
2. グランド・ゼロ
去年の9月11日、まだ夏の暑さが残っていたあの日の夜、ニューヨークのワールドトレードセンターが
無残にも崩れ落ちていくシーンをテレビを見てから既に4ヶ月以上が経っていた。
あれから、あまりにも多くの事が起こり、議論され、多くの人の人生も変わった。
あの事件後、人々がお互いに優しくなったと言われていたニューヨークも私が一昨日行った時は
もう以前のような慌しい弱肉強食のニューヨークに戻っているような気がした。
でも、確実に人々はもう9月11日以前には戻れないと言っている。
それほどまでアメリカに、世界に影響を残すことになった場所を一目見てみたいと私はグランド・ゼロに
向かった。
そこに行くまでの道路は本当に新旧の高層ビル群に囲まれ、すぐ横をタクシーが乱暴に走る。
もうニューヨークに前回来たのは10年以上前なので、どこにWTCがあったかさえも記憶にないので、
場所を推測することができない。とりあえず友達の後をついて行く。
でも、きっとNYに住んでいる人たちは、いつも高層ビルの中でもぐんと高いツインタワー(WTC)がある
風景に馴染んでいるので、その建物がないのは本当に変な風景に違いない。
少しずつカメラを手にした人たちが見え始め、ある一角に人垣が出来ていた。
そこには、日記の中でも紹介したように、アメリカ国旗やTシャツなどにメッセージが書き込めるように
なっていたり、家族や友達が持ってきたであろう写真やぬいぐるみなどが所狭しと吊るされていた。
私が一番印象に残っているのが、若い白人カップルが幸せそうにウエディングドレスとタキシードでダンス
している一枚の写真。どちらが犠牲となられたのかは分からないが、本当に切ない気分になった。
約3,000人の犠牲者に繋がる人々の悲しみを想像すると、アメリカ中の深い悲しみを感じた。
それでも、じゃあその悲しみと怒りをアフガニスタンの人々(きっとアメリカの人々は犯人を
捕まえるだけと思っているけれど、結果的には同じ。)に向けるのが正しいのかとなると、それは
やっぱり何か違うと思う。
アメリカ人だけが人間なのではなく、アフガニスタンの民間の人々だって、アメリカ人と同じように生きる
権利を持った尊い人命。
だから、アメリカはこれ以上、アフガンへの空爆を続けるべきではない。
ここまでは、日本に居た頃から思っていた意見。
でも、テロ後のニューヨークを歩いていて、やはり安全という気はしなかった。
いつも”もしいきなり空から飛行機が落ちてきたら”とか、”人ごみの中で、誰かが毒ガスをまいたら”とか、
これまでのNYだったらあまり思わなかったであろうことが次々と頭をよぎった。
そして、こんな恐怖が続くのであれば、一刻も早く犯人を捕まえて、悪を断って欲しいと思った。でないと、
自分が生きていくことが出来ない。
まさに、やるかやられるかのような気分だ。
そうだ、人は本当に恐怖感に襲われたら、冷静に物事を考えることができない。
そんな時に、当事者でない遠い外国に住んでいる人たちから、”アメリカがやっていることは間違っている!”と
言われても、そんなのは自分達の身におきていないからそんなことが言えるんだ!と逆に怒ってしまうだろう。
そんなことを考えながら、テロ直後にアメリカの友人から届いたメールの内容などを思い出しながら、
なるほど・・・と納得してしまった。
もしこのグランド・ゼロが、ヒロシマ・ナガサキのような世界平和の出発地点の場所になるのであれば、
今こそそれにふさわしい場所になるように、みんなが偽物ではなく、本当の平和について真剣に
考え始めないと色んな意味で手遅れになってしまうだろう。
自分さえが上手くいけばいいという一人勝ちではなくて、全員勝ちの平和定義というのはないのだろうか?