5. 原爆を巡る相違
週末に訪れたクエーカーミーティングにて、丸木スライドを使ってプレゼンテーションをした。
比較的高齢の方が多かったが、クエーカーの人たちなので、みんな”こういう時期だからこそヒロシマ・ナガサキの
ことを思い出す必要がある”と、熱心に話を聞いてくれた。
スライド鑑賞後、1時間近く色々なことをディスカッションしたが、その中でよく聞く話しではあるが、
日本とアメリカでの原爆の受け止め方の違いが話題になった。
ある男性は、長崎に原爆を落としたパイロットに直接会ったそうだが、彼は、”原爆を落とさなかったら、
原爆で亡くなった人より多くのアメリカ人と日本人も50万人くらい死んでいた。だからあれは正しい選択だった。”と
言っていたそうだ。
「原爆によって多くのアメリカ人の命が助かり、第二次世界大戦は終わった。」
これはごく一般的なアメリカでの原爆の受け止められ方である。
今回の長崎のパイロットの話しには、それに加えて”日本人の命”も助かったんだ、という尾ひれもついている。
実際、”あの原爆によって私の命は助かったんだ。”という退役軍人の話は直接的&間接的に何度も聞いた。
そう教わったらアメリカの子供達も、”じゃあ、あれは仕方ない結末だったのか・・・”と納得してしまうだろう。
でも、つい最近読んだ本に、本当に原爆は必要だったのか、という話題に触れてあったので、それを今回のプレゼンの
中で引用してみた。
(1)日本は終戦直前はもう戦力もなく、天皇制さえキープできれば降参する準備はできていたこと
(2)アメリカは既に原爆開発に莫大な費用をかけていたので、それを使う必要があったこと
(3)終戦後のロシアとの関係に優位に立つため、ロシアが参戦してくる前に、アメリカは原爆の威力を見せつけて
終戦を迎える必要があったこと
それらを言ったら、別のお年の女性がスクラップブックを広げ、”私はヒロシマ・ナガサキの記事を集めていたけど、
1985年の記事にもあの原爆が本当に必要かどうか検証されていて、やっぱり同じような理由で必ずしも必要な
訳じゃなかったと書かれているわ。”と言ってくれた。彼女は、ヒロシマデー40周年に反戦活動をし、そのために
刑務所にまで数週間入ったことのある平和活動家である。
そして、私が”もし戦争を終結させるためだけだったら、3日後の長崎に2発目を落とす必要がどこにあったのか”と
言ったら、みんな一斉にうなずいた。これは共通するところだ。
日本では私が言ったようなことが一般的に言われているのか、と聞かれたが、多分私が言ったことは一般的とまでは
言えないだろう。ヒロシマ・ナガサキのことについて何冊か本を読んだ人はきっとその見解も読んだことがあるだろうが。
確かに、一般的日本人の人は、何故原爆を落とす必要があったのか、やっぱり戦争を終わらせるためには
原爆は必要だった、と思っているのだろうか。
何かの調査で、原爆は必要だったと考える日本人のパーセンテージが増えているという統計を聞いたことがある。
当の被爆国日本でアメリカと同じような見解が増えているのは、とても悲しく思う。広島・長崎以外の人は、
原爆は人事だと感じているのだろうか。いや、広島・長崎の若者でさえもそう思い始めてきているのだろうか。
いつも学校でプレをする時は、原爆投下が正しかったか、正しくなかったかという議論は避け、あんなことは二度と
誰にも起こらないように、というネバーアゲインの方向で話を持っていっているが、今日は初めてこの議論に入った。
でも、クエーカーの人たちなので、悪意を持って聞いている訳ではないことはよくよく分かるので、安心して
議論することが出来て、とても有意義な時間だったと思う。
やっぱり原爆投下後のマッシュルームしか知らないこの国の人たちに、原爆がどれだけ恐ろしいものなのか
実相を伝えることは必要なことだと思う。
そして、それでも原爆は正しかったと言う人には、”では、あなたの家族が同じような目にあったらあなたは
どう思いますか?”と聞いてみたい。そして、”もっと人間らしい想像力を働かせてください”と言いたい。