しかもそれらの団体は大抵ロードアイランド内なので、遠出をしなくても行けるのが嬉しい。 何だか”プレ”じゃなくて、”講演”も含まれていて、話しが大掛かりになってきているのが少し気がかりなのだけど(自信がない・・・)、どうやらこれで6月末までの予定はボチボチもう埋まりそうだ。
最近思うけど、何事も一度良いループに乗っかると、全て上手い具合に物事が運んでいく。 今回のように、人から人へと(Tenyも人から紹介してもらった)色んな人が助けてくれて、知らないうちに物事が苦労なくまとまっていく。 でも、今、別の関係で、ニューヨークで手助けしてくれる平和団体を探しているのだけど、こっちの方はぜーんぜん話しが上手くまとまらない。紹介してもらっても、うまくその人に繋がらないとか、良い情報がないとか・・・。 人生、こうやって紙一重なんだろうなぁ・・・。 何とか良いループに乗っかったままで行きたいものだけど。
さて、Tenyと会った後、クエーカー教が運営している平和団体、AFSCのプロビデンス事務所の若い女性とランチをした。 彼女とは以前から会おうと言っていたのだがお互い忙しくて、やっと今日それが実現した。 ブラウン大学を出たばかりの、若い、見るからに優しそうな女性だった。 彼女とはそんなに年も離れてないし(?)、これからも長いつき合いをしていければと思う。
彼女と別れ、3時発のボナンザバスに乗り、今日はNY方面のコネチカット州ダンバリーという街に向かった。 バスに揺られること4時間、バス停に着いた私を待っていたのは、8年前に見た時よりかなり風貌が変わっていたブルーカー先生だ。以前は、カーリーヘアーが特徴だったのに、今は少し長くして、後ろで一つに束ねてある。 半年くらい前に、広末涼子と竹之内豊が出ていたできちゃった結婚とか何とかいうテレビ番組に出ていたサーファーのおじさんに似ていた。あ〜、名前が出てこない。 ブルーカー先生に初めて会ったのは私が高校1年生の時。広島の平和公園をクラスメートと案内したのだった。 先生は長年高校の国語の先生をされていたので、私が大学生の時には先生のクラスを訪問して、アメリカの高校生達に日本のことをプレゼンしたこともある。何だかかんだと長い付き合いなのだった。 今週末はこの先生のお宅でお世話になる。先生はヒロシマのことにも詳しいので、アメリカでヒロシマ・ナガサキを語ることについてもアドバイスももらいたいと思っている。 それにしても、何だか親戚の家に遊びに来ているような気分だ。静かだし、落ち着く。
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2002年3月9日(土) のどかな小春日和の一日(70F!) |
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今、夜の11時だけど、何だかとっても疲れた。特に何もしていないのに。きっと喋りっぱなしだったからかなぁ。 いつもは子供が3人も居る家なので、あまり座ってゆっくり・・・っていうことはないのだけど、ここは大人二人だけの家なので、食事後にテレビを見たり、雑談したり、話す機会がとても多い。こういうのもなかなか良い。
今日は家でアルバムを見たり、Bethelというかわいい町中を歩いたり、公園を散歩したり、この近所でのんびり過ごした。 何しろ外は20度以上あるような本当に暖かい天気だったので、町にもたくさんの人が繰り出していた。 この町の中に、中東の人が経営するドルショップ(100円ショップと同じ感じ)があるのだけど、9/11のテロ後に何者かによって大きな石がお店に投げつけられたそうだ。結局犯人は見つかって地元の若者だったみたいだけど、そのことを知った町の人から、謝罪や励ましの言葉がかけられたそうで、今でもお店のウィンドガラスには”こんなことが起きてごめんなさい。あなたは町の仲間です。”というようなポスターが貼ってあった。 こんな静かな町にもテロの影響があったんだなぁ・・・。
ブルーカー先生だけど、大の旅行好き。 本当に毎年色んな国を旅している。 去年の10月には、カンボジア、ベトナム、ミャンマー、タイを1ヶ月程旅行したそうで、その時に撮ったというフィルム21本分の写真を一気に見せてもらった。 やっぱり人の写真を見るだけで、アジアって行ってみたくなる。その魅力って何なんだろう。 きっと先進国にはない、人々の漲るパワーかな。そのたくましさにこっちも元気になる。 さて、次のアジアでの旅行先はどこにしようかな・・・。
お気に入りの枯草の前で・・・ブルーカー先生 家の裏庭には、こんなスペースが。羨まし〜。
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2002年3月10日(日) |
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楽しかったブルーカー家を後にし、また4時間バスに乗ってプロビデンスに戻ってきた。
またKarinにバスターミナルまで迎えに来てもらい、家に着くまでの車中、お互い週末の報告をし合った。 Karinは今日は朝からマサチューセッツ州の集まりで自分の仕事のプレゼンテーションをしてきたそうで、目を充血させていた。Karinのメインの仕事は、墓石に文字を刻むストーンカーバーなのだけど、今日の集まりはマサチューセッツにある大きな墓場の管理者関係だったらしい。彼女の週末もいつも相当忙しい。プラス私の送り迎えもしてもらって申し訳ない気分。
自分の部屋に入ると、いくつかの新しいものが目に入った。
まず、何通かの手紙。普段はメールばかりなので、たまに手紙をもらうととっても嬉しい。
次に、毛糸の帽子!これは、Karinの仕事のパートナーのトレーシーが、最近、編物を習い始めたのだけど、私が冬の帽子を持っていないと知り、じゃあ作ってあげる!という話しになっていたのだ。 私の好きな緑色のかわいい帽子を編み上げてくれていた。ありがとう!冬は残り少ないけど、是非活用するよ!
そして、最後に、先週訪問した、うちのクリスティンのクラスからのThank You Noteの束。 訪問した小学校の生徒たちが、しばしばこのようなサンキューカードを書いて送ってきてくれる。 それらを読むたびに、顔が緩む。それと同時に、この純粋な子供達が大人になった時の世の中が、不安と恐怖に満ちた世界じゃなくなっていることを強く願うのだ。 今日のカードの中の一つで、こんなのがあった。
"From countries who were once enemies Peace came along and set all of us straight and showed us how to be FRIENDS FOREVER"
何だか詩のように綺麗にまとまっていて、小学5年生なのにスゴイって思った。 サダコさんの話しは、日本とアメリカが戦争を始めて、アメリカが原爆を落として・・・と、彼らにとってはあまり嬉しくないであろう話しも含まれているので、余計に心に残るのかもしれない。 子供の時は、人種の違いもすぐに乗り越えられる壁なのに、いつの頃から、それが高い壁になってしまうんだろう・・・。
さて、コネチカットでは、日本語のメールが読めなかったので、今、一気に読んだけど、みんな私のジンマシン?のことを心配してくれて、どうもありがとう。 どうやらみんなの経験談&情報を総合すると、私はやっぱり知らず知らずのうちに疲れ&ストレスが溜まっていて、そんな時に普段食べない中東料理を食べ、それがきっかけとなってジンマシンが出た、というのが一番可能性の高いストーリーみたいだ。 ふぅーん、そうなのか!自分では、毎日8時間寝てるし、食べるものも食べてるし、忙しいけど嫌な忙しさじゃないからそれによって体調を崩すことはないと思ってたのになぁ。。。やっぱりショック。
でも確かにこっちに来て2ヶ月間、ずっとプレのことに精一杯で気が張り詰めて余裕がなくなっていた気がする。 最近は、すこーしはプレにも慣れてきて、以前みたいにプレの随分前からそのことで頭が一杯になることはなくなった。 今日は日本の友達からたくさんメールが来ていたので(週末だったから?!)、ふと我に返り、今までの自分に戻った気がする。 最近自分でも、”私ってこんなに真面目だったっけ〜?!”なんて思ったりしていたので、あまり慣れないことをすると体調を崩すらしい・・・。 これからは、やることはやるけど、効率良く手早く片付けて、残りの時間はしっかりリラックスできるようにしたい。
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てんとう虫 |
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こっちに来てずっと思っていたんだけど、家の中に”てんとう虫”がたくさん居る! 最初に発見した時は、たまたまだと思ってたけど、その後、続々と発見。 冬の寒い間、家の中に入ってくるらしい。しかも、その数は半端じゃなく多い・・・。 ちなみにてんとう虫のことは、英語でLady Bugという。なんでレイディーなんだろう。赤いから??
うちだけかと思ってたけど、先日コネチカットの先生宅にお泊りした時は、その部屋は南向きで暖かいらしく、死骸を含めると絶対30匹くらい、いやそれ以上いた。下手すると50匹くらい。冗談抜きで・・・。
ミシガンで冬を過ごした時は、てんとう虫なんて見た記憶は全然ない。 このあたりだけの傾向なのかなぁ。
日本では、てんとう虫なんて春にちょこっと見るくらいだよね。 最初は、かわい〜って思ったけど、今では見るのがイヤになった。だって、踏み潰してしまわないかと心配だから。
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ジェーン・フォンダの謎 |
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以前、ヨネチが、「人間を返せ」のビデオのナレーションがジェーン・フォンダで、そのことを知ったホストの人が、ネブラスカ辺りでは彼女はあまり人気がないので、そのことは伏せておいた方が良いって話しがあって、ジェーン・フォンダって何をしたんだ?!という話しになっていた。
その後、私も全然手がかりがなかったんだけど(というか、何もしてなかったんだけど)、今日ブルーカー先生と話している中で、ハノイ・フォンダ!なんていう言葉が出てきた。ハノイ??
聞くところによると、彼女は平和運動に力を入れている人みたいだけど、ベトナム戦争終結後にハノイに入り、アメリカ人の感情を逆撫でするような行動をしたらしい。大砲をアメリカに向けて撃っているポーズをとったりだとか?!詳しくは分からないけど。 だから、アメリカ人で、彼女のことを良く思っていない人は多いという話しだ。 ネブラスカは特に中部の保守的な地域なので、そういう人が多いのだろうか。
とにかく、ジェーン・フォンダという人はかなり良い女優さんみたいだけど、彼女が過去どういう言動をしたのかはもう少し興味がある。
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2002年3月11日(月) 子供達のその後 |
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明日からニューハンプシャーへの長旅が始まるというのに、何故だか今日はのんびりしてしまった。 まだ今週、来週と訪問する学校でのプレゼンテーションについても考え始めていない。先月のバーモント訪問の前とはえらい違いだ。この余裕はどこから来るんだろうか!?大丈夫なのかなぁ・・・。
今日はやっとThank You Cardをもらっていたいくつかの小学校の子供達にそのお返事を書いた。 いつもカタカナで彼らの名前を書いてあげているのだけど、それを一生懸命真似して書いていたり、スライドでどれが一番好きだったかを切々と説明してくれていたり、本当に微笑ましい。
NACの活動はもうかれこれ最初の葉子さんが始めてから20年近く経っていることになる。 最初に葉子さんのプレを聞いた小学校1年生はもう今は26歳になっている計算になる。 これまでの大使がプレをした子供達は今はどうなっているんだろうか。みんなまだ覚えているんだろうか? そして特にヒロシマ・ナガサキに関してのプレを受けた子供達は、今もその時の衝撃を覚えてくれているんだろうか??
今アメリカがこのような状況の中、”核”の恐ろしさをその時の子供達が大人になった今でも覚えてくれていることを心から願っている。 ところで、NACの活動の追跡調査として、子供達のその後を知りたいけど、そんなの可能かなぁ。 3年後とか5年後くらいまでだったら、追っかけられそうな気もするけどねぇ。
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2002年3月12日(火) ポーツマス到着 |
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予想していた通り、今朝になって自分が何も用意していないことをとっても後悔した。 泣きそうになりながら、荷物を朝から詰め、またKarinにプロビデンスまで連れて行ってもらった。 昨夜は4時間くらいしか睡眠時間がなかったので、頭がガンガンしながらも、ニューハンプシャーへの美しい道のりを半分寝ながら楽しんだ。 そして、今回お世話になるシャーロットの家についてまたもやびっくり!!美しすぎる・・・。 家が湖畔というか、小さな湾のような水辺に面していて、部屋から外を覗くと美しい水と対岸が広がっているのだ。 私はこの景色にとっても感激した。まるで避暑地に来ているみたいだ。これがバケーションだったらどんなに嬉しいことだろう・・・。 このポーツマスという町は、観光地にもなっている美しい港町だ。
シャーロットもクエーカーの人で、1982年に広島も訪問しているということで、今回私を受け入れてくれた。 72歳のおばあさんなのだけど、さすが元ジャーナリストらしく、今でも本を出版したり、芸術方面で才能を発揮したり、とにかくスーパーおばあさんである。すごい・・・。
彼女の家に到着とともに、地元の新聞社の人が取材に来た。 若い女性記者だったのだけど、何だかとても早口で、しかもズバリと痛いところを質問してくるので、タジタジになっている自分がとても情けなかった。これは、英語のせいじゃなくて、自分に考えがないせいで、上手く答えられなかったのだ。 9/11を背景に、反撃しないわけにはいかないというアメリカの風潮に対して、ストップをかけられる説得力のある回答ができず、我ながら、全然答えがまとまっていないじゃないか!と、がっかりしてしまった。 説得力のある答えができなかったら、それはただの”理想”にしかすぎないと思われても仕方がない。 核についても、他の国が開発しているのに、しないと乗り遅れて逆にやられてしまうから自分達も作るという理論について、それを繰り返していたら終わりがないじゃない、みんな滅んでしまうよ・・・と思うのだが、じゃあ、どうする・・・となると、ここで自分が最後まで深く考えていないことに気づき、またがっかりしてしまった。 なんて中途半端な答えしか出せていない自分! こんなので明日高校を訪問して納得のいくプレができるのかなぁ・・・と思うと、いきなり不安になってしまった。
そんな暗い気持ちで行った夜のクエーカーミーティング。 仕事帰りでみんな疲れているだろうに、私のプレのために集まってきてくれた。本当に感謝。
さて、明日の高校。はぁ〜、どうなるのかなぁー。 また今週は眠れない夜になりそうです・・・。とりあえず、じんましん注意!!
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2002年3月13日(水) 素晴らしい学校 |
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昨夜もゴソゴソと準備をしていたら、寝るのが遅くなってしまい、睡眠不足気味。 でも、緊張しているせいか、朝は目覚ましがなる前に起き、外を見るとちょうど日が昇り始める時だった。またその美しさに感動!時間もあまりないくせに、カメラを取り出して、パシャ。写真にすると美しさも半減だけど、撮らずにはいられない。
今日行った学校は、メイン州のヨークという場所の高校。シャーロットが住んでいるのはニューハンプシャー州なので、越境して行ったが、20分強で到着。彼女は70歳を過ぎているが、結構なスピードを出して運転する。車の中でまだスライドを入れ替えたりしていたので、車酔いしてしまい、学校に到着した時は、泣きそうだった。
でも学校に入った途端、何だかうまく説明ができないけど、とてもオープンな雰囲気の学校だと感じて元気になった。 入り口には、今回の訪問を全てコーディネイトしてくれた国語の先生のドナと、校長先生が待っていてくれた。
実は、何と今朝の地元新聞、ポーツマスヘラルド紙の一面を私の記事が飾っていたのだ!はぁ〜、恥ずかしい! で、早速この高校に通う生徒の関係者から、”抗議”の電話が校長先生宛に入っていたことを知った。 何やら電話の主は、第二次世界大戦の退役軍人だそうで、NACの活動を何故受け入れたんだ、教育委員会に文句を言うぞ!というような内容だったらしい。
NACのOBからも、似たような体験談を聞いたことがあったので、アドバイス通り、ちゃんとパールハーバーにも行って学習したことも記事にしっかり書いてもらった。 でも、きっと、特に今のような時期に”ANTI−WAR!!"と言うこと自体がこういう人にとっては気に食わないのだろう。 こういう人がいても、今の時期、全然不思議ではない。残念なことだけど。 またもやヒロシマ・ナガサキのことを語る難しさを身をもって実感。
でも、何が心強かったって、この校長先生! ”こういうことは予測していたから、全然大丈夫だよ。私は数年前、メイン州でのベストPrinciple(校長)にも選ばれたし、教育方針には自信を持っている。”と全く気にしていない様子。(本当は胃がチクチクされていると思うけど・・・) 今日会った他の先生方も皆、アメリカの核使用が話題になっている今だからこそNACのような活動は益々大切だ、とサポートしてくださり、何とも言えない心強さをこの学校では感じた。 何しろ、選択授業の中に、”ホロコースト”や”人権”についてのクラスがあったり、外国語も4ヶ国語から選択できたり、本当にオープンで素晴らしい学校だ。 でも、”訴える”ということが日常茶飯事のアメリカ。こんな国で、こんな時期に、公立高校でNACの活動を受け入れてくれる学校というのは、本当にある意味スゴイと思う。勇気があると思う。
授業の中で知ったのだけど、このヨーク、ポーツマス周辺は、アメリカ軍の大きな基地にも近く、原子力発電所も近くにあり、軍関係の人も多く住んでいる場所だそうだ。ソ連との冷戦の際には、ソ連に向かって核ミサイルが配備され、いつでも発射できる状態にあったのは有名な話しだが、そのミサイルが配備されていたのが何とここだったらしい。 私ってば、そんな軍の匂いがプンプンする地域の新聞の一面に載ってしまったのね・・・と思うと、きっと校長先生は朝一の電話以外にも抗議の電話を受けているのではないかと心配になる。
NACのボランティア一人受け入れるのも、こんなに大変なことだったなんて・・・。 あらためて、そんなリスク(それがリスクになるのが悲しい・・・)を負ってまで受け入れてくれる学校に感謝の気分で一杯になりながら学校を後にした。 とにかく、抗議の電話は予想していたものの少しショックだったが、それ以上に私をサポートしてくれようとしているたっくさんの人々に、乾杯!?
授業後はこれまたとーっても美しい海岸沿いを散歩し、地元名物のロブスターを買って帰った。 何だか色々なことを考えさせられ疲れてしまったが、充実感一杯の1日だったような気がする。
部屋の窓からはこんな朝の景色が・・・。 クッキングクラス。また味噌汁です。 ロブスター。イェイ☆
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2002年3月14日(木) 女性パワー |
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昨日は夜11時前には就寝、朝も8時までぐっすり寝たので、気分爽快だった。 しかも、外は暖かい小春日和だったので、お庭にテーブルを出して、外で朝食を食べることにした。 湾を見ながら、外で朝食なんて、まさにバケーションでどこかに居るみたいな気分だった。 が、今日もプレ。そんなにのんびりしてるわけにもいかない・・・。 今日はお昼から小学校3年生のクラス二つに日本紹介のプレをした。
プレを終え、家に戻り、少し休憩。 外の湾はいつの間にか引き潮になっていたみたいで、陸続きになっている。(宮島みたいに) そこを人々や犬が散歩したりしていて、何だか不思議な気分。今朝見たときはたっぷり深そうな水で一杯だったのに。 潮干狩りでもできそうな勢いだけど、ここに貝がいるのかは分からない。
さて、お泊りプレの時の1日は長い。(これが辛いところ) 夜はシャーロットが最初に始め、14年間続いているという”ジャーナル”の集いに参加した。 これは、6〜7人の仲間が月1で集まり、その場で文章を書いては、お互い発表しあうという主旨の会だそうだ。 今夜は女性7人が集まっていたが、彼女達は皆クエーカーということもあり、今日の話題はもっぱら現在のアメリカの危険性についてだった。 つい最近、アメリカが核使用の可能性を示唆したことについて、アメリカはなんて傲慢なんだと嘆き、この一国主義を止めるために何か行動に移さないといけない、とそれぞれが自分の思っていることをみんなとシェアしていた。
この国のパワーを感じた。 平日の夜に女性達が集まり、政治について真剣に考えているのだ!そして、どんな行動に移せるか考えている。 みんな子育てに急がしい家庭の主婦だったり、教師を引退したおばあさんだったりするのだけど、自分の生活だけじゃなく、世界平和のことも考えているのだ!こうあるべきだと思いつつも、なかなか忙しい中、できることじゃない。 アメリカという国の政治にはがっかりさせられることが多いが、素晴らしい人々に会うことも多い。 こういう人たちの底力パワーに便乗して(?)、私も頑張りたいと思う。
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2002年3月15日(金) おやすみなさい。 |
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昨夜は、今日の中学校でのプレで何をしようか考えていたらなかなか良い案が浮かばず、結局細切れの睡眠時間しかなく、最悪のコンディションで朝を迎えてしまった。 今日は7年生(中1)で90分授業を2クラスしたのだけど、最初のクラスは本当に盛り上がらず、どうしようかと思った。 子供達にとっては最初で最後の経験なのだから、ベストを尽くそう!という気持ちはあったのだけど、何故だかその気持ちだけが空回りしているようだった。 最初の授業が終わり、トイレで鏡を見てみたら、眼が充血して怖い顔になっていた・・・。 ここで、やっぱりプレを成功させる秘訣は、十分な睡眠時間にあることがやっと分かった。 2つ目のクラスでは、これが終わったら週末が来るんだ・・・旭美ちゃんにも会える・・・と自分に言い聞かせ、張り切ってプレをしたら、子供達の反応もかなり良かったと感じた。 やっぱり子供は大人の態度に敏感に反応するので、自分をどうやって盛り上げるかが成功のキーになるんだなぁ。
学校が終わり、シャーロットにバスターミナルまで送ってもらい、そこで旭美ちゃんとその友達のジョージに会った。 今夜と明日の夜、旭美ちゃんのホストの家にお泊りさせてもらうのだ。 3人でポーツマスの街に行き、そこのSAKE(酒)という日本料理屋さんで寿司やトンカツを食べた。 ジョージは彼女が日本人だそうで、日本にも2年以上住んでいたので、日本語もかなり分かる。 片道1時間以上かけて迎えに来てくれて感謝感謝。
そして、やっと今、旭美ちゃんのホストの家に到着。 はぁ〜、疲れた〜。 ここはファームを経営している家で、家で卵や牛乳、ヨーグルトも販売しているらしい。 先日生まれた2頭の子羊には、旭美と由美子という名前がつけられたそうで、彼女達を見るのも楽しみだ。
さて、明日は久々のオフ。 とにかく今は眠るのが一番の楽しみだ! おやすみなさい。
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2002年3月16日(土) ファームの生活 |
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昨夜はかなり疲れていたので、今朝は遅くまで寝ていた。 人の家(しかもファーマー)にお邪魔しているので、早く起きないといけないかなと思ったのだけど、土曜日だし、旭美ちゃんのお言葉に甘えて、目覚ましもかけず、ぐっすり寝た。やっぱり睡眠一番だもんね。
というわけで、何をしたわけでもないのに、今日は異常に早く時間が過ぎた。 このお家は200エーカー以上の土地を所有しているらしく、本当に牧場だった。 旭美ちゃんの餌やりについて行ったのだけど、いるわいるわ。鶏に七面鳥、巨大豚に馬、牛に羊に・・・・。びっくりした! そして、とうとう子羊のアサミとユミコにもご対面。羊ってウスイ顔をしているけど、子羊はよちよちしててかわいかった! 豚はほんとーにでかかった!人間が一人入って着ぐるみ着てるでしょっていうくらい大きくて、怖かった。 干草を運び、動物に水をやっている旭美ちゃんを見て、たくましいな〜と感心した。もしかしたら私がこの家にホームステイすることになっていたかもしれないんだもんね。 この家で羨ましいことといえば、食べ物!全てオーガニック。そして、食事に出てきたもののほとんどが手作りだった。 朝食のグラノーラ(シリアル)もミルクもヨーグルトも自家製。夜のチキンもスープもパンも自家製。しかも美味しい! 毎日こういう食事ができる旭美ちゃんを羨ましく思ったのは言うまでもない。いーなー。 ホント、今5人のNAC大使が各ホームステイ先にいるけど、それぞれが全く違う経験をしていて、それはそれで面白いなぁと思う。
さて、明日はクエーカーの日曜学校で高校生にヒロシマ・ナガサキのことを話す予定。 二人でやるプレがどんな風になるのか分からないけど、頑張ろう。
左の子羊がユミコ 干草を運ぶのをすこーしお手伝い 牧場には何でもいます。
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2002年3月17日(日) 出会いと別れと・・・ |
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今日は初の旭美ちゃんとの合同プレ。 プレと言っても、クエーカーミーティングの日曜学校のようなところで、高校生達6人に対するプレだった。 クエーカーの子供達だし、人数は少ないしということで、きっと上手くいくと思っていたのであまり緊張はしなかったけど、もし大人しい子供達で意見が全然でなかったらどうしよう・・・と少し心配していたが、予想に反してとっても活発に意見を言う高校生たちで、しかもその意見が高校生とは思えないような、”その通り!!”とハグしたくなるような素晴らしい意見なのだ。 信じられない。なんでこんなにしっかりした子供達がいるんだろう・・・。 歴史もしっかり勉強しているし、自分の国が石油などの利益がある場所の戦争にだけ首をつっこむことも冷静に見てるし、アメリカが戦争で人々を自分達と同じ人間ではないかのように殺せるのはその国の人々のことを知らないし、逆に知ってしまったらそんなことをできるわけがないとも言っていた。True!! 公立の高校に軍隊の人がリクルートに来ることについても反対していた。なぜなら軍隊の目的はつまるところは人を殺すことだから。そして、もし戦場に借り出されたら自分も人を殺してしまうことはできるだろうけど、そんな自分は見たくないから、戦争には行きたくない、死にたくもない、と素直な意見も言っていた。 もちろん彼らは平和を愛するクエーカーの教えで育ってきた子供達だから、普通の子供達よりは平和に対する理解があるのだろうけど、それにしても16歳でそんなしっかりした意見を持ち、またその意見が素晴らしいので、私と旭美ちゃは感激しまくりだった。アメリカの未来は明るいかも!と淡い期待を持たせてくれた彼らだった。ありがとう!!
そして、今日は2泊お世話になった旭美ちゃんのホスト宅を後にし、同じくニューハンプシャー州のピーターボロという町に住むこれまたクエーカーのファミリーの家に向かった。 1月に行ったクエーカーの小学生達のキャンプでこの家のお母さんにも会い、その時にパンフレットを渡していたのだけど、それをしっかり実行に移してくれ、今回1週間近く招待してくれることになった。 さっき到着したけど、若夫婦と5&8歳のかわいい女の子達のいる素敵な家族だ。 私のために自分達の大きな寝室を空けてくれ、”さっき二人で話していたんだけど、ずっと誰かの家でゲストとしてお世話になるってすごく疲れて自分の空間が欲しくなるだろうねって。ここでは自分の家みたいにゆっくりしてね。”と部屋を案内してくれ、食べ物や食器の場所も教えてくれた。 本当に”感謝”以外の言葉が思いつかない。 あぁ、このご恩は忘れません・・・っていう鶴の恩返しの気分だな。 人にこんなに親切にされたら、私も人にもしなきゃっていう気分になる。こうやってみんなが隣人に親切にしたら、親切の輪が広がってみんなが気持ち良く暮らせるのにね。これって理想論?何だかやっと今、中学の時に習字で書いた”隣人愛”って言葉の意味が心から分かったような気がした。
明日から金曜までまたプレ週間。今回は木曜まで旭美ちゃんと一緒なので、ちょっぴり気が楽かな。 でも、明日は初のスライドなしプレ。プロジェクターが学校にないのだ!どうしよう・・・。 今夜また明日のプレのことを考えて眠らなきゃだけど、先日の教訓を生かして、睡眠時間は最低6時間は取るようにしよう。 今週も上手く行きますように。アーメン!?(←クリスチャンではないんだけどねぇ・・・)
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2002年3月18日(月) コンタクトの行方 |
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今まで何度か”お泊りプレ中にコンタクトなくしたら最悪よね〜!”って思ったことがあったけど、今日はとうとう本当に起きてしまったらしい・・・。 昨夜もいつものパターンで、プレの準備をしないといけないのに、なかなか良い案が思いつかず、でも疲れていて眠いので転寝をしてしまい、夜中に目が覚め、また少しプレのことを考え、そしてまた眠りに落ちてしまうという悪循環を繰り返してしまい、ふっと起きた時にはもう本当の朝なのだ。本当に最悪の寝方だ。 で、今朝は慌ててシャワーを浴びて、自分ではコンタクトを両目にちゃんと入れたと思ったのだけど、ふと気づくと左眼の視界が悪い。えっと思い、目を見てみたけど、コンタクトが入っていない様子。あれ〜と思い、今度は辺りを探してみたけど、それらしきものもない!!やばい〜と思い探したけど、見つからない。服にも洗面台にもタオルにも!でも、学校に向け出発しなくてはいけない時間は刻々と近づいてきていたので、10分くらい探してもなかったので諦めることにした。 というわけで、今日は初めてメガネで学校に行った。普段でもメガネなんて寝る前くらいしかしないのに、これで学校に行くなんて!慣れていないので、本当にブルーだった。人と顔を合わせたくない気分だ。
学校を終え、帰ってきて少し探したけど、それらしきものは見つかっていない。 コンタクトレンズ屋さんにも問い合わせたけど、オーダーしていたら、明後日くらいまで届かないとのこと。あぁぁぁ・・・。 メガネの生活のなんて不便なこと。いや、実際は不便じゃないと思うけど、メガネの顔の自分に慣れないので、すごく嫌な気分だ。 当分このメガネでプレするのかと思ったら、憂鬱。
ところで今日は、ニューハンプシャーは朝からずっと雪が降り続けて、かなりもう積もっている。 本当の春が来る前に雪をもう一度見れて嬉しい。
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2002年3月19日(火) 見つかりました |
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昨日は朝からコンタクトをなくし、かなりへこんだ1日を送ってしまったが、私の強力な願いが通じたのか、今朝タオルを広げると、床にカラカラになったソフトコンタクトが落ちていた。やった〜!! ダメかと思ったけど、水につけると元通りに戻ったので、試してみたら、大丈夫だった。あぁ、嬉しい。今回ばかりは無理かと思ったのに!
そんなこんなで、今日は朝から気分も良かった。睡眠も7時間取ったし。 でも、今日学校で話す話題は、ずばりヒロシマ・ナガサキ。少し気が重い。 しかも映像などを使わず、言葉だけで話すことは初めての経験なので、心配だったけど、昨日一度会っているクラスなので、最初は和やかなムードで始まった。 日本紹介のスライドを見せた後、いよいよ話題に入る。 やってみて思ったのは、やっぱり”核”の恐ろしさを伝えるのに、言葉での説明だけでは難しいな〜ってこと。 でも、被爆者の方の体験談などを用いながら、イメージしやすい言い方で伝えると、子供達の表情で伝わったか伝わらないかが分かる。”平和は大切で・・・”などという教科書に書いてるような言葉を並べ立てても、生徒はあくび |