2. パールハーバーで感じたこと
NACの活動を始めた当初から、”パールハーバー”という言葉を頻繁に聞いていた。
それは、広島・長崎の”原爆”ということに触れると、アメリカ人の口からは”パールハーバーはどうなんだ!”という
言葉が必ず返ってくると聞いていたからだ。
でも実際、日本人の私達の世代が学校で習うパールハーバーはほんの教科書の中の1行くらいで、詳細については
全くと言っていいほど習わない。山本五十六という人名も、私は習った記憶がない。(もしくは記憶にないだけかもだが)
だから、何故にそこまでアメリカ人が”Remember Pearl Harbor!!”と言うのかなかなか理解できなかった。
そこで、私達5人はOBに真似て、今回もハワイ経由でパールハーバーへ見学に行った。
そこはワイキキビーチからはバスで1時間以上乗るような場所にあり、そこまで来ると日本人の姿もあまり
見受けられなかった。
アリゾナ記念館の中に入ると、まずはグループツアーの番号が渡される。
アリゾナ記念館には、書籍を売っていたり、小さな展示スペースがあったり、また、歴史を映像で見れるような
ホールがある。そしてそこからフェリーに5分くらい乗り、パールハーバー攻撃により沈没した戦艦アリゾナの真上に
建てられた水上のスペースに上陸する。
これらは全てグループ単位で行われ、私達のグループは最後のグループでぎりぎり間に合った。
1グループには50人以上、もしくは100人近くおり、一回のツアーが75分。ほとんどがアメリカ人の観光客だった。
水中に沈んでいる戦艦アリゾナからは、60年以上経った今でも油が染み出していた。その油が水上に浮かんでくる
様子は本当に恐ろしいと思った。60年前に起きたことで、既に歴史となっているものから、未だにそれが
生きているかのように油は流れ続けているのだ。このアリゾナ号の中にはまだ多くの兵士が眠っており、ここは
彼らのお墓のような神聖な場所である。
パールハーバー攻撃は、1941年の12月7日の日曜の朝に起こった。
日曜の静かな朝、人々がそれぞれの時間を楽しんでいる時に突然日本軍の飛行機が攻撃してきたのだ。
それを英語ではSneak AttackもしくはSurprise Attack(だまし討ち)と言って、大変卑怯なこととされている。
歴史的背景から言えば、日本軍の暗号は解読されていて、アメリカはこの攻撃のことも既に知っていたとも
言われているが、一般市民にしてみれば本当に突然のことで、それはだまし討ちの何ものでもなかったであろう。
実際に今回静かな晴天の下、パールハーバーに来てみて、こんなに平和でのんびりとした場所にいきなり空から
爆弾が降ってきたら本当に恐ろしく、最初は何が起きたのか分からないだろう。
でも、これは広島・長崎でも全く同じことだ。
戦時中であったとはいえ、いきなり静かな夏の日の朝、1機の飛行機が落とした原爆によって、あんな惨状が
目の前に現れたら、何が起きたのか分からないまま人々は亡くなっていったと思う。
やっぱり戦争でいつも犠牲になるのは、何も知らされていない一般市民だと強く思った。
パールハーバーも日韓関係も、原爆も全てそれらから私達は大切なことを学ばないといけないと思う。
それらの出来事を恨んだり非難したりすることは簡単だけど、それらを乗り越えて次の教訓として
生かすという作業をしないことには、平和な世界というのは訪れない。
最後にこのパールハーバー攻撃後、ハワイに多くいた日系人の人たちはJapと呼ばれ、収容所に
送られる羽目になった(全員ではないが)ことも覚えておきたい。